タイムスリップ(READING LIFE)

「そのうちお化けとの戦い方」《週刊READING LIFE タイムスリップ》


*この記事は、「ライティング・ゼミ」の上級コース「ライターズ倶楽部」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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2023/8/21/公開
記事:射手座のおっさん(天狼院公認ライター)
※実際の相談を相談者の了解を得た上で匿名かつ特定できないように属性を若干変更しています。
 
 
「そのうち始めたいことがあります」
キャリア相談をしていると、1日1回はこういう言葉を聞く。
このままじゃいけない。何かを始めたい。と漠然と思っている人は想像以上にいる。
キャリアコンサルタントとして活動を始めてから、私はこの事実を知った。
私はこれを「そのうちお化け」と呼んでいる。
このお化けはタチが悪い。曖昧でなんとなくでてきて、なんとなく居座る。
「そのうち副業しよう」「そのうちマネージャー職を目指そう」「そのうち仕事以外の趣味を作ろう」
私たちはいろいろなやりたいことを思いつくが「そのうち」に邪魔されることが多い。
しかし、退治する方法がある。
それがタイムスリップだ。
 
この日もそんな話だった。
外資系の医薬品メーカーで働くエリートビジネスマンのAさん。
あと1年で管理職から退く年齢だそうだ。
役職定年というやつだ。
「セカンドキャリアって言うのでしょうか。できるだけ長く働きたいのです。人生100年時代と言われていますし」
また、「人生100年時代」だ。
2016年ごろ、イギリスのリンダ・グラットン教授が「LIFE SHIFT」という本で提唱した言葉である。
今では5,60代の方々がこぞってこの言葉を口にする。
60歳定年が65歳まで伸びたこの時代、希望となる言葉なのかもしれない。
「そうですね。人生100年時代って言いますもんね。具体的にセカンドキャリアについては
何か考えてらっしゃるのですか」
素直に聞いてみる。
「うーん。それがわからなくて」
Aさんはうつむく。
やはりそうか。セカンドキャリアという言葉は使うけれど、具体的にはわからない。
これもよくあるパターンだ。
「わからないとおっしゃいますが、どんな風に考えているのでしょう。どんな小さなことでもいいので話してみませんか」
普通の人は「わからない」と言われたら「ああそうですか」となってしまうが
「わからない」に向き合うのはキャリアコンサルタントの大切な仕事。
100%わからないということはなく、漠然とでも思っていることはあるはずだ。
Aさんの場合もそうだった。
「そうですね。せっかくなので新しく資格をとろうと思うのですが」
「新しい資格、ですか」
「はい。ファイナンシャルプランナーの資格をとろうと思っています」
「そうですか。何か動機があるのですか」
「自分の老後に備えるのと、そういう仕事で人の役に立ちたいと思っていて。私、子どもが5人いまして、お金についてはかなり苦労をしました。お給料が安かったわけでもないのですが、とにかく出ていくお金が大きくて。今、少子化じゃないですか。子育てにお金がかかると思っている人が多いので、そういう人たちが安心して子育てできるような、お金の回し方をアドバイスできたらと思うのです」
Aさんの口調が少し熱くなったのを感じる。
「ファイナンシャルプランナーにそこまで思い入れがあるのですね。世の中に貢献したいのですね」
私は感心しつつ、ふと疑問に思ったのでタイムスリップを試みた。
「ところでAさん、この仕事を始めているところをイメージしてください。それは何年後のAさんですか」
ちょっと踏み込んで聞いてみる。
「うーん。そうですね。なんとなく老後、と思っていますが」
Aさんは口籠る。
私はあえて「ですが?」と促してみる。
「まだ始められないのです。そのうち、そのうちと思っていますが」
タイムスリップの質問で「そのうちお化け」が顔をだした。
Aさんは続ける。
「『そんなこと言う時間があったら、やればいい』とよく言われるのですが、そうは言ったってなかなかできないのですよ」
 
そのうち、と言って一歩踏み出せない人への格言はたくさんある。
思い立ったら吉日。
百聞は一見にしかず。
まず隗より始めよ。
 
かつて私は、相談者の「そのうちお化け」に諺や事例をあげて、半ば説得のようなことを試みたこともあった。
相談者は、その場では頷くけれど、実行できたかどうか。
何ヶ月か後に「やっぱり始められませんでした」と言ってくればいいほう。
そうでなければもう2度と現れない。
 
学んだことは、どんな諺もどんな説得も、本人が本当に本当に腹落ちしなければ、行動を始められない、ということだ。
 
「少し変なこと言っていいですか」
私はおもむろに口を開く。
「はい」
「『そのうち始めたい』けど始められないことはAさんがそうしているのではなくて、『そのうちお化け』がAさんにそうさせているのではないかと思うのです」
「は?」
Aさんは怪訝な顔をする。
「ちょっとおかしな人だと思いましたか。すみません。でも『そのうちお化け』ってAさんも会ったことあるはずなのです。子どもだったら『夏休みの宿題をそのうちやろう』とか。大人だったら『そのうちダイエット始めよう』とか。『本をそのうち読もう』とか。『そのうち』と言っている間に時間が経ってしまう現象です」
「ああ、それはありますね」
Aさんはうなずく。
「ですよね。で、今回も『そのうちセカンドキャリアの準備をしよう』と思っているのに
始められないのって、Aさんのこと、『そのうちお化け』が邪魔していると考えてみたのです」
Aさんは少し不思議そうな顔をしながらも、考え始めた。
「何が邪魔している。そんな風に考えたことなかったけど、仕事が忙しいから始められないと思います」
「忙しいことがAさんの行動を邪魔するわけですね。ちなみに今どんな働き方をしていますか」
「そうですね。今は30人ほどの小さな部署ですが、管理職として組織をまとめています」
少しAさんの声にハリが出る。
「組織をまとめていらっしゃる。どんな感じなのですか」
「忙しいですが、やりがいはありますね。判断しなければならないことが多くて。責任は大きいですが、チームが一丸となって目標を達成するのは嬉しいものです。この前も、とある新薬をいままで取引の少なかった病院に提案しまして、取り入れてもらうことができました。今の時代、病院との向き合い方も、お医者さんと1対1というよりは組織で向き合っていくことが大事です。また提案もオンラインとオフライン、両方ありますので、そこも戦略的に組み上げていかないといけないので、チームで工夫しています」
Aさんはどんどん饒舌になっていく。
「今の働き方について、Aさんとても楽しそうに話してくれますね。でも、ちょっと見方を変えると、その楽しさがセカンドキャリアを始めることを邪魔しているということかもしれませんね」
「うーん。たしかに今がとても楽しいので、そこを考える時間はないです。そして」
声のトーンが少しだけ落ちる。
あれ?
少し間が空いて、Aさんが言う。
「今が楽しい分、役職定年になったらどうなっちゃうのだろうって」
小さな声で言う。
「どうなっちゃうのだろうとは」
「うーん。あと1年したら、役職定年で管理職を降りないといけないのです。そうすると、なんだか自分の仕事がなくなるような気がして」
「自分の仕事がなくなるとは?」
「今のように組織の意思決定をする立場ではなくなると、仕事を奪われたような気になるのです」
「仕事を奪われるのはどうですか」
「理不尽だと思います」
「どんな理不尽?」
「今だって結果をだしているのに、年齢である日突然、仕事から離れさせられるなんて」
「ある日突然、ですもんね。もっと言いたいことあるのではないですか」
一般にこの年代の男性は感情を表にださない方が多い。なので、私は煽る。
どんどん気持ちを語ってもらう。
「ここまで一生懸命やってきたし、今動いているプロジェクトだって、こうしたらいい、ああしたらいい、という道が見えているのです。それなのにあと1年でその戦略も、次の管理職の意向によって変更される。積み上げてきたものも無くなってしまう感じです」
「もっとありませんか。ありのままの言葉言ったら」
さらに煽る。
いままで丁寧な口調だったAさんが絞り出すように言う。
「ふざけんな、って思います」
「もし、なんでも言っていいとしたら、なんて言いたいですか」
Aさんが言う。
「こんな風におわるなら、返してほしいです。役職についてからの5年間」
私は言う。
「つまり、役職についてからの5年間、Aさんは会社のために捧げたように思うのですか」
「そうですね。だから役職定年が怖かったのだと思います」
Aさんの本音がでた気がした。
「どうですか。もし、役職定年がなかったら、Aさんの人生、会社のために捧げてもいいですか」
思い切って質問してみた。
「そう言われると、どうでしょう。そこまでは思えないかもしれませんね」
Aさんの気持ちと考え方に変化が現れ始めた。
それを確かめるために、もう一度タイムスリップしてもらうことにした。
「もし、5年前のAさんに何か言うとしたら、なんて言いますか」
「あー、そうですね。『頑張りすぎるなよ。役職定年になったら色々変わってしまうから』って言いますね」
「なるほど。とすると、もう一度質問したいのですが
Aさんがセカンドキャリアのために始めることを邪魔していた『そのうちお化け』ってなんでしょうね」
しばらく考えて、Aさんは口を開く。
「会社のためだけに時間を使っていたこと、ですかね」
「とするとこれからはどうしたいですか」
「そうですね。自分のためにも時間を使いたいです」
Aさんは即答する。
「それ、できそうですか。あと1年は管理職ですよ」
Aさんは考える。
「そうですねえ。色々構想はあったけど、あと1年ですから、少し割り切ってもいいのかもしれません」
「割り切る、ですか」
「そうですね。自分のための時間を作ります」
「割り切った部分はどうするのですか」
「リーダー職の部下に任せます」
「そうすると時間はできそうですか」
「できると思います」
「ではその時間で何をしましょうか」
「そうですね。ファイナンシャルプランナーの勉強ですかね、いや、それだけじゃない気がします」
Aさんが意外なことを言い始める。
「でもなりたいのですよね。ファイナンシャルプランナー」
「はい。でも勉強だけじゃない気がするのですけど、何をすればいいかわからない」
私はまたタイムスリップを試みた。
「たとえば、3年後ファイナンシャルプランナーになっているAさんがいたとしましょう」
「はい」
「そのAさんは、今のAさんに何をしてほしいと思いますか」
「うーん。そうですねえ」
Aさんは答えに困っていた。無理もない。いきなり想像は難しいだろう。
「いいですよ。ゆっくり考えて。3年後、資産形成や家計のことでお客様に感謝されているAさんになってみてください」
「はい」
「そのAさんは役職定年1年前に何を始めたのでしょうか」
「あっ。勉強だけじゃなくて」
Aさんの顔が明るくなった。
「だけじゃなくて?」
言葉を続けてもらおうと相槌を打つ。
「お客様を見つけるための人脈作りをしないといけないと思いました」
Aさんの顔が明るくなった。
「勉強以外も思いついたのですね」
少し驚いた。答えがAさんの中から自然と湧き出てきたからだ。
「はい。そう考えるとこの1年は、『そのうち』とは言っていられませんね」
「どんな風になりそうですか」
「今日帰ってから、まずいままで交換した名刺を整理します。で、人脈を広げる方法を考えます。もちろん勉強も始めます」
 
Aさんの表情が始めと180度変わった。
「どうですか。『そのうちお化け』はまだいますか」
「いや、もういません」
即答だった。
「目の前のことに囚われていると、知らず知らず『そのうちお化け』がでてくるんだなとわかりました」
少し余裕のでたAさんの言葉だった。
 
「そのうちやろう」
もしそんな風に思ったら、過去の自分や未来の自分にタイムスリップしてみてはどうだろう。
本当にやるべき「そのうち」だとしたら
「あのときの後悔を2度としないでほしい」とか
「今やっておいてくれたら、数年後充実するよ」とか
答えてくれるはず。
「そのうちお化け」を追い払ってくれるはずだ。
 
私もこれから未来の自分にタイムスリップするつもりだ。
「そのうちダイエットしようお化け」を追い払うために。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
射手座のおっさん(天狼院公認ライター)

静岡県生まれ。クリエイティブディレクター、コピーライターとして大手企業のブランディング、CM、web等の広告制作を手がける。公認心理師、合格率6%の1級キャリアコンサルティング技能士実技試験に一発合格。レンタルおじさん。カウンセリングや相談歴は5000人10000時間を超え、独自の傾聴術「かきくけこヒアリング」を開発。趣味はルノアールのパトロールとDJ。人間のもやもやを言語化することがライフワーク。

メディア出演:レンタルおじさんとして、ぽかぽか(フジテレビ)ハナタカ優越館(テレビ朝日)声優と夜遊び(abema TV)デンマーク国営放送、BBCラジオなどに出演

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