20年前の母の思い出と夏の空《週刊READING LIFE 「タイムスリップ」》
記事:しゅん(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
あなたは過去に後悔していることがあるだろうか?
恋人のことかもしれないし、家族のことかもしれない。
私の場合は、母の最後の瞬間に立ち会えなかったことだ。
その日、その場に居たにも関わらず。
もう20年程前の話になる。
やっと子供たちが独立し、夫婦二人の生活を楽しみだした頃、母のガンが見つかった。少し前に帰省した時には「お母さん、太鼓やってみたかったのよね」なんて楽しそうに太鼓教室に通っていたのに。
手術を何回かして入退院を繰り返した。その後、別の病院を紹介してもらった頃には全身に転移してしまっていた。
母の最後の夏、私はちょうど会社の夏休みで帰省していた。
父からは、そろそろ危ないようだと聞いていたものの、病院で見た母は意識もしっかりしていたし、自分で動くこともできた。身体はカリカリに痩せてしまっていたが、正直まだ死が近い実感はなかった。
ある日の午前中、まだ家に居たところ病院から電話があった。「急いで病院に来てください」と。そこで父と二人で喫茶店でランチを食べてから病院に向かった。結果的に何もなかったので良かったのだが母は涙ながらに「遅い!」と怒っていた。きっと心細くて不安だったんだろう。悪いことをしてしまった。それくらい死の実感がまだなかったのだ。
午後の時間をだいたい母の病室で過ごした。一人暮らしをしている私の様子を話したり、付き合っている女性の話をしたり、私が子供の頃の思い出など、色んな話をした。母はたまに「花火を見に行きたいなぁ」と言った。体力が落ちてしまっているのでさすがに花火を見に連れていくのは難しく「また、退院したら行ったらいいじゃん」というのが精一杯だった。口にはしなかったが本人には「もう無理かもしれない」という思いがあったのかもしれない。
母が元気なうちは、たまに帰省しても地元の友達に会うとすぐに出かけてしまっていた。病気になったおかげで、こんなに母とゆったり過ごす時間を持てたのは皮肉なことだ。でも、病室で母と向き合ってゆったり過ごす時間ははとても幸せな時間だった。それでも「あとどれくらい、こんな風に過ごせるんだろう?」と時々不安になった。目の前に居るのにもうすぐ居なくなってしまう。それは、心細いような、寂しいような、悲しいような不思議な感じだった。ふと、母のほっぺたにキスをしたくなった。「ありがとう」の感謝の気持ちで。でも、できなかった。母にどう思われるか恥ずかしかったからだ。今思えば、あの時、母のほっぺたにキスをしておけば良かった。母は照れて嫌がったかもしれないけれど。
ある晩、そろそろ心の準備をするためにアルバムを開いた。そこには小さい頃の私と若い母の姿があった。子供の頃は随分大人だと思っていたが、実はまだ20代で、その当時の私と同じくらいの年齢だった。母が一生懸命に、小さい頃の私を育ててくれたからこそ、今の私があるんだなとアルバムに見入ってしまった。次の日、病院に行った時につい口を滑らせてしまった。「昨日、アルバム見たんだけど、お母さん若かったね〜」と。「そりゃそうよ〜」という返事を期待したのだが、返ってきた答えは「葬式の写真探してるの?」だった。「しまった」と思ったがもう遅い。気まずい雰囲気になってしまった。
そして、母の最後の日、私は病院に居た。
その日もいつものように病室で話をした後、私はコーヒーと煙草のため病室をでた。病室に戻るとその間に往診があったらしく、処置の同意書にサインを求められサインをした。そして処置を施された後しばらくすると容体が急変してしまった。医師か看護士さんに「ご家族の方々を呼んでください」と言われ、慌てて家族と近しい親戚を呼んだ。
そして私が祖母と叔母を車で迎えに行くことになった。病院から往復1時間ほどの距離だ。しかし道路は渋滞していた。「母はまだ大丈夫なんだろうか?」イライラしながら1時間半程掛けて病院に戻ると、すでに母は亡くなっていた。家族は運転中の私に連絡して動揺させてはいけないと携帯には連絡してこなかったそうだ。その日病院に付き添っていたのは私だったのに最後の瞬間に私は立ち会うことができなかったのだ。
そもそも誰が迎えに行けと言ったのだろうか? どうしても思い出せない。もしかしたら母自身が最後の瞬間を私に見せたくなくて言ったのかもしれない。そんな気もする。それでも、もし過去に戻ってやり直せるのならば、この瞬間をやり直したい。「おばあちゃんとおばちゃんにはタクシーで来てもらおうよ。俺、ここに居るよ」って。そして最後の瞬間には母の手を握ってこう言うんだ。「ありがとう。お疲れさま。またね」って。
人間って本当にあっけないものだ。
ついさっきまで話してたのに急に居なくなってしまう。
目の前に居る大事な人と同じ時間を過ごせるのは、当たり前のことじゃないんだ。
それ以降、強く思うようになった。
母が亡くなった日について思い出すとき、最後に思い出すのはこんな場面だ。
亡くなった母を乗せた車が葬儀場に向かう頃には、外はすっかり暗くなっていた。まっすぐな道を東へ東へと走っていると、道の先の方の空が急に明るくなった。
「ドーーン! ドーーン!」
空に花火の明るい光が広がっていた。今日は花火大会だったんだ。しばらく目の前で打ち上がる花火を見た後に、車内の誰かがつぶやいた。
「お母さん……花火だよ……
花火見たいって言ってたもんね……良かったね……やっと見れたね」
その言葉に涙が溢れてしまい花火が見えなくなってしまった。静かな車内には花火の音とすすり泣く音だけが響いていた。
「ドーーン! ドーーン!」
最後に、母へ。
「もうすぐ20年経つんだね。あの当時のお母さんの歳に大分近づいてきてるよ。こうやって思い出してみると、色々反省するところがあったね。ごめんよ。
でもお母さん約束したよね? 『マイペースで子供っぽいお父さんを残して先に逝っちゃダメだよ。自分が選んだんだからちゃんと責任取ってよね』って。その約束破ったんだから、おあいこってことにしといて。
奥さんと孫を見せてあげられなかったのも残念かな。みんな元気にやってるから心配しないでね。お母さんの子供に生まれて良かったよ。ありがとう」
❏ライタープロフィール
しゅん(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
ソフト開発のお仕事をする会社員
2018年10月から天狼院ライティング・ゼミの受講を経て、
現在ライターズ倶楽部に在籍中
セキュリティと心理学と創作に興味があります。
この記事は、天狼院書店の大人気講座・人生を変えるライティング教室「ライティング・ゼミ」を受講した方が書いたものです。ライティング・ゼミにご参加いただくと記事を投稿いただき、編集部のフィードバックが得られます。チェックをし、Web天狼院書店に掲載レベルを満たしている場合は、Web天狼院書店にアップされます。
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