セカンドオピニオン
*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。
【10月開講】人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ《平日コース》」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜
記事:柴田清克(ライティング・ゼミ日曜コース)
治療を受けている。
著述を生業の一つにしたいと、生まれた頃から考えているが、生来の流されやすい性格が災いし、ライティングの仕事に就くたびに、自由な時間に甘えてしまい締め切りに苦しめられ、あげく取材や資料集めの準備が不足し、顧客の望むような表現に応えられないまま、次回の執筆依頼に繋がることなく契約を切られる。
そんな、残念な結果が付いて回っているのが現状だ。
現在通っているゼミでは、2000文字を目途にした記事を投稿すれば、そこへ担当者が評価コメントを入れてくれる。
同じゼミに通う方々の寄稿文も読めるので、それぞれが過ごす日々の中で感じた物事や考え方を、ある程度決められたフォーマットの中で存分に楽しませてもらっている。そして、その文章に対する評価コメントを読むのも、楽しみの一つだ。
このゼミに通う前から、私は、書いた文章を第三者の目に触れさせないまま発表する、という機会がほとんどなかった。先に誰かに見てもらうのだ。
相手は、発表する内容によって違い、上司の編集デスクであったり、親しい友人であったり、物書きで飯を食っている先生、シナリオ講師、プロデューサー、であったりする。
一度目を通してもらい、感想を聞いて直す。太い赤色鉛筆でザーッと削られ、120秒の原稿を80秒にされる。シーン丸ごと、ぐるりと、赤ペンで囲い込まれて「意味が分からない」と書き込まれる。相手によって様々な方法で直しが入り、それに沿って推敲し再構築する。
この流れに評価は伴わない。評価は、作品または本原稿として、完成し発表された後から付いてくる。
チャンバラをやりあっているかのような気持ちになる時もある。こちらの「こうだ!」に対して「違う!」とバッサリ。「ならば今度はこうだ!」に対して、返す刀が思いもよらぬ方向から「甘いわ!」と一刀両断。さらには、まったく見えない方向から足を掛けられ、初めからひっくり返される始末になる。そんな時もある。そして、その斬り合いの後に、評価というものは初めてやってくるのだ。
少なくても僕のこれまではそうだった。
だが、このゼミは違う。書くことでお金を得られない代わりに、ある意味傷を負い、考えがまとまらなくなってしまった頭の中を、解きほぐしてくれている。
新たな構文の手法から始まり、読み手へのサービスを軸とした、現代に特化した文章表現のスキルを学べることに、参加者は非常に有意義さを覚えていることが、Facebookのレスポンスの良さからも分かる。僕も、引き出しが増えるのは、とてもうれしく感じている。
寄稿した文章へ、精神を突き崩さない丁寧で優しい評価が初めにあり、そして、書き直しを求められない。なんと楽なのだろう。まるで、ナイチンゲールのいる野戦病院のようだ。
しかし、どうにも、近頃、物足りなくなってきた。
理解できたから、物足りなくなってきた。
いや、そうじゃない。
望むべき方向性と違うことを学んでいる。
いやいや、そうじゃない。
「文章を書きました」
「はい、お疲れ様でした。あなたの今回の内容は、これこれこうでしたから、次はこうしたほうがいいですよ」
この流れしかないのが、物足りないのだ。
なので、セカンドオピニオンを受けることにした。
初めに掛かったお医者さんの診断を元に、別なお医者さんにも診断してもらい、二つの診断結果をもとに、治療方針を自己決定しながら、積極的に治療に参加していく。
という、今では、ごくありふれた患者の医療選択権のひとつだ。
簡単に言えば、ボツになったゼミの寄稿文を、別な第三者に読んでもらい、違う角度からも評価や感想を得て、問題点をより浮き彫りにし、本当に自分に足りないものが何のかを明らかにしながら、読んでもらえる文章を書けるスキルの向上につなげる、ということだ。
相手には、セカンドオピニオンとして読んでもらうことは伝え、どういった評価を事前に受けていたかは伝えない。同じ評価に偏ってしまうと、やる意味がないからだ。できるだけ、視点の違う、遠慮のない評価を下してくれる人が望ましいが、まあ、読んでくれるなら誰でもいいかもしれない。小難しいことは脇に置き、率直な感想を述べてくれる人でも、気の置けない友人でもいいかもしれない。僕は依然していた仕事柄、記者や、物書きの方々と少し親交があるので、そういう人に頼める、それは僕の人生において幸運の一つだ。よかった、ラッキー。
人によっては、学びは、努力やトレーニングという人もいるかもしれないが、僕にとって、今回の学びは治療だ。人の手当てには、手をかける。しかし、患者の立場から見たとき、一つの治療方法だけでは、どうしても不安を覚えることもある。どんな文章でも、書くことは自分をさらけ出すことに繋がるので、多かれ少なかれ、自分を切り売りしていることになる場合が多いし、時間を費やした上で、フィードバックが少なければ、それは尚、顕著に心の中に表れるだろう。
問題を治療し、これからに繋げていけるかどうかは、自分次第だが、新たな引き出しを得て、治療が終わったら、僕はまた、あのチャンチャンバラバラの、著述の世界へ、戻りたいと考えている。
多くの視点に晒されて、自分自身がどれほど傷ついても尚、人を惹きつけることのできる文章表現を求めて。
そして、自分自身を多角的に見る視点を、セカンドオピニオンを通して忘れないようにしながら。
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