タイムスリップ(READING LIFE)

「チッチのチ!」をもう一度《週刊READING LIFE「タイムスリップ」》


2021/11/15/公開
記事:青木文子(天狼院公認ライター)
 
 
目は真剣だ。
左足を前に出して重心を低くして構える。
盤面を見据えて息をゆっくり吐くと、一瞬空気が止まる。
 
「チッチのチ!」
どちらからともなく同時にかけられる掛け声。
手から放たれた鉄の塊はベーゴマだ。味噌樽の上に張った帆布地の上で勢いよくベーゴマが回る。帆布地は真ん中が少しくぼませてあるから、ベーゴマ同士がぶつかる。勢いが強い相手のベーゴマに弾かれて場外に飛ばされれば、勝負あった! もし、どちらも互いにぶつかり合いながら回り続ければ、最後まで止まらない方が勝ちである。
 
ベーゴマをご存知だろうか。子供の頃にベーゴマで遊んだことがある人は少数派かもしれない。ベーゴマは鋳物で作られた鉄の独楽だ。古くは平安の頃に、バイ貝の殻に砂や粘土をつめて、ひもで回したのが始まりといわれている。
 
大きさは様々だが、直径は3cm前後。いわゆる独楽のように中心に芯棒がなく、形は平たく、浅い円錐形。タコ紐を巻いて回すが、芯棒がないので、巻き方が少しばかり難しい。
 
私がベーゴマをはじめて回したのはもう20年近く前。上の子が年長のときに出会ったのが最初だった。コマのおっちゃんの舞台がきっかけだった。
 
「コマのおっちゃん」というのは、私設博物館「独楽博物館」の運営の傍ら、独楽の舞台で全国を回っている方の通称だ。江戸っ子ではないと思うが、べらんめぇ調で口が悪い。口は悪いけれども、舞台に上がったときの独楽回しや体の捌きはもう鮮やかで、子どもたちには絶大の人気を誇っている。
 
「今週はコマのおっちゃんの公演があるからみんなで見に行くよ」
 
子どもが通っている保育園の園長がある日言った。
保育園は0歳時から年長まで、全部で20人足らずの小さな保育園だった。コマのおっちゃんの公演には年少から上の子達が行くことになっていた。園長から子どもたちを連れて行く大人が足りないからと言われ、私も一緒に行くことになった。
 
会場は岐阜の小さな会館。コマのおっちゃんの公演は、見事だった。空中に放ったコマを日本刃の切っ先で受ける。手首を返して鮮やかにけん玉の技が決まる。子どもたちの付添だったつもりが、本気になった。目を凝らしておっちゃんの一挙手一投足に見入ってしまう。
 
会場のロビーにはコマやけん玉が置いてあった。子どもたちが自由に遊んで良い場所が作られていた。おっちゃんの舞台のあとに、ロビーで子どもたちは思い思いに遊び始める。私の目はその遊び場の一角に吸い寄せられた。樽のようなものの上に張ってある布。そのうえで小さなものが回っている。
 
「あれってベーゴマってやつ?」
 
私が知識だけで知っているベーゴマだった。戦後の風景が描かれる中で、よくでてくるベーゴマ。いつか回してみたいと思っていたベーゴマ。
 
近寄ってみた。
子どもの頃から独楽は得意だった。同じようなものだろう。そう当たりをつけて、置いてあるベーゴマを手にとってみた。もちろん糸の巻き方は見様見真似だ。独楽のように腕を振ってベーゴマを投げれば回るだろう、とそれらしく投げてみるけれど、見事に回らない。
 
糸から外れたベーゴマはあさっての方向に飛んでいくか、足元に叩きつけられるかだけ。ベーゴマは鉄の塊だから結構危ない。だからベーゴマだけこんな外れた場所に置いてあるのかと合点がいった。
 
危なっかしくベーゴマに苦戦する私の横で、まるで演舞のように美しい所作でベーゴマを回している男の子がいた。
 
足を一歩前に出す。味噌樽の上に帆布地をはったベーゴマの台(床という)を見据える。脱力したまま利き手を後ろに振る、と同時に綺麗に振り下ろされた手から放たれたベーゴマはまっすぐに床に向かって落ちていく。そのベーゴマは「ビューン」という鈍い音を立てて高速で回るのだった。
 
目が釘付けになった。なによりもまるで武道の方のような彼の手さばきに見とれた。思わず私はおずおずと声をかけた。
 
「あの……ベーゴマ教えてもらってもいいかな?」
 
彼は小学校4年生で名前をKくんと言った。ベーゴマがなかなか回せない私に、彼は丁寧に糸の巻き方から、投げ方までを教えてくれた。
 
それでもなかなか私のベーゴマは回らない。糸の巻き方が悪いのか、それとも投げ方が悪いのか。思わず
 
「このベーゴマ、バランスが悪いのじゃないの」
 
と口にしてしまった。
 
「ベーゴマのせいではありません。それは回す人の問題です。僕も最初そうでしたから」
 
まるで大人のような口調で言うKくん。彼は私を責めてもいないし怒ってもいなかった。思わず赤面した。かつて自分ができなかった経験を持つ人はできない人に優しいという。人生の先輩に諭されたような気がした。彼の言葉にはそんな大人な空気が感じられた。
 
その後は黙々とKくんに教えてもらったとおり、繰り返しベーゴマに紐を巻いて、そして投げた。回らないベーゴマをまた拾ってまた紐を巻いて投げた。
 
そのうちにベーゴマは回るようになった。が、今度は床(ベーゴマの台)の上に乗せられない。投げても、投げても私のベーゴマは床をはずれて足元で回るのだった。
 
30分ほどしただろうか、ふっと投げる腕の感覚が楽になった。なにかが身体の中で変わった。次の瞬間綺麗にベーゴマが床に着地して回ったのだ!
 
「Kくん、ありがとう! ベーゴマ回せたよ! 回ったよ!」
 
別の床でベーゴマを回していたKくんをわざわざ呼んだ。床の上で回るベーゴマを指差して子どものように喜ぶ私に、彼はニコッと笑ってうなずいて見せてくれたのだった。
 
ベーゴマは対戦して遊ぶものだ。ようやくベーゴマを回せるようになった私はKくんと何度か対戦させてもらった。
 
「チッチのチ!」
 
何度やってみても完敗。まったく歯が立たない。それでも何度も何度もKくんは私の相手をしてくれた。Kくんのベーゴマが上手いのは当然のことだった。その年、埼玉県川口市で開かれた全国ベーゴマ選手権大会で彼はなんと日本チャンピオンになるのだった。
 
保育園に帰って、私はさっそくベーゴマを買った。味噌樽もさがしてきて、帆布地を張って床も作った。そして子どもたちとベーゴマで遊ぶようになったのだった。
 
Kくんに出会ったのは秋だった。その年のクリスマス前に、私はコマのおっちゃんにあるお願いをした。コマのおっちゃんの公演に感激した私はそれから何回か独楽博物館にかよって、おっちゃんと友達になっていた。
 
「コマのおっちゃんの公演会のときに、ロビーでベーゴマ回していたKくんっていますよね。Kくんに保育園のクリスマス会に来てほしいと思っているんです。Kくんのお家の電話番号って、おっちゃんしりませんか?」
 
Kくんは名古屋の子だった。話を聞くと、毎週末、自転車を1時間近く漕いで、おっちゃんの独楽博物館に通ってくる常連だという。
 
おっちゃんはすぐにKくんのお母さんに連絡をしてくれた。折返し、Kくんのお母さんから電話があった。私は、おっちゃんの公演会でKくんに出会ったこと、彼のベーゴマの技の美しさに感激したこと、彼が丁寧にベーゴマを教えてくれたことを熱を込めてお母さんにお話した。
 
「保育園の小さい子たちにもKくんのコマを回す姿をどうしても見せてやりたいのです。クリスマス会に岐阜まで来ていただくことはできないでしょうか?」
 
いきなりの電話だ。断られても致し方ないと思いながらのお声がけだったが、お母さんは拍子抜けするほどすぐに了承してくださった。
 
「Kはあちこちでベーゴマやコマを回すのが好きなんです。老人ホームへの慰問もよくやっているので、大丈夫でしょう。岐阜まで私が車に乗せていきますよ」
 
その年のクリスマス会は盛り上がった。子どもたちが正座して見つめるなか、Kくんが見事にコマやベーゴマの技を披露してくれた。もちろんその後、保育園の子どもたちの間でコマが大流行したのは言うまでもない。
 
そこからしばらく私のベーゴマ好きはつづく。そして翌年のおっちゃんからお誘いをうけた。
 
「ぶんちゃん4月にな、名古屋でこままわし大会やるからこないか?」
 
コマおっちゃんが全国で「こままわし大会」を開いていることを知った。2007年の名古屋のこままわし大会は第20回。おっちゃんに教えてもらった日に小学校1年生になった上の子とまだ年少の下の子、そしてコマにハマっていた子どもたちを数人連れて、電車に乗ってこままわし大会に駆けつけたのだった。
 
場所は名古屋の大高緑地公園だった。気持ちの良い芝生広場のそこここで子どもたち、大人たちがコマをまわしている。こままわし大会は丸一日の大会で、午前はこまのパフォーマンスとこまの練習・床試し。子どもたちにコマをおしえてくれるコーナーもあったりする。
 
午後は競技会として大会の後半は記録会だ。ベーゴマのトーナメント戦や記録をとるので、子どもも大人も目が真剣になってくる。この頃には私もだいぶベーゴマが回せるようになっていた。競技会でもちょっとは勝つことができるようになっていた。
 
夢中で楽しんで一日遊んだ。帰りの電車で子どもたちはうつらうつらとしていた。電車の窓の向こうに夕焼けが見えていた。その夕焼けを見ながら思った。岐阜でもこままわし大会をやろう!
 
帰って紙に書いて考えた。
こままわし大会を呼ぶのには、多くはないが費用が必要だった。ちょうど、秋に〆切の子ども基金という国の助成金を見つけた。申請するには団体が必要だという。勢いて、路地裏遊びの会という団体を作った。代表は私、会員も私一人。そこで遊んでくれる子どもたちがいれば十分だ。
申請書に子どもたちには遊びが必要であるということ、遊びこそが子どもたちの能力を伸ばすということ、今そんな遊びの場がないことを一晩で熱くかきあげて助成金申請をした。その結果、あっさりと20万円の助成金がもらえることになったのだった。
 
いきなり作った形だけの路地裏遊びの会。助成金が来るならば活動をしなければと、おっちゃんを呼んでのこままわし大会を中心として事業計画を立てた。20万円を3つに分けて、岐阜のけん玉協会の段持ちの先生を呼んでのけん玉教室と、これまたおっちゃんに紹介してもらったディアボロ(中国ゴマ)の名手をよんでのディアボロ教室、そして最後がこままわし大会の開催だ。
 
各務原こままわし大会は、気持ちの良い芝生が広がる学びの森という公園を会場にした。おっちゃんはこままわし普及協会の会員さんたちに声をかけて、ワゴン車にコマや道具をたくさん積んで岐阜まで走ってきてくれた。もちろんKくんも来てくれた。
 
子どもたちの真剣な目、コマが回らなくて悔し泣きする子。そしてその横で本気でコマを回そうと試行錯誤している大人。コマもベーゴマも実は回すのがカンタンではない。だから子どもたちはすぐ諦めるか、というとそうではない。だれかにやらされるのではなく、自分たちがやりたいことであれば子どもたちはどこまでもそれに向かっていく。この風景を私はいつまでも忘れないと思う。
 
私のあこがれのお店がある。
とある実在のパン屋さんだ。店先にベーゴマの床が置いていあって、子どもたちが思い思いにベーゴマの対戦をしているという。パン屋のおばちゃんは手が空くと時々そこに参戦する。もちろん本気の勝負だ。おばちゃんに勝つと、パンを半額にしてもらえるという賞金がつく。おばちゃんはなかなかに手強い。子どもたちはいつもおばちゃんにどう勝つかを考えている。
 
人がなにかに夢中になっているときの目はまっすぐだ。子どもでも大人でも、そんな眼差しをみることが私は大好きなのだと気がついた。
 
人ができないことに向かっていくこと。できなくてもそれに向かっていくこと。そしてそれがいつかできること。人生はその繰り返しなのかもしれない。
 
今、私の手元に残っているのはベーゴマの小さな床がひとつと、カンカンに入っているお気にいりの数個のベーゴマとベーゴマ紐だけだ。これは私の宝物だ。いつかまたKくんに会いたいと思う。そして対戦をするのだ。「チッチのチ!」
と。その時も、もちろん真剣勝負で回すのだと決めている。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
青木文子(あおきあやこ)

愛知県生まれ、岐阜県在住。早稲田大学人間科学部卒業。大学時代は民俗学を専攻。民俗学の学びの中でフィールドワークの基礎を身に付ける。子どもを二人出産してから司法書士試験に挑戦。法学部出身でなく、下の子が0歳の時から4年の受験勉強を経て2008年司法書士試験合格。
人前で話すこと、伝えることが身上。「人が物語を語ること」の可能性を信じている。貫くテーマは「あなたの物語」。
天狼院書店ライティングゼミの受講をきっかけにライターになる。天狼院メディアグランプリ23rd season、28th season及び30th season総合優勝。雑誌『READING LIFE』公認ライター、天狼院公認ライター。

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