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国際結婚ギャップ解消サバイバル

【国際結婚ギャップ解消サバイバル 第1章】私の浅はかな考えは国際手配につながりかねなかった《天狼院書店 海外ローカル企画》


記事:武田かおる(READING LIFE 編集部公認ライター)
 
 
「来週、日本には行かせない」
 
それは12年ほど前、アメリカに移住して1年が経った頃だった。いつもの如く、些細なことから夫婦喧嘩がエスカレートした。
 
冒頭のセリフはその翌朝、アメリカ人の夫が充血した目で私に放った言葉だった。
 
翌週に日本への里帰りを控えていた私にとって、この夫の発言は昨日の喧嘩の続きで私への嫌がらせとしか受け取れなかった。しかし、その割には夫の口調は気味が悪いほど冷静だった。
 
私は元々渡米した時、1年後に復路のチケットを予約していて、早くから子供と二人で里帰りする予定を立てていた。いくら夫婦喧嘩をしたからといって、ずっと楽しみにしていた日本への里帰りまで阻止しようとされ、私は夫の意地悪い性格を疑った。アメリカに来るときにも、定期的に日本に里帰りするということは夫婦間でも取り決めていた約束だったからだ。
 
「里帰りはずっと前から決まってたし、日本に住む両親だって私と息子に会いたがっているんだから、日本行きを今更中止するなんてあり得ないでしょ。
 
それに、なんで、あんたが私が日本に帰省できるかどうか、決める権利があるの?」
 
私は昨晩の口論から一晩寝て、一旦気持ちは落ち着いていたのだが、今回の夫のパワハラとも取れる言葉に私は思わず再び声を荒げてしまった。
 
「じゃあ、お前一人で帰れ。息子は置いて行け」
 
「は? あなたは仕事があるから、私がいない1ヶ月の間、ずっと3才の息子の世話をできるわけないでしょ」
 
「息子のパスポートはどこにある?」
 
夫は私の言葉を遮り、引き出しをかたっぱしから開けてパスポートを探しだそうとした。私は今息子のパスポートを渡せば、本当に息子と一緒に日本に帰ることができないような殺気を感じ、絶対にパスポートの保管場所を教えるものかと唇を噛みしめた。
 
「来週日本に行ったら、もう二人とも二度とアメリカに戻ってこないだろう?」
 
しゃがれた声で夫が言った。涙目なのか寝不足なのか、夫の目の充血の原因は私にはわからなかったが、夫のある種取り乱した様子に私はとりあえず冷静になるべきだと思い、夫をなだめるようにして言った。
 
「そんなわけないでしょう。ちゃんと予定通り一ヶ月後に帰ってくるから。信頼して」
 
「いや、帰ってこないかもしれない。そしたら、俺は一生息子と会えなくなる」
 
「そんな勝手なことするわけないでしょう」
 
こういったやり取りが何度か続いたが、「一旦日本に行かせたら息子と会えなくなるかも知れない」と夫は引き下がらなかった。何年も一緒に住んでいるのに、夫がなぜ私を信用しないのかと、私の怒りと歯痒い思いは増すばかりだった。
 
結局夫は、出勤しなくてはいけない時間になり家を出た。その後、夫をよく知る友人のAさんにメールで相談したところ、「予定通りに帰省するためと割り切って、とりあえず謝って和解するように」とアドバイスを受けた。納得はできなかったが、Aさんが言った通りに実行したところ、夫も私へ謝り、事は落ち着いた。そして私と息子はその翌週に無事に里帰りを果たすことができたのだった。

 

 

 

その数年後の2013年頃、私の住むアメリカのボストンで、「ハーグ条約」に関する勉強会やセミナーが、日系人の生活上の問題解決を援助する団体によって行われ、参加した。
 
ハーグ条約とは、1980年に採択された「国際的な子の略奪の民事上の側面に関する条約」だ。
 
国際結婚後に欧米に移住した日本人女性が、結婚生活の破綻後に子どもを日本に連れ戻った結果、子を連れ去られた配偶者が長年にわたり子から引き離されて会うこともできず、辛い思いを強いられる状態が続き、それに対する救済手段が無いという事態が多数起こっていたそうである。(1)
 
そのため欧米のハーグ条約の加盟国から日本の条約への加盟が要求され、その結果、翌年の2014年4月1日以降、日本も条約が施行されるに至ったということだった。(1)
 
日本のハーグ条約加盟後は、例えば、アメリカに住む日本人女性が配偶者の同意をえずに子を連れて日本に帰国した場合に、配偶者が「他のハーグ条約の締結国に不法に子供を連れさられた」という申し立てをアメリカの行政機関を通じて行うことができるようになる。通知を受けた日本の中央当局は、その子供を元住んでいた国、つまりアメリカに迅速に返還するため、両者が話し合いを持つように促さなくてはならない。そして、今後の親権に関わる夫婦間の問題について、子供が元住んでいたアメリカの法の元で裁判所で話し合われるということだった。(2)
 
子供が元々住んでいた国に返還される理由は、国境を超えた連れ去りが子供に様々な悪影響を与えると考えられているからだそうだ。(3)
 
また、アメリカに住む私達日本人として特に注意する点として、アメリカの国内法(刑法)では両親が親権を有する場合、一方の親が他方の同意を得ずに子供を連れ去る行為は重犯罪(実子誘拐罪)の罪に問われるということを学んだ。(2)
 
例えば、米国に在住する日本人の親が他方の親の同意を得ずに子供を一方的に連れて帰ると、たとえ実の親であっても、米国の刑法違反となり、再渡航した際に犯罪被疑者として逮捕されることがある。また、国際刑事警察機構(ICPO)を通じて誘拐犯として国際手配される事案も実際に生じているということだった。(2)
 
私はハーグ条約の勉強会に参加して血の気が引いた。なぜなら、相変わらず私達夫婦の不仲は続いていて、顔を合わせば喧嘩ばかりで、喧嘩がエスカレートした時には、衝動的に何度となく子供を連れて日本に帰りたいと考えたことがあったからだ。
 
日本だと、離婚後、共同親権は認められていないため、育児を中心に行っていた母親が親権を得ることが多い。だから私も離婚して子供を連れて、住み慣れた日本に帰りたいという妄想がいつも心のどこかにあった。だがそれを行動にうつすことが刑罰の対象になるとは考えもしなかったからだ。
 
そして私は冒頭に述べた夫婦喧嘩の後の一件を思い出した。その時、なぜ夫が私を信頼しないで、里帰りを執拗に阻止しようとしたのかが腑に落ちた。当時まだ日本がハーグ条約に加盟していなかったため、夫は私達夫婦が仲違いした状態で、私が日本に里帰りしてしまうと、息子もアメリカにはもう戻ってこなくなり、一生子どもと会えなくなってしまうのではと考え、追い詰められた末にあのような言動を取ったにちがいなかった。

 

 

 

私はその日、仕事から返ってきた夫に「ハーグ条約の事を知っている?」と聞いてみた。
 
「知っている。
以前日本でセミプライベートで英会話を教えていた弁護士の山本さん(仮名)から聞いた。アメリカに移住すると決まった時に教えてくれたんだ。
 
夫婦仲が悪い場合、母親が子供を連れて日本に里帰りする時はそのまま帰ってこなくなって、父親は子供にも会えなくなる事例が多発しているから十分気をつけるようにって。
 
山本さんによると、日本人女性は、子供の国外への連れ去りにおいて国際的に悪名が高いらしい」
 
やはり夫はハーグ条約の事、また日本人女性が離婚したり不仲の時に里帰りするとそのまま帰ってこない可能性があるということを知っていたのだ。だから、あの時、最終手段として、私と息子の日本行きをなんとしてでも阻止する必要があったのだ。
 
私はこの日、ハーグ条約で学んだ事を書面にまとめた。それ以来多くの人にハーグ条約について知ってほしいと思い、その後会う人会う人に話をした。
 
そして、このような勉強会を実施し、何もしらなかった私を啓発してくれた、日系ボランティアのグループに心から感謝した。

 

 

 

私はアメリカ人の夫と結婚する時、不安もあったが愛があれば、そして夫婦で力を合わせればなんとかなると思っていた。しかし、今回のハーグ条約のように、国際的な取り決めやアメリカの法律上、思うように行動できない場合も起こりうるということを改めて考えさせられた。
 
私達夫婦は結婚してもうすぐ20年になろうとしている。アメリカに移住してからは12年目だ。アメリカの生活になかなか慣れずに、夫との関係もうまく行かず、我慢強くない私は子供を連れて日本に帰りたいと思うことがしばしばあった。しかし、アメリカでは共同親権をとることが一般的だ。夫は子供の事を非常にかわいがっていて、もし離婚となると親権で争うことになるのは火を見るよりも明らかだった。
 
また離婚後私が日本に帰ることを希望するとなると、子供は住む場所や学校等、基本的に現状の環境を維持することになるので、子供を連れて日本に帰ることは実質的にできない。そうすると、子どもたちと会えるのは、夏休みなど限られた時間になるのではないかと推測した。また、私の親が子供に会いたいと思っても、離婚の際の取り決めで、いろいろな制限があるように思えた。
 
このようにいろいろ考えると、なかなか私は離婚に踏み切ることができなかった。「子はかすがい」という言葉がある。つまり子供が夫婦をつなぎとめる役割をするという意味だ。もちろん私にとって子はかすがいだが、ハーグ条約も、私にとって別居や離婚を思いとどまらせて、家族が離れ離れにならないようにつなぎとめておくためのかすがいの役目をしているように思えた。
 
理想の夫婦関係、家族像とはかけ離れていて、夫婦間、親子間のいざこざは絶えない。だが、現在子供が反抗期に突入し、手に負えなくなった今、子どもたちのメンタル面のケア等、私一人ではできないことが増えてきたため、夫婦で協力して子供を育てていくことの意義を実感し、離婚に踏み切らずよかったのかなと考える日々を送っている。

 

 

 

もし、あなたが国際結婚を考えているなら、是非ハーグ条約のことについて学んでほしいと思う。ハーグ条約の加盟国同士では、配偶者の国に住んでいる場合、相手の承諾なくしては、「子供を連れて実家に帰らせていただきます」という日本のドラマでよく聞くフレーズが、通用しなくなることを肝によく銘じながら。

 
 
 
 
《引用文献》
(1) Japanese Bostonians Support Line, ハーグ条約について
     (2020年10月26日閲覧)
     http://www.jbline.org/useful-info/legal/hague
(2) 長沼仁美(2013). ハーグ条約、ご存知ですか?
     Japanese Bostonians Support Line かわら版 新連載
(3)外務省 ハーグ条約の概要 (2020年10月26日閲覧)
     https://www.mofa.go.jp/mofaj/fp/hr_ha/page22_000843.html#section1
 
 

□ライターズプロフィール
武田かおる(READING LIFE編集部公認ライター)

アメリカ在住。
日本を離れてから、母国語である日本語の表現の美しさや面白さを再認識する。
『ただ生きるという愛情表現』、『夢を語り続ける時、その先にあるもの』、2作品で天狼院メディアグランプリ1位を獲得。

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