さよならの北海道旅行《週刊READING LIFE vol.9「人生で一番思い出深い旅」》
記事:牧 美帆(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
「え、美帆ちゃんは、まだ北海道に行ったことがないんか?」
「それやったら、私らと一緒に行くー?」
2009年7月、29歳でまだ一度も北海道に行ったことがなかった私に声をかけてくれたのは、旦那であるユウの両親だった。
自分の実家は小さな進学塾を営んでいて、正月もお盆も授業。まとまった休みは取れなかった。
また、実家にいたころは門限があり、旅行どころではなかった。
そして26で結婚したユウは飲食の仕事。ただでさえ休みが少なかったうえに、2007年に子どもを死産してから、更に仕事ばかりするようになり、そのまま職場から帰って来ないこともあった。
要するに私は、北海道や沖縄など、自分の住む関西から1泊2日で行くにはしんどい場所には、行ったことがなかったのだ。
私は、月に2回ほど、ユウの実家に顔を出していた。
買い物をしたりテレビを見ながら過ごしていると、仕事を終えたユウが迎えに来る。
そこで少し団らんをして、それからユウと二人で家に帰るというのが、いつものパターンだった。
義両親にユウの顔を見せたいという意図もあったし、義両親もまたそれを期待していたんだろうと思う。
働き詰めの息子のことは、二人とも心配だろうし。
「あー、でも、私は休み取れると思いますけど、ユウさんはどうかなぁ……」
「ああ、ユウは別にええんや。私らは美帆ちゃんと行きたいんやから」
「せやせや。いっつも僕ら二人やからな。たまには三人で旅行も楽しいやろ」
そして、私の初めての北海道旅行が決まった。
義実家からの帰り、電車に揺られながら私はユウに声をかけた。
「なあ、やっぱりユウは行かれへんの? 北海道旅行」
「ああ、パートさんが一人辞めてもうてなー。休まれへんわー」
「二人とも、ほんまはユウと旅行したいんやと思うねんけどなぁ」
「そんなことないやろ。純粋にお前と旅行いきたいねんて」
「……」
「まあまあ、俺のことは気にせず、羽を伸ばしてきぃや。な?」
ユウはそう言って、私の肩をポンポンと叩いた。
義両親と行ったのは、2泊3日で函館、旭川、富良野、小樽を巡る、阪急交通社の道南バスツアーだった。
お義母さんによると、お義父さんが大酒飲みで、自分で運転すると昼間からお酒が飲めないため、いつもバスツアーなんだそうだ。
初日は函館に泊まり、二日目はトラピスチヌ修道院に五稜郭。
もう8月だというのに、北海道ではあじさいがたくさん咲いていた。
大沼公園では、「千の風になって」発祥の地の碑を見学。「千の風になって」が発表されたのは2008年であり、ちょうど話題のスポットだったのだ。作曲家の新井満氏が、大沼でこの曲を書いたのだそう。
それから沼の家(ぬまのや)で、ぷるんとした名物の大沼だんごを食べた。ユウへのお土産にしたかったが、当日しかもたないそうで断念。
沼の家 http://www.onuma-guide.com/spot/numanoya/
そして、ニセコでもっとも美しいとされる神仙沼へ。
霧に包まれた、神秘的な光景に目を奪われる。
ここにユウと一緒に来たかったな……この場にユウがいないことは残念だったが、その気持ちはぐっと飲み込み、目の前に広がる景色を義両親と楽しんだ。
夜はニセコの「キロロリゾート」に宿泊。
初日は、お義母さんと一緒に大浴場に行くのが気恥ずかしかったが、2日目にはすっかり慣れてしまった。
翌日はさらに東へ。
お義父さんは、バスの中で陽気に酒を飲んでいる。
「お父さんったらお酒飲むか寝てるかなんやから。美帆ちゃんがおってよかったわー」
と、お義母さんは笑った。
旭山動物園では白くまを見るのに30分並び、富良野では、満開のラベンダー……と言いたいところだが、残念ながらラベンダーの時期はすでに終わってた
ラベンダーは見られなかったものの、ラベンダーによく似たラバンディンという紫の花が満開だった。
「別に、これも十分綺麗やんなぁ」
と言い合いながら、富良野の自然を堪能し、ラベンダー味のアイスを食べた。じゃがバターもおいしかった。
3日目の小樽は、自由行動。義両親たっての希望で、石原裕次郎記念館へ。(※2017年8月31日に閉館)
映画のポスターや、当時の衣装、セットがずらりと並ぶ、昭和な空間。
義両親は「やっぱり男前やねぇ」とても楽しそうだった。
昼ごはんは、タクシーの運転手さんにおすすめを教えてもらい「寿し処ひきめ」へ。
新鮮でリーズナブル。「やっぱりこういうのは地元の人に教えてもらうのが一番やねー」と言いながら、回らないお寿司を堪能した。
寿し処ひきめ http://hikime.com/
小樽では、バスガイドさんに「濃厚だから絶対食べて!」とおすすめしてもらった「牧家(ぼっか)カチョカヴァロチーズ」を大量に買い、帰路へ。
大阪について真っ先に感じたのは、「湿度、たっか……」だった。
関西空港で晩ごはんを食べて、駐車場へ。
義両親は、疲れているにもかかわらず、家まで車で私を送ってくれた。
2006年にユウと結婚する際、私ははっきりと「同居はしません」と義両親に宣言した。
今思えば、あんなことよく言ったよなと恥ずかしくなるが、私の家も祖母と同居していたが、祖母は母が気に食わなかったらしく、よく嫌味を言っているのを耳にしていたからだ。
しかし、義両親は、そんな失礼な私にも、とても優しくしてくれた。
今回の旅行も、本当は少し不安だった。
ミスして、怒らせてしまって、険悪になってしまわないだろうか?
しかしそんな心配は取り越し苦労だった。終始、和やかに過ごすことができた。
ユウと結婚してよかった、なぜなら素敵な家族が増えたから……。
もっと、大切にしなければ……。
そして家に帰った夜、ユウが眠り込んだタイミングを見計らって、私はユウの鞄から、財布を取り出した。
ユウの財布からは、金沢のホテルの領収書が見つかった。
領収書に書かれた日付は、私が義両親と旅行をしている日にちと、一致した。
つまり、ユウは私がいないのをこれ幸いと、ちゃっかりと不倫していたということだ。
そんなわけで、私が義両親にユウの不倫を訴えたとき、義両親は怒り、私の味方をした。
それもそうだろう。自分たちとの旅行よりも、不倫相手との旅行を選んだわけだから。
正直なところ、「やるかもしれないな」とは少し思っていた。
その数日前に、ユウの財布から「余命一ヶ月の花嫁」という、一人や男同士ではまず観ないだろう映画のレシートが見つかったのだ。
後から思えば、慰謝料をふんだくるのであれば、この北海道旅行が最大のタイミングだった。
そのタイミングで探偵に依頼し、ユウの尾行でもしてもらえば、確たる証拠がつかめただろう。
それでもやらなかったのは、「さすがにそこまではしないだろう」という私の甘さと、かすかな期待からだった。
最終的に慰謝料をもらわず離婚したのは、子供がいなかったのが一番大きかったし、裁判で消耗したくないのもあったが、義両親を苦しめたくないというのもあった。
ユウが他の女性に心変わりしたという事実は、私のプライドを粉々にし、たまらなく惨めな気持ちにさせた。
自暴自棄になる、一歩手前だった。
そこで踏みとどまれたのは、その後に結婚する、今の夫に支えてもらったのもあるが、義両親と楽しい旅行をした想い出に助けられたことも大きかった。
結局ユウとは家族にはなれなかったが、ユウの両親とは、少しの間だけだけど、家族になることができた。
もしこれで義両親と仲が良くなければ、「ふたりも、私よりも不倫相手の方がいいと思ってるんだろうな」と疑心暗鬼になり、立ち直れなかったかもしれない。
北海道旅行の記憶は、私の失いかけた自信をつなぎとめ、前に進む勇気をくれたのだった。
❏ライタープロフィール
牧 美帆(Miho MAKI)
兵庫県尼崎市生まれ、大阪府堺市在住のコテコテ関西人。
幼少の頃から記憶力に難ありで、見聞きしたことを片っ端から忘れていくが、文章を書きつづり、ITを使い倒すことでなんとか社会人として生き延びている。
ITインストラクター、企業のシステム管理者を経て、現在は在宅勤務&副業OKのベンチャー企業でメディア全般を担当。趣味は温泉。
メディアグランプリ週間1位3回/READING LIFE公認ライター。
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