第17章 そうだ、パンを食べよう〜なぜか人を笑顔にする食べ物《老舗料亭3代目が伝える50までに覚えておきたい味》
2022/01/17/公開
記事:ギール里映(READING LIFE編集部公認ライター)
ふわっと広がる香り。パン屋さんの前を通りかかると、パンが焼ける香ばしい香りに笑みがこぼれる。パンの焼ける香ばしい匂いははなぜか人の心をも幸せにします。メインディッシュとして食べられることがなく、常に脇役でいるにもかかわらず、子どもから大人まで、全ての年齢層にて絶大な人気を誇るパンは、お米に次ぐ第二のソウルフードと言っても過言ではないかもしれません。
パン、と一言で言っても、ものすごくたくさんの種類があります。
昨今流行りの高級食パンや角食パン、イギリス食パンのような食事パンを連想する人もいれば、菓子パンやあんぱん、メロンパンなど日本のおやつぱんを思い浮かべる人もいる。フランスパンやドイツパンのように素朴だけど力強い本格的なパンを思う人もいれば、やきそばぱんやコロッケパンなど、惣菜パンを連想する人もいる。シンプルだけどシンプルじゃない、国籍もまちまちで、それぞれにものすごい個性があります。それもパンの魅力の一つなのかもしれません。
パンの王道はフランスにあり、プティ・メックが築いたブーランジェリーの文化
しかしやっぱり抑えておきたいのは王道のパン、つまり小麦、塩、イースト(酵母)、水だけで作られるシンプルなパンです。フランスパンやドイツパンなど、ヨーロッパのパンがこれにあたります。なかでもフランスはパンのメッカとして知られ、その日に食べるのフランスパンを抱えて朝の街を歩くフランス人に憧れた人も多いはずです。基本のフランスパンは材料がシンプルなだけに、小麦の甘みや旨味、香ばしさを、しみじみと感じることができます。
京都にあるブーランジェリー、プティ・メックのフランスパンを初めて食べたのはかれこれ15年以上昔のことです。どこのレストランだったかは忘れましたが、京都にあるフランス料理店で食べたパンがあまりにも美味しくて、その出どころを訪ねたところ、教えていただいたのがこちらのブーランジェリーでした。今でこそ本格的なフランスパンが買えるブーランジェリーは、東京や京都などではよく見かけるようになりましたが、当時はまだまだ珍しかったのを覚えています。
特に京都は、日本一のパン消費県(京都は府なので、県ではありませんが)と言われ、美味しいパン屋さんがしのぎをけずっています。やはり水が美味しい土地だからこそ、水が味の決め手となるもの、例えば豆腐やうどんなどの麺類、パンなどは、京都がダントツなのかもしれません。とはいえ、しっかりしたハード系のフランスパンを作るには、実は京都の軟水ではなく硬水がおすすめ。一体どうやって美味しいフランスパンを作っているのかはわかりませんが、おそらく食に対する貪欲さや美味しさを追求する姿勢そのものが、パンという、日本料理の対局にあるものに対しても、損なわれることがないのでしょう。
こちらのプティ・メックは、いまでこそ店舗も増え、東京にも何店舗か進出をしてきているのでいつでも買えるようになりましたが、当時は京都の中心地から少し離れた今出川通り沿いにあり、金・土・日しかオープンしていませんでした。平日はフランス料理やイタリア料理店など、飲食店に卸す用のパンをつくっているということで、そのため一般の個人が買えるタイミングは週3日間に限られていました。通常のパン屋さんはせいぜい週休1日、もしくは2日が当たり前で、4日も休むなんてありえないことでした。いつでも買える庶民の味方、という立ち位置ではなく、決められた日にしか買えない特別なものとして、パンの地位は一気にひきあげられたような気がします。
たまにしか買いにいけませんから、行けた時にはしこたまパンを買い込みます。
バゲットやクロワッサンなど定番はもちろん、バゲットを使ったサンドイッチやケーキ、クッキーの類まで、買えるタイミングに買いためておきます。パンは冷凍保存が効くので、うまく冷凍すれば美味しさをそのままに保存することができます。パン通を謳う人たちはこぞって、一度にたくさん買って切り分け、冷凍して保存します。パンの保存方法として冷凍が一番適していることを、しっかりと理解しているからです。
こちらでの一番のおすすめは、とにかくバゲットを使ったサンドイッチ。プロのフレンチの料理人が作っているだけのことはあって、具材が一捻り利いている。他では味わうことのできないポークリエットやブルーチーズ、ピンクペッパーなど本格的なフレンチテイストを楽しむことができます。これまでサンドイッチといえば、ペラペラした三角形の薄切り食パンに、ハムチーズ、卵、レタスなどのお決まりの具材が入ったものしかなく、どちらかと言えばつまらない食べ物だったのですが、プティ・メックのようなプロの料理人が作るフランス風サンドイッチのおかげで、日本でも本格的なサンドイッチが紹介されることとなりました。
そんなプティ・メック、最近では食パンなどにも力を入れているようですが、私はやっぱり定番のフランスパン、しかもバゲットが一押しです。どんな料理にも合い、しかもしっかり小麦の味を感じさせるので、チーズやワインなど癖のある食材ともよく合います。しかも、ただ合うだけでなく、パンを食べた、と感じられる満足感をもたらします。パンは添え物、というポジションを大きく変えて、主役級の名脇役に昇格させたのは、プティ・メックをはじめ、多くの本格的フレンチベーカリーたちの努力とパン愛の結晶ではないかと思います。
戦後に日本を支えた食パン文化、ペリカンの世界観
一方、古典的、かつ伝統的な日本のパンというものもあります。
日本のパンの歴史は、16世紀にまで遡ります。鎖国の直前、菓子や鉄砲とともにポルトガルから持ち込まれました。それから明治時代になってようやく、イギリス式のパンを販売するベーカリー、ヨコハマベーカリー宇千喜商店が横浜で誕生しました。その後日本人の口に合うパンを作りたいと、銀座木村家が酒種を使って発酵させる技術を開発、ここで酒種あんぱんが生まれて今に至ります。
日本のベーカリーの特徴、それはふわふわ、もちもちした食感です。
やはり米を食べ慣れているからか、日本人はとにかくもちもちした食感が好きです。また柔らかいものを好む傾向があるので、パンにもその要素が求められます。また、西洋人にとって「食事」であるパンは、木村家のあんぱんのおかげで「お菓子」という位置付けになりました。そのためいわゆる日本のベーカリーのパンは、甘い菓子パンが中心になっています。甘いパンも悪くはないのですが、やはりパンは食事であってほしい。甘いものはお菓子、パンはお菓子ではなくて食事。お菓子と食事を混同して考えるからいけないのであって、私はパンは100%食事であってほしいと思っています。
そんな日本を代表する食事パンが、食パンです。角食、山食、ハードトーストといった種類がありますが、私はダントツ角食が好き。蓋を閉めて焼くために水分が逃げず、中がふんわりと軽く、かつしっとりとします。山食パンだと、トーストしたときにパンの上部の耳がパリパリになり、噛むとクラム(パン屑)が飛び散って食べにくい。しかし角食パンだと四片どこも同じなので食べやすくなります。パンはシンプルなものであるだけに、ちょっとしたディテールの違いが大きな違いを産みます。
東京は浅草の一角に、食パンとロールパンしか扱わない店、ペリカンがあります。
創業1942年、「毎日食べられる、飽きの来ない味」をテーマに、山食、角食とロールパンしか扱わないと決め、現在は四代目の社長が切り盛りしています。
ペリカンも最初は、いろんなパンを作っていたといいます。しかし増え続けるパン屋の競争に勝ち抜いていくためにも、周りと同じことをやっていてはいけないと、すぐに方針を変更し、喫茶店に卸すためのパンを作ろうと一念発起。先代がコーヒーが大好きだったこともあり、また喫茶店が大きなブームだった時代。日本の朝ご飯には一杯の味噌汁とほかほかのご飯、という定番がありましたが、戦後はパンが普及して、朝食にパンを食べる人も増えるだろうと予測し、卸に力を入れ始めました。
パンとコーヒーという新しい朝食の文化はこの頃に生まれました。それを牽引していったのが喫茶店ブーム、ベーカリーブームだったのです。
私の祖父は私が3歳の時に他界しているので、祖父の記憶は全くありませんが、母がいつも祖父の思い出を語ってくれていました。祖父の仕事はスチールカメラマン。京都の映画村で映画のスチール写真を撮ることを生業としていました。その職業のせいかはわかりませんがハイカラな人で、朝ご飯は必ずトーストとコーヒーだったと言います。当時トースターはなかったですから、七輪でパンを焼いていたとか。そのおかげか我が家の朝ご飯は常にトーストとコーヒー。私が体質改善のために食事制限をしていたときはご飯と味噌汁に変わりましたが、やはり子どものころから染み付いている習慣は変えられません。やっぱり朝はパンとコーヒーと言ってしまうのです。
父は父で、戦争で両親を亡くしてからは、父の友人に引き取られ、お金だけは与えられて奔放に育てられました。そのため一日三食外食をすることが当たり前になっているような人で、およそ料理屋の板前としても異色の食習慣だったのではないかと思います。母と結婚してから朝ご飯は家で食べてはいたようですが、それも必ずパンとコーヒー。週末はイノダコーヒーに出かけてモーニングをいただくという生活を、病で倒れるまで行っていたような人でした。
そんな環境で育ちましたから、私はやはり、どう転んでも朝ご飯はパンとコーヒーが基本というふうになってしまっているのです。
東京でちょっとレトロな喫茶店にいくと、大体トーストセットがあります。バターをたっぷり塗ったトーストと1杯の美味しいコーヒー。このシンプルだけどパワフルなコンビネーションは、アラフィフ世代の心を鷲掴みにします。
なかでも東京の下町、人形町には喫茶去快生軒があります。ここにはバターとママレードを塗ったペリカンの食パンを、コーヒーと共にいただくことができます。昔ながらのレトロな喫茶店で、いまだに喫煙がOKという貴重な場所。しかもこちらのバタートーストは向田邦子さんのお気に入りだったというのですから、そりゃいかない訳にはいきません。
喫煙OKなのに時折訪れてしまうのは、やはりパン自体、その魅力はもちろんのこと、ソウルフードとしてのパンとコーヒーになにか親や家族への想いを馳せてしまうのかもしれません。
毎日の幸せの源〜日本人にとってのパン
やはり、シンプルでストレートなものには、勝てません。
いろんなパンがあるし、それぞれに美味しかったりするのだけれど、フランスパンや食パンのように、とことんまでシンプルに、無駄を削ぎ落としたようなベーシックなパンが、やっぱり一番美味しいのです。なぜならそれらは、シンプルだからこそ、毎日食べることができるから。どんなに工夫を凝らして豪華なパンであったとしても、毎日食べたら飽きてしまいます。しかし、美味しいパンをほおばる幸せを、毎日少しずつ手に入れてほしい。生きることはそれだけで多くの苦悩や苦難を伴うものですから、毎日の「食べる」という習慣が、それらをすこしでも払拭し、応援するものであってほしいと願います。
原材料がシンプルだからこそ、素材本来の味が生かされていること。
どんな強い具材でも、パンの底力で全て包み込んでしまうこと。
飽きがこない味で、毎日食べ続けても飽きないこと。
決してハリウッドスターのように超ド級の主役を張れないけれど、実は何よりも主役級になくてはならない存在であること。
パンとして、シンプルな基本でその存在として在るということ。
そんなパンのような存在でありたいと願いながら、今日も朝からトーストとコーヒーの香りに包まれて幸せになるのでした。
グルテンフリーや腸活が流行り、すっかりパンが悪者にされつつあるご時世ですが、それでも、美味しいものは、美味しい。強いものは、強い。
シンプルで、強くて、美味しくて、多くの人に愛されて、毎日でも食べていただける、そんな存在で在りたいと、切に思うのであります。
《第18章につづく》
□ライターズプロフィール
ギール里映(READING LIFE編集部公認ライター)
READING LIFE編集部公認ライター、食べかた研究家。京都の老舗料亭3代目として生まれ、現在は東京でイギリス人の夫、息子と3人ぐらし。食べることが好き、が仕事になり、2015年にゼロから起業。現職は食べるトレーニングキッズアカデミー協会の代表を勤める。2019年には書籍「1日5分!子どもの能力を引き出す!最強の食事」、「子どもの才能を引き出す!2ステップレシピ」を出版。
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