第26章 いい大人なんだから、行きつけのひとつやふたつ《老舗料亭3代目が伝える50までに覚えておきたい味》
2022/10/24/公開
記事:ギール里映(READING LIFE編集部公認ライター)
「どっか、美味しいところ知らない?」
と訊かれて、すぐに答えることができますか。
最近は食べログやホットペッパーもあるし、高級路線の一休もあるし、お店選びには困らなくなりました。レビューや星の数は参考になるし、写真もあるから選びやすいけれど、そういうのじゃないんです。誰かに訊かれたときに、安心して紹介できて、なおかつ「◯◯さんってすごい、こんなお店知っているんだ」と知り合いの間での株も上がる。そんなお店の一つや二つは、さすがに知っておきたいものです。
いわゆる、とっておきの店。
もしかしたらそんなお店は、人には教えたくはないかも知れません。人知れず自分だけで愉しみたいという気持ち、わからないでもありません。しかし私たちは、自分がいい!と思うものは人に伝えて、自慢したいという気持ちもある。人の役に立ちたいという思いもあるだろうし、また、そんな素敵なお店を知っている自分を自慢したいという気持ちもある。たかだかとっておきのお店があるかどうか、の裏側には、オトナのちょっとした自尊心が見え隠れします。
オトナとしての株が上がる、そんなとっておきのお店とは、一体どんなお店なのでしょう。
とりあえずチェーン店はなし?
みんなが知ってるチェーン店は、どこにいっても同じ味で安心だし、かつクオリティも保たれているので、そこそこに美味しいと感じます。しかしそれを「お気に入りの店」として紹介するのはどうもまずい。みんなが知っているようなところしか知らないのか、と、却って自分の株を下げてしまう可能性があります。
これは別に、チェーン店をディスっているのでも、馬鹿にしているわけでもありません。人の心理として単純に、「他の人が知らないもの」「自分だけが知っているもの」に人は反応し、感動する、というだけのことです。
実際に「自分だけが知る名店」なんて、この世には存在しません。
もしあなただけしか知らないのであれば、そのお店は現実的に営業を続けていくことが不可能だからです。しかし人はやっぱりその、特別感を大切にしたい存在です。ということはつまり、何か「自分にしかわからない何か」がそこに存在すればいい、ということになります。
以前に友人と餃子について話していたとき、関西の、とある有名な餃子チェーン店の話になりました。確かにそこは関西人であれば誰もが知っている、有名なチェーン店。ここの餃子が美味しいことには、誰も反論する人がいないどころか、このお店自体を知らない人はいない、と言っても過言ではないぐらい、とにかく有名なお店です。
しかしこの店の、とある店舗は、彼女にとっての一押しだというのです。その理由を尋ねると、その店舗にだけ裏メニューがある、ということでした。餃子の食べ方や流儀にはさまざまな好みがありますが、ここでそれを述べることはしませんが、その友人はよく焼いてカリッとした皮を持つ餃子が大の好物。そして彼女のお気に入りの店舗では、「よく焼き」という裏メニューがあるのだとか。
これは知る人ぞ知る注文の仕方だそうで、密かに知っている人たちだけで大人気になっています。これだったらチェーン店であろうと関係なく、そのお店に行ってみたいな、という気持ちになりますし、また「自分だけが知っている」感も味わえるので、とっておきのお店になり得ます。
つまりは大量生産、大量消費のチェーン店であろうとも、そこを運営、切り盛りしている現場のスタッフや、彼らが作り出すサービスに個性があればいいのです。その個性が特徴的だったり、面白かったりすれば、それはとっておきとして紹介できる、自分だけのネタになり得ます。
とっておきのお店は料理の質や味が美味しいことは第一条件かもしれませんが、そこに付随するサービスが特徴的だったり、独創的だったり、またこちらのニーズやウォンツを満たしてくれるものがあることが何よりも大切、ということが言えます。
チェーン店の場合むしろ、「みんなが知ってるXXXの、さらに一歩奥深いところまで知ってる自分はすごい」というアピールができる可能性がありますね。
アンチ行きつけ派のココロは?
行きつけの店とか、もちたくないんだよね、という方がいます。その理由を尋ねると、お店の人となあなあになる感じがいや、とか、内輪だけで盛り上がっている感じがいやとか、一つのところでばかり食べるのは飽きる、いろいろバリエーションで食べたいとか、いろいろな意見があります。
確かにお店に入って、そこにいつも常連ばかりが屯していたり、また店主が常連の相手ばかりをして、他のお客様へのサービスが疎かになったら、ちょっと嫌な気持ちになります。私たちは多かれ少なかれ、大切にしてほしいと思う生き物です。常連を贔屓する、というのは言い換えたら、一般客を大切にしない、ということに繋がりかねない。そのため常連になることを嫌う人たちがいます。
遠慮なく言わせてもらうと、度量が小さいなと思います。
ええやんか、行きつけぐらい。ええやんか、常連ぐらい。好きに屯させたらいいし、そんな小さいことはどうでもいい。そこにこだわって自分が何か素敵なことを体験する機会を自分で奪っているかもしれないと考えるとほんとにもったいない。自分のこだわりがいかに小さく、ばかばかしいものであるかを感じます。
常連がいようとなんだろうと、美味しい店は美味しい。何度も行きたくなる店ならいったらいい。美味しいものをいただける機会というのは本当に一期一会。まず自分が元気で健康でなければ美味しいものなんて食べられないし、かつ料理を作ってくれるシェフや板前が元気で健康でなければならない。かつ季節の滋養、滋味溢れる食材がきちんと供給されなければならない。これらの条件を満たすお店にもし出会ったとしたら、つまらない理由で自分を枠に囲うのではなく、もっと貪欲に、美味しいものを追求したい。
好きなものは好き。美味しいものは好き。
生きて元気でいるからこそ楽しめる美食の体験は、病気にでもなったら一瞬にして奪われます。
だからこそ今元気でいるうちは、つまらないこだわりはすてて、貪欲に美味しさを追求していったらいいんです。
高級店を行きつけにするのは格好悪い
行きつけのお店であるからには、通いやすさ、行きやすさがあることが大前提です。そのためにまず大事なのが価格帯です。
料理の世界はわかりやすく、高いお金を払ったら美味しいものが食べられるのは当たり前です。1人前数万円からという高級寿司や和食は相当に美味しいものではありますが、頻繁にはいけるものではありません。これらはどちらかというと、特別な日のお気に入り、と呼ぶべき店で、行きつけにしてしまうとむしろちょっとつまらなくなります。
例えばミシュラン3つ星のお店があったとします。
3つ星ですから味もサービスも超一流、最高な体験ができることは間違いありません。
しかしこんな店を行きつけにするのは、なんだかちょっと粋じゃない。お金にものを言わせている体になり、むしろかっこ悪くすらあります。特別なお店は特別なところとして扱う、相手がどう扱って欲しいかを察してそのように扱うのが、オトナの振る舞いの流儀というもの。そのため、高級店を行きつけと呼んでは格好悪いのです。
そこそこの価格帯で、頻繁に通えるレベルのお店、そんな程よい塩梅を見つけたい。そこそこの価格帯というとそれこそ個人差があるのでなんとも言い難いところはありますが、日本のサラリーマンの平均年収が400万円程度といいますから、基本的に年収400万円からそれ以上の方々を対象とさせてください。
というのもあまりにも収入がないと、外食を楽しむという選択肢が限られるからです。
お金がなくても外食は楽しめますが、やはり空腹を満たす以上の食体験を手に入れようと思ったら、そこは少し贅沢の範疇に入ります。そのため少しは収入に余裕がないと楽しめないのも事実です。たかが食べることにそんなにお金をかけるのか、と驚く人もいるでしょう。しかし人の欲望というのは深く、人は自分を愉しませるためならお金も労力も厭わない生き物です。なのでここは一つ、自分を愉しませるために、行きつけのお店を持つという選択を、提案したいだけなのです。
普段行けなくても行きつけと呼びたい店「余志屋」
京都は先斗町の路地裏に、こじんまりした料理屋があります。そのような京料理屋はごまんとあるのですが、私はなぜかついつい、ここにきてしまう。今は東京に住んでいるので頻繁には来れなくなりましたが、行きつけと呼びたいお店がここ、余志屋です。
なかなかの名店で、メディアでもよく取り上げられていますから、ご存じの方も多いでしょう。単純に「京料理の割烹」ということで知っている方も多いと思います。
しかし私はここを、自分の「行きつけ」と呼びたいんです。
料理屋の家に生まれ育った私は、子どものころから毎日が外食でした。
というのも、両親はお店で働いているので、夕食は店が終わった後になります。当時は営業時間も夜8時ぐらいまででしたので、9時ごろから夕食ということがざらでした。
店を閉めてから両親と共に、近所のお店によく行きました。
お昼なら中華やラーメン、うどん、そばが多かったのですが、夜となると必ず焼肉か和食。子どもだった私に決定権はなく、父、または母が行きたいところに連れていかれるのが常でした。
そんなお店の一つに、余志屋がありました。
子どもからしたら、先斗町の路地とか、そういう京都ブランドに心が動くとか、そういうことは一切ありません。また子どもですから、大人が食べて美味しい京料理なんて、どうってことはないわけです。それでも両親に連れられて何度も足を運ぶうちに、自分の内側に入り込んできたような気がします。
余志屋のメニューはいわゆる、典型的な京料理です。
はもや鮎、ぐじのような季節の魚料理はもちろん、加茂なす、万願寺をつかったおばんざいだったり、ほんのり出汁の風味がきいた煮炊きもんが主流です。
名物は鴨まんじゅうや鴨ロース。なぜこれが京料理と呼ばれるのかは私にもわかりませんが、両親はよく美味しい鴨ロースが食べられるところは少ないといい、あちこちの鴨ロースを食べ歩いていました。鴨の焼き具合、柔らかさ、そしてソースとの相性、どれをとっても余志屋の鴨ロースは両親の好みにどハマりしたようで、家族で食べる余志屋の晩餐には必ずいただくメニューでした。
こちらの看板料理は釜飯です。
季節の魚介や野菜をつかい、小さな釜で1〜2人前ずつ炊き上げるご飯は、蓋をあけたときにふわっと漂うご飯と食材の香りがたまりません。幸せに包まれる瞬間、と言っても過言ではないぐらい、締めのご飯としての最高峰と表現したくなります。季節によって変わる具材のバリエーションが楽しく、いつ行っても飽きることがないのです。これを目当てに観光客が押しかけるといってもいいぐらい、ここの名物と言えば釜飯と言われます。
そんなパワフルな釜飯ですが、これに勝る一品があります。それは何と言っても京風のだし巻き。卵焼きではなく出汁巻きと呼ぶところに、京都のこだわりがあることは否めません。
関西では卵に砂糖を入れて焼くことがないので、お出汁の味がしっかりとして、ふわふわとろとろのだし巻きが食べられます。卵の美味しさを味わおうと思ったら、絶対に砂糖はいれてはいけない。板前のこだわりと技量がとことん出てしまうのが、だし巻きの特徴です。
余志屋のだし巻きは味にうるさいうちの父も唸る出来栄えで、板前だった父は自分でも作ることができたにも関わらず、必ず注文していたのを覚えています。
そんな家族との思い出の場所とも言える料理屋が余志屋です。
自分の一部にしたい店、自分が一部と感じる店がとっておき
行きつけのお店、とっておきのお店とはつまり、自分の一部、みたいなものです。
私のように幼少期から刷り込まれているケースもありますが、自分で発見して、通って、自分の一部にしていってもいい。
そこで得られる食べ物、食べ方、サービス、雰囲気など全てのものが、どこかしら自分を形成している何かの一部となっているような、そんなお店こそがとっておきのお店なんだと思います。
だからそのお店を紹介することは、自分の大切な一部を曝け出すようで、ちょっと勇気もいるし、好きな人にしか紹介できない。誰彼構わずおすすめするわけではなく、自分の本当に大切な人にだけ、こっそり教えてあげたいのです。
自分の大切に思う人が、自分が大切にしているものを大切にしてくれる。
そんな人との関係が結べることが、「とっておきの店」「行きつけの店」を持つことの本当の醍醐味です。
たかが、行きつけの店。されど、行きつけの店。
自分を表すツールとして、また人と繋がり、人との関係性を大切にするツールとして、オトナであればそろそろ、行きつけのお店の一つや二つ、大切に、心の中にもっておいておくれやす。
《第27章につづく》
□ライターズプロフィール
ギール里映(READING LIFE編集部公認ライター)
READING LIFE編集部公認ライター、経営軍師、食べかた研究家。京都の老舗料亭3代目として生まれ、現在は東京でイギリス人の夫、息子と3人ぐらし。食べることが好き、が仕事になり、2015年にゼロから起業。一般社団法人食べるトレーニングキッズアカデミー協会の創始者。2019年には書籍「1日5分!子どもの能力を引き出す!最強の食事」、「子どもの才能を引き出す!2ステップレシピ」を出版。
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