タイムスリップ(READING LIFE)

タイムスリップしてもこの道≪通年テーマ「タイムスリップ」≫


記事:なつき(READING LIFE編集部 ライターズ倶楽部)
 
 

今、あの時に戻れたら、がんにならない選択肢をするだろうか。
今、時間を戻せる機会があったら使うだろうか。
 
一昨年の春、体にがんが見つかった。手術することになった。幸い自分の体の異常に気付けたので早めに病院に行くことができた。命までは取られないようだった。身近に「がん」を経験した人がいたから早めに診察を受けた。無かったら私は気のせいで済ませていたかもしれない。その人のことがあったから物語の世界だけでなく現実にもあるんだということを肌で感じることができたのかもしれない。体の変調に気づいて、医師から「がんです」と言われても、やっぱりね、きましたかと、それほど衝撃を受けなかった。
 
そして手術、抗がん剤の治療を行った。治療後数か月経つが、現時点では転移はない。手術で切り取った部分があって、それはもう戻ってこない。時間を戻せたら、しこりができる前の自分に戻せたらと思うこともあった。そうしたら切り取らないで済むのだろう。でも時間を戻すことはできない。ではもし時間を戻せたとしたら、切り取らないで済んだら、今の私はどうだったのだろう。
 
健康だったら、何か違っていたのか。あれ? 何も変わらない。体に無くなった筈のものがある、それだけのことだ。それはあるのが当たり前だった。無くすなんて思ってもみなかった。女性にとっては大きな痛手だ。でも現実に無くしてみて、そのことを終始考えているかというとそうではない。生活に困るかというとそこまででもない。無いよりあった方が嬉しい、程度のものだ。
 
それよりもその治療期間に経験したことの方が私にとって大きい。手術入院で年が近い方と同室になり、色々話し、楽しい入院生活を送れた。担当の看護師はローテーションで変わったが、どの方もいつも笑顔。質問にも的確な回答で、寄り添ってくれとても頼りになった。入院しなかったら出会えない方々だ。私は笑顔が得意でない。いつも笑顔にどれだけ励まされるものなのか身をもって知った。
 
退院した後に抗がん剤治療が始まるが、抗がん剤治療は定期的に通院し数時間の点滴を受ける形。1日に200人近く抗がん剤点滴を受けていることを知った。大きな治療室でカーテンで仕切られたリクライニング椅子が50席程あり入れ替わりで点滴を受ける。日々これだけの患者がいることに勇気をもらい、その数だけ日々こなす看護師は本当に大変だと思った。度重なる抗がん剤のために血管が細くなる。点滴は血管に行うが1回で血管にたどり着けないこともある。その度に針を刺しなおす。神経の磨り減る仕事だと思う。その仕事をしてくれる看護師という職業に敬意を覚えた。
 
治療中もなんとか勤務を続けられた。職場に打ち明け、抗がん剤で髪が抜けることを伝えた。通常抗がん剤で髪が抜けた時には医療用ウィッグを使用する人が多い。でも私は肌がとても弱い。ウィッグで蒸れたり、肌が荒れるのが怖かった。前例のない帽子勤務を許可してもらった。おかげで肌が荒れずに済み、現在は髪もだいぶ伸びてきて帽子もお役御免になった。
 
とまあ、他にも出会った人、物、事、数え上げたらきりがない。がんになったから見えたものがたくさんあった。もし私が突然あの時に戻ったら、これらを無くしてまでがんになる前の自分を取り戻したいと思うだろうか。
 
がんにならなかった、あるいはもっと軽い治療で済んでいた場合はどうだっただろうか。いつも通り仕事に行って、夕飯の買い物をして、ご飯を作って。休みの日は好きなことをしてだらだら過ごす。これまで通りの日常が繰り広げられていただろう。私は結構力持ちだったので重たいものも難なく運んで。ちょっと体を壊してもすぐ治って。一見そっちの方が良さげだが、私は無理をしがちだった。無理をして怪我もする。自分を過信していた。それが「がん」を経て、自分を過信しなくなった。きつい時には言葉を飲み込まず言うようになった。そして、無理をし過ぎないために暮らしにメリハリをつける様になった。もし「がん」を経験せずにいたら、あの頃の私は今のように成長できていただろうか。
 
もちろん、かわりに別の経験を積んでいただろう。別の成長があったかもしれない。でもその岐路にタイムスリップすることがあったら……。相当に悩むだろう。今の自分が得たものと、「がん」にならなかったかもしれない自分と。それでも私は、結局この道をまた歩きなおすだけだと思う。「がん」になってから得たものが大きかった。とても大きくて、失うのは勿体ない。この経験は自分にとって糧だ。
 
もしあの時の私に戻れたら……戻ったら……それでもこの糧と引き換えにしてまで「がん」を無かったことにしたいとは思わない。

 
 

❏ライタープロフィール
なつき(READING LIFE編集部 ライターズ倶楽部)

東京都在住。2018年2月から天狼院のライティング・ゼミに通い始める。更にプロフェッショナル・ゼミを経てライターズ倶楽部に参加。書いた記事への「元気になった」「興味を持った」という声が嬉しくて書き続けている。

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2019-03-19 | Posted in タイムスリップ(READING LIFE)

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