第19章 魅惑のパンケーキ~万国共通、幸せを生み出す小麦マジック《老舗料亭3代目が伝える50までに覚えておきたい味》
2022/03/07/公開
記事:ギール里映(READING LIFE編集部公認ライター)
ぐりとぐら、という絵本は、おそらくほとんどの方が、老若男女を問わず知っていらっしゃるかと思いますが、その中に出てきたパンケーキを覚えていらっしゃいますか。
香ばしく焼きあがり美味しそうな香りを放つパンケーキ。バターと砂糖の入り混じった甘い香りに、のどをごくりと鳴らしながら絵本を読んでもらった幼少期の記憶がある方も多いと思います。そして必ずこう思ったはず、
「これを食べてみたい」
と。
子どものころに刷り込まれたぐりとぐらのパンケーキは、幼少期の記憶として私のように、脳裏に深く刻み込まれた方がたくさんいらっしゃるに違いない。だからこそパンケーキはいつの時代にも愛され、また時折ブームにもなるアイテムなんだと思います。
砂糖や油も使うし、決してヘルシーとは言い難い食べ物ですが、だからこそ私たちの心をつかんで離さない魅惑のスイーツ、パンケーキ。一言でパンケーキと言ってもその国や好みによって大きく食べ方がわかれます。今日は様々なパンケーキをご紹介しつつ、それらがどんな体験を私たちにもたらしてくれているのかを深堀りたい。
まずはしっかり食事として。アメリカのパンケーキ
甘い香りと言っておきながら、まずは外せないのが食事系パンケーキ。生地に甘みをつけずにしょっぱいものと食べることも多いのはアメリカやヨーロッパのパンケーキです。
アメリカでは薄めに生地を焼いたものにベーコンやソーセージ、卵にメープルシロップをたっぷりかけ、ハッシュブラウンを添えていただきます。バターもたっぷり、もはやカロリーのことなど気にしていたら一口も食べられなくなる、そんな代表的なアメリカ料理としてのパンケーキがあります。
なかでもハワイが有名です。なぜハワイアンパンケーキだけがこれほどまでに名を馳せているのかは不明ですが、ハワイアンパンケーキの名を謳ったお店は全国各地にあり、それぞれが美味しさはもちろん、見かけの美しさやハワイらしさを競ってしのぎを削っています。
1974年にハワイで創業したEggs‘n Things(エッグスシングス)は、ハワイに1店舗、日本国内には27店舗を構える大御所です(2022年2月現在)。薄めでこぶりのパンケーキを数枚、その上にこれでもか!というほどの生クリームをタワー状にあしらったデコレーションが特徴的で、2007年ぐらいのパンケーキブームのときには長蛇の列ができているのが通例でした。今でも週末、表参道の店舗では朝から行列ができています。ここではいわゆるアメリカンブレックファストといわれるパンケーキが食べられます。コンセプトはオール・デイ・ブレックファスト。一日のどの時間でも朝ごはんが食べられます。生地はふわっとしているけれどもちもち感があり、まさに日本人好みの味なのです。
ブレックファーストだけにパンケーキ以外の朝食メニューも豊富です。ワッフルやクレープ、フレンチトーストなど、これでもか!というぐらいのアメリカンテイストで、とりあえずダイエットは明日から、になること必至です。
ヨーロッパのパンケーキ事情
一方ヨーロッパで食されているパンケーキは、またがらりと雰囲気が異なります。
一言でヨーロッパといってもドイツやイギリス、フランスと個性豊かな国がならび、それぞれが独自のパンケーキ文化を構築しています。
おそらくもっとも日本で有名なのが、フランスのパンケーキではないでしょうか。ただしフランスではパンケーキとはいわず、クレープ、もしくはガレットと呼んでいます。どちらもケーキのスポンジ生地のようなふわふわ感はなく、薄いシート状になっています。クレープは普通の小麦粉で作りますが、ガレットはそば粉を使います。ガレット・ブルトンヌというのが正式な名前で、本来ガレットとは「丸い料理」という意味があります。ブルトンヌとはブルターニュ地方という意味で、ここで食べられている丸い料理、という意味あいでそば粉のクレープのことをガレットと呼んでいます。
こちらも甘い系としょっぱい系の両方があり、軽い食事としてサンドイッチのような感覚で食べられている印象です。ハムや卵、チーズ、という鉄板食材に加えて、レタスにトマトなども加わり、包む具材によっていくらでも楽しみ方がひろがります。
卵は半熟に仕上げてハムやチーズをのせ、とろりと溶けたエメンタールチーズと半熟の卵が合わさって、絶対安定の定番テイストができあがります。ハム、チーズ、卵はヨーロッパの料理には欠かせないアイテム。これらを美味しく食べられるクレープやガレットは、日本でいうところの「お茶漬け」に近いのかもしれません。
宗教とともにあるパンケーキ
イギリスのパンケーキもやはりフランスと同様、薄いクレープ生地のように焼き上げます。フランスのクレープはたたんで扇状にして歩きながら食べるイメージですが、イギリスのパンケーキはテーブルでナイフとフォークで召し上がります。
加えるフレーバーはバター、砂糖とレモン汁。さっぱりさわやかな酸味とバターのコク、そして砂糖の甘さが絶妙です。しかしイギリスは美食というイメージを持たれていない国なので、このイギリス式パンケーキがどれほど知られているかは不明です。
イギリスにはパンケーキの日というのがあります。
これは日本でいうところの”なんとか記念日”というようなものではなく、れっきとして宗教的に意味がある大切な日です。これはつまりイースター(復活祭)前に行う40日間の断食期間が始まる前に、冷蔵庫や棚にある卵や小麦粉、牛乳を全部食べてしまおうという意図で生まれました。復活祭と連動しているので毎年日付が変わります。
また忘れちゃいけないのがダッチパンケーキ。ダッチというからにはオランダかと思いきや、実はドイツが発祥と言われています。別名ダッチベイビーとも言います。
ちょっと厚みのあるフライパンに生地を流し込み、それごとオーブンで焼きます。生地はクレープのように薄く、食べ口が軽いのでいつまでも食べられそうです。
また発祥についてはシアトルであるなど諸説があります。発祥はどこであれ、とにかくその美味しさはお墨付きで、昨今日本でも食べられるところが増えてきています。
日本発祥、ホットケーキ
アメリカやヨーロッパのパンケーキ文化を巡ってきましたが、日本にももちろん、パンケーキの歴史があります。
日本は稲作が農業の中心なので、歴史的に小麦をあまり食べない国民でした。しかしそれは明治維新、そして第二次世界大戦後に大きく変わっていきます。
戦後アメリカで余剰の小麦や牛乳を消費するため、それらの食材が積極的に日本に入ってくるようになりました。食材が入ってきても、調理方法がわからなければ使えません。そのため雑誌では小麦の使い方、つまりレシピが掲載されるようになり、「ハイカラな西洋の食べ物」は雑誌のチカラで全国に広がり浸透していったのです。
日本では「ホットケーキ」と呼ばれます。これは1923年に日本のデパートの食堂でハットケーキとして売り出されたことが始まりで、そこから温かいケーキだから「ホット」「ケーキ」と名づけられたといわれています。その後各社食品会社からホットケーキミックスが販売され、甘い生地として定着していきました。
欧米のパンケーキの生地には砂糖を入れないものが多く、生地自体が甘くないので食事系の食べ方をすることもありますが、日本のホットケーキは生地自体がほんのり甘く、焼き上がりもいわゆるパンケーキよりは厚みがあることが多いので、食事としてではなく、おやつとして食べる文化が日本全国にひろがっていきました。
この連載でも以前ご紹介したことがある京都のスマートコーヒーさんでは、典型的な日本のホットケーキをいただくことができます。厚みは1.5センチぐらいでしょうか。バターとメープルシロップをかけて食べると、まるでぐりとぐらの絵本を体験しているかのような、素朴で温かみのある味を楽しめます。
スマートコーヒーさんのように、いわゆる昔ながらの喫茶店といわれるところには大体必ずホットケーキがあります。最近主流のチェーン店のカフェとはまったくことなり、マスター自慢のコーヒーが楽しめる場所とホットケーキの相性は抜群で、なぜか異常に落ち着きます。
東京は森下にある小野珈琲さんでは、銅板で焼き上げたホットケーキがいただけます。こちらもこれ目当てに全国からお客様が通うほどで、下町情緒漂う雰囲気のなか、常連のシニア層にまじってホットケーキツアーをしているであろう女子たちに遭遇することもあります。
昭和のノスタルジーを感じるホットケーキ。
子どものころは家でもおやつとして、母がよくホットケーキを焼いてくれました。甘いものが好きだった私はこれが本当に好きで、週末の時間がある朝に焼いてくれることが多く、土日の楽しみの一つになっていました。
いまでもホットケーキが好きなのは、そういう母の愛情みたいなものを思い出すからかもしれません。
この連載では折に触れお伝えしていることですが、食べ物は記憶と直結します。
幸せな記憶、つらい記憶、どんな記憶もなぜか食べ物と一緒に脳にインプットされると、人生の後々までその記憶が消えることはありません。よくソウルフード、なんて言い方をしますけれど、それはつまり記憶とつながる「魂の食べ物」のこと。ただのエネルギー源、カロリー源、食糧としての食べ物ではなく、魂が喜ぶ食べ物のことをソウルフードと言うのですが、ホットケーキはまさにそれにあたるような気がします。
進化系パンケーキ
私たちのパンケーキに対する探究心は半端なく、日々新しい触感や素材が試され、レシピが開発されています。
これまでのパンケーキとは異なり、よりふわふわ、よりもちもちの触感を追求した新しいパンケーキの流派のようなものがあります。
こちらも以前この連載でご紹介したことがあるBill’s(ビルズ)のリコッタパンケーキは、ふわっふわで厚みのある生地が特徴です。はちみつを混ぜ込んだハニコムバターとメープルシロップ、バナナを添えていただきます。ビルズは世界一の朝食としても有名で、個人的にここのパンケーキがダントツナンバー1だと思っています。
昔息子を妊娠しているとき、朝ヨガの練習が終わる7時半ごろからビルスの前に並び、8時の開店と同時に入店しては朝ごはんを食べていた時のことを思い出します。今から思うとなんて優雅でぜいたくな時間の使い方だろうと当時の自分を振り返りますが、毎日でも食べたいほどここのパンケーキは魅力的だったのです。
不妊治療をしてやっと妊娠し、無事に誕生してくれることを祈りながら過ごした日々の記憶は、不安を感じることもありながらも、ビルズのパンケーキにかなり救われていたことがわかります。
また、ビルズのようなふわふわのパンケーキとちょっと近いのが「幸せのパンケーキ」。「美味しいものは人を笑顔にできる」をモットーに、世界一ふわふわでしっとりしたパンケーキを生み出しました。ニュージーランド産の高級マヌカハニーと発酵バターをブレンドしたホイップバターとともにいただくと、その美味しさはまさに感動的ですらあります。
人に、優しく
人はふわふわしたもの、甘いもの、美味しいものに触れるとおのずと優しくなれるようです。美味しいものを食べながら喧嘩はできませんし、また悪どいことも考えつかない。それはつまり美味しいものは、人を笑顔にするからなんだと、改めて食べ物が持つチカラの奥深さに、感動を覚えます。
人に、優しく在りたい。
人は相対性の世界で生きていると、ついつい自分を守るために他人を攻撃したり、また自分にはないものを持っている人を見ると、妬み、そねみ、意地悪になることがあります。素直に他人の幸せを喜べないのが、人が持つ弱さの一つ。しかしなぜ人は他人の幸せを素直に喜んであげることが難しいのでしょう。
それはつまり、自分を満たしていないから。
自分という器が空っぽのままでは、誰かに与えることなんて到底できることではありません。
ですから、どうか、そろそろ、自分を美味しさと笑顔で満たすことを、毎日の日課にしていただきたい。そしてこれからは常に与える存在として、あなたの存在が輝きますように。
パンケーキはそんなあなたをいつも応援してくれています。
《第20章につづく》
□ライターズプロフィール
ギール里映(READING LIFE編集部公認ライター)
READING LIFE編集部公認ライター、経営軍師、食べかた研究家。京都の老舗料亭3代目として生まれ、現在は東京でイギリス人の夫、息子と3人ぐらし。食べることが好き、が仕事になり、2015年にゼロから起業。現職は食べるトレーニングキッズアカデミー協会の代表を勤める。2019年には書籍「1日5分!子どもの能力を引き出す!最強の食事」、「子どもの才能を引き出す!2ステップレシピ」を出版。
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