週刊READING LIFE vol.9

人生で一番の思い出の旅の目的地は、ファストファッションとファストフードだった。 《週刊READING LIFE vol.9「人生で一番思い出深い旅」》


記事:相澤綾子(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)

「今日、絶対に決行しよう!」
次男が1歳の誕生日を迎えた日、朝起きるとすぐに私は心の中でそうつぶやいた。窓の外はまだ薄暗かったけれど、一日中気持ちのよい天気が続きそうなことは、空の雰囲気で分かった。

長男と次男はちょうど1歳半違い。まだまだ二人とも手がかかった。出かける時には、長男をベビーカーに乗せ、次男をおんぶし、行先は公園とスーパーだけの毎日だった。最初のうちはスーパーで必要最低限のものをかき集めて買うのさえ、気晴らしになった。少し余裕が出てくると、新しいシャンプーにしてみようかと商品棚を眺めてみたくなった。けれど、いろいろ目移りしてつい時間を費やしてしまうと、限界になった子どもたちが大騒ぎを始め、退散しなければいけなかった。でもそれもできるようになると、物足りない気持ちがしてきた。
近所の家のママ友と交流するのは楽しみだった。子どもたちを遊ばせながら、親同士の会話が楽しめる。いつもと違う空間とおもちゃと他の子の刺激で、子どもたちは夢中になっているから、ちょっとのんびりもできた。
土日は夫がいたから、車でおでかけしたりした。まだ夫が二人を長時間見るのは無理だったから、のんびりショッピングなんてことはほとんどできなかったけれど、それでも少しは夫に任せて1時間程度でかけたりすることはできた。
友達がいたり、夫が時間をくれるのは、とてもありがたいことだった。でもうまく言えないけれど、やはりどうしても、それだけでは物足りなかった。
子どもたちは日々成長して、色んなことが楽になっていった。最初の頃なんか、3時間おきの授乳で睡眠も思うように取れなかったはずなのに、まとめて眠ってくれるようになって、夜はぐっすり眠ることができるようになった。首が据わっていなくておんぶができなかったころは、家事の時間を確保することさえ難しかった。おんぶして出かけられるようになってからは、スーパーにも行きやすくなった。
冷静に考えれば、少しずつ、色んな事ができるようになっていた。さらに子どもたちが成長すれば、元通りの生活ができるようになるということは想像できた。けれど、それはあまりにも遠過ぎて現実味がなかった。
私の祖母はよく「鮭なら子どもを産んだら死んじゃうんだから、生きているだけでもありがたいと思わなければ」と言っていた。確かにその通りだ。私は生きているし、色んなことができている。すぐにというわけではないけれど、もう少し時間が経てば、また新しいことにチャレンジしたりすることもできるだろう。
それは分かっていた。
でも、それを静かに待っている気分にはなれなかった。

子どもが眠っている間、私はインターネットでファストファッションのサイトを見た。思い起こせば、長いことリアル店舗に行って洋服を買うということはなかった。久しぶりに買ったのは、まだ長男だけだった時に、親に預かってもらって慌ただしく買い物に行った時が唯一だった。
自分のものはインターネットで買っても良かったのだけれど、やはり実際に手触りなどを確認しないと100%気に入るということはなくて、結局あまり着なくなってしまう。いくつか気になる服を見つけつつ、購入ボタンをどうしても押すことはできなかった。
土日に夫に子どもを見てもらうか、一緒に来てもらって、買うことも考えた。でも土日のショッピングモールは必ず混雑する。レジも混雑するだろう。それを考えると気が滅入った。
二人連れて行ってみようか。
ふとそんな考えが頭に浮かんだ。大変かもしれない、子どもたちはすごくグズるかもしれない。結局大変な思いをすることになるかもしれない。
やめた方がいいのだろうか。
でもこんな風にいつまでも子どもたちのために行動範囲を狭めていたら、いつまで経っても子どもたちがおでかけに慣れてくれないかもしれない。
一度くらい試したって、いいじゃないか。
私は考えた。一番近いショッピングモールに行くよりは、電車で5駅行った先にいけば、駅から近いところにファストファッションの店がある。その方が歩く距離も少なくて済む。
30分程度お店を見て、その後で、お茶をしよう。いや、お茶は無理そうだったら諦めよう。駅の売店でお茶とお菓子を買って、子どもたちと一緒に飲むだけでもいいじゃないか。
行くのは来週の、次男の1歳の誕生日にしよう。その日は、私が2児の母になって1年の記念日ということになる。それくらいのごほうびを自分にあげたっていいじゃないか。

雨が降ったらやめよう。
子どもの体調が悪そうだったら、もちろん中止しかない。
その日、昼過ぎにきちんと昼寝してくれなかったら、諦めよう。
3時くらいに気持ち良く目覚めなかったら、延期しよう。
そう心に決めて、私は必死にそうならないように祈りつつ、次男の誕生日までの毎日を過ごした。

そして当日の朝、外はきれいに晴れていた。6時過ぎに目覚めた子どもたちは元気そうだった。念のため体温も測ると、二人とも、36度台後半、平熱だった。
何かがあって遅くなった時のために夕食の下ごしらえまで朝のうちにしておいた。
朝のうちに二人ともウンチをしてくれたのはラッキーだった。出先でウンチのオムツを交換するのはあまり嬉しいことじゃない。そのリスクが減ったのはありがたい。
お昼を食べた後にぐっすりと昼寝をしてもらうため、公園に連れていき、シーソーや滑り台で遊ばせた。あまり疲れすぎて昼を食べる前に寝てしまうと困るので、頃合いを見計らって、家に帰ろうと声をかけた。
昼食を食べさせて、昼寝をした。自分も少しウトウトしつつ、子どもたちが完全に寝入ったのを確認すると、そっと部屋を出た。
これであと昼寝の寝起きさえ良ければ、でかけることができるのだ。そう思うと、嬉しさで胸がいっぱいになりそうだった。でも行けなくなってしまうかもしれないから、と私は必死で気持ちを抑えた。着替えやオムツ、飲み物を準備し、肩掛けのバッグに詰め込んだ。ベビーカーは思わぬ段差があった時に抱えて運べるように、軽い方を選んだ。窓の外を見ると、天気は相変わらず良かった。
ネットで電車の時間を再確認した。駅までの歩く時間、おやつをあげていると時間がかかり過ぎるので、起きたら飲み物だけあげることにして、でかけようと考えた。それらを逆算して、2時50分に子どもたちが眠っている部屋のドアを開け、起こそうと思った。3時10分までには起こさなければいけない。2時間半は眠ったことになるから十分だろう。自然に目覚めなかったとしたら、抱き上げて起こそう。そうだとしても、ひどく泣かなかったらでかけることにしてもいいんじゃないか。
ドアを開け放つと、長男はすでに目覚めつつあったのか、すぐに部屋から出てきた。次男もしばらくすると、ハイハイで部屋から顔を出した。二人とも十分に眠ったようで、すっきりした表情だった。
「今日はこれから電車に乗って、おでかけするよ! 嬉しいね」
そう言いながら、二人に飲み物を飲ませた。嬉しくてたまらないのは私だ。

電車の時間までには余裕があったけれど、念のため足早に歩いた。おんぶされた次男もいつもと雰囲気が違うことに気付いたのか、背中でよく動いた。駅までの道はベビーカーを押しながらの登り坂だったけれど、それでも出かけられるワクワクと解放感で、足が少しも重く感じられなかった。
電車に乗ると、平日の昼間だったからそれほど混雑していなくてほっとした。すぐにドアのそばに陣取り、ベビーカーのストッパーをかけた。おんぶした次男が外を眺められるような向きに立った。長男はベビーカーだったから外は見られなかったけれど、慣れない雰囲気に飽きることはなかったようだった。
目的地に着いて、電車を降りた。乗り換え駅だったからそれなりに人通りが多く、ホームが混み合っていた。私は人の流れがゆっくりになるのを待ってから、改札に向かった。
目的のファストファッションの店は、その店舗はでかけたことがなかったけれど、ネットでよく場所を調べておいたから、迷わずに行くことができた。いくつか候補にしていたものを探し出し、鏡の前で身体に当てた。本当なら試着したかったけれど、その間子どもたち二人が試着ルームの中でおとなしくしているとも思えなかったので、試着せずに決めることにした。
最後に濃いグレーのシンプルなズボンと靴下を買うことに決めて、レジに並んだ。ひとめぼれするほどの服ではなかったけれど、今持っているトップスとの組み合わせを考えながら、いい買い物ができることがとても嬉しかった。こんな買い物なんて、普通に考えれば大したことじゃないのかもしれないけれど、今の私にとって、すごく特別なことだった。子どもたち二人を連れて、ちゃんと手触りを確かめて、身体に当ててみて、それで買うことができたのだ。このズボンは私にとって特別なものになるだろうと思った。
子どもたちは意外にもずっとおとなしくしていた。鏡に合わせている間はすこし不機嫌な声を出したりしたけれど、その後は大丈夫だった。洋服を買う時間は30分と決めていたけれど、5分早く完了した。これはお茶にもチャレンジできるかなと考えた。
本当ならちゃんとしたお店に入りたかったけれど、待ち時間が長かったり、騒いだりイタズラしてカップを割られたりしたらと思うと、ファストフードがいいと思った。
私はフライドポテトとジュース、コーヒーを買い、席を探した。長男をベビーカーから降ろし、席に座らせた。次男もおんぶから外して、膝に座らせた。おんぶしたままだったので、私の身体もきつかったけれど、同じ姿勢で長男も次男もつらかっただろう。ジュースは次男用に持参したストロー付きコップに移し替え、長男にはストローで飲ませた。フライドポテトを長男と分けていると、次男も手を伸ばして食べたがったので、塩気を払ってから、口に入れた。
コーヒーにはミルクだけ入れて、少し冷めたのを見計らって飲み始めた。ファストフードのコーヒーなんて大したことないだろうと思っていたのに、口に含むとコーヒーのいい香りが口の中に広がった。その後すぐに、心地よい苦みとミルクの甘みを感じた。
「おいしい」
思わず声に出してしまった。不意に目頭が熱くなって、目の前がにじみ始めた。どうして泣きたくなったのだろう。こんなにコーヒーがおいしく感じたのは初めてな気がした。こうしてちょっとだけ冒険して、やってみたいと考えたことが実際にできたことがとても嬉しかった。そして、自分がいつもどんなに頑張っているのか、ということに気付いた。誰が何と言おうと、私は本当に頑張っている。そんな風に自分を認めることができた。そして、今日は私一人で子どもたちを連れて、おでかけして、買い物もして、お茶さえできた。

鮭なら子どもを産んだら死んでしまう。でも私は鮭じゃない。

ちょっと大変かもしれないけれど、やってみたいと思ったことはチャレンジしてみてもいいのだ。子どもを育てているからといって、色んなことができなくなるわけじゃない。できそうなことはやってみてもいいし、うまく行かなかったとしたら、少し時間を置いてまたチャレンジすれば良いのだ。
買い物の喜びと、コーヒーのおいしさ、付き合ってくれた子どもたちのありがたさに気付けて、すごく幸せだった。旅というにはちょっと短すぎる冒険だったけれど、私にとってはとても大切な経験で、その後も何度も思い出したし、ファストフードのコーヒーに泣いた自分にちょっと笑いつつも、これからも懐かしく振り返るだろう。

❏ライタープロフィール
相澤綾子(Ayako Aizawa)
1976年千葉県市原市生まれ。地方公務員。3児の母。
2017年8月に受講を開始した天狼院ライティングゼミをきっかけにライターを目指す。

この記事は、天狼院書店の大人気講座・人生を変えるライティング教室「ライティング・ゼミ」を受講した方が書いたものです。ライティング・ゼミにご参加いただくと記事を投稿いただき、編集部のフィードバックが得られます。チェックをし、Web天狼院書店に掲載レベルを満たしている場合は、Web天狼院書店にアップされます。

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2018-12-03 | Posted in 週刊READING LIFE vol.9

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