メディアグランプリ

みんなって誰だよ。


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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記事:川村彩乃(ライティング・ゼミ 平日コース)
 
 
みんな知ってるよ
みんなそう言ってるよ
 
と仕事をしているときに、よく言われる。
 
確かに、知らないことが多い。
広告の仕事をしているのに、家にテレビがない生活を4年間続けている。
流行りものがわからない。最近のドラマも、CMもわからない。
常識のないこともしでかす。
例えば、変な服で会社に行ったりする。TPOって知ってる?とよく聞かれる。
営業の仕事をしていた時も、その服は着てこない方がいいよ、とお客さんに言われることもあった。
 
でも、「みんな」と言われた時、
あまり良くないとは思いつつ、素直に聞き入れることができない。
「みんなって誰だよ」って思う。
 
母親が「みんな」という言葉をよく使っていた。
いただいたもので、とてもお気に入りのものがあっても
奇抜だったり、古かったりするとある日勝手に捨てられていたことがあった。
そんな物をみたらみんなが不快に思う、とのことだった。
 
学生時代にやっていたボランティアの活動も
決してそういった内容ではないそんなに入り浸って、宗教みたいでみんなに気持ち悪がられる
と言われて、帰りが遅くなったときは家に入れてもらえなかったことがあった。
 
さっきから出てくる「みんな」ってそれ誰に聞いたの?
と聞いても、納得いく答えは返ってこなかった。
 
今、そういう波が来ている、らしい。
『#みんなって誰だ』というタイトルの本も出ている、そうだ。
 
最近の選挙の結果を見ると、メインストリームが何なのかわからなくなる。
SNSで流れてくる野党支持の勢いと、実際の結果が大きくずれている。
盛り上がっていると思いきや、投票率が一番低かったり。
 
音楽も、日本で常に上位にランクインするアイドルグループと
世界中からアクセスされて5億以上の再生回数を誇るK-popアーティストと、
どちらがメジャーかという概念はあるんだろうか。
 
サブスクリプションであらゆるコンテンツを楽しめる時代である。
テレビがマスメディアであることは確かだけど、
コンテンツとして必ずしも主流だと言えるんだろうか。
 
インターネットは、
自分の知らない情報にアクセスできるはずなのに
自分の情報がデータとして集められて、
いつのまにか分類されて、見るものにフィルターがかけられるようになった。
 
行動できる範囲も、出会えるチャンスも、広がったように見えて
自分のまわりの世界はどんどん狭くなっていったのかもしれない。
「みんな」といっているものは本当は何人くらいの集まりなんだろう。
 
最近になって、ある人に謝りたい、と思うようになった。
前の会社のデザイナーさん。
彼女は絶対に午前出社しない人だった。
たとえば、入稿データをこの日の午前中までにほしい、と伝えておくとする。
入稿前日の夕方に届いた。
夜遅くに会社に戻って、チェックする。
表記の最後の一文字が間違っていたりする。
そうなると、非常にまずいのである。
業者さんにご無理を言ったりして、なんとか難を逃れた。
 
なぜ朝来ないのか、と何度も喧嘩をした。
社会人なんだからみんなと同じように9時に来てくださいよ、おかしいじゃないですか!
それでも、彼女は朝は起きれないんだ、の一点張りだった。
 
真っ向から対立すると相手の気持ちを逆撫でしてしまうので、方向転換してみたりする。
「朝、お日さまの光で起きるの、気持ちいいですよ」
とか、
「最近の朝ドラ、流行ってるらしいですよ。」
と朝の魅力で攻めてみる。
でも、やっぱりダメなのだ。
私の上司は長年喧嘩をし続けて、すっかり諦めていた。
 
今、私はその会社を辞めて別の会社で働いている。
そして、今度は自分が朝、会社に行けなくなってしまった。
眠っている時間の長さは関係なく、
朝、起きても動けないのである。
好きな音楽をかけても、少し起きてお茶を飲んでみても
目がぐるぐるしたり、気分がよくなくて立ち上がれない。
お昼時になってようやく身支度して、とても社会人とは思えない時間に出社している。
 
生活がだらしないんじゃないか、とか
気持ちがシャキッとしていないんじゃないか、と言われたりする。
でも、私だって朝、気持ちよく起きたい。
前みたいにお日様さまの光で起きて、清々しい気持ちで朝から動きたい。
理由はわからないけど、今はそれがどうやってもできないのだ。
 
朝動けない気持ちを知って、
彼女のことを誘導しようとしたり、無理に枠にはめようとしていたことに対して
少しだけ、申し訳無く感じた。
(それでも、当時はやっぱり困っていたから、今だから言えることだけど。)
「みんな」に過敏なはずなのに、自分も見えない「みんな」を武器に色々と言ってしまった。
 
せめて、かける言葉だけでも少し考えればよかったのかもしれない、と思った。
「朝、起きれないって大変ですね」
「気持ちは分からないけど、お大事に」
でも、一緒に働いていて、朝起きれない気持ちもわからないで
こんなこと本心から言えるだろうか。
あれこれと考えて、
「そうなんだ」と言う、というのを思いついた。
 
理解できなくても、わからなくても、まずはそう言ってみる。
そのまま聞いたことに対する返答とするのか。
そこから、「それなら、どうしようか」と一歩、歩み寄ってみるのか。
 
もしかしたら、ちょっと冷淡な言葉かもしれない。
ただ、「そうなんだ」しか言わないから。
でも、聞いた瞬間に「いやいや」と拒絶するよりはましだと思った。
相手に対してというより、自分で一旦受け止めるための、
ちょっとした間をつくるための言葉なのかもしれない。
 
「みんな」が誰なのか、どこにいるのか、わかりづらくなっている。
自分がどこにいるのかも、わかりづらくなってきた。
ふっと後ろを振り返ったら誰もいなかった、というような。
結局「みんなが」というのは自分が、ということなんだと思う。
武器だったり、敵だったりするけど、味方だということはないんじゃないだろうか。
 
だから、見えない「みんな」より
近くにいる生身の、そこにいる人と話をして、地に足をつけたい。
なかなかできないけど。
 
 
 
 

***
 
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2019-09-13 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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