メディアグランプリ

幸せの在り処


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記事:根岸哲史(ライティング・ゼミ平日コース)
 
 
「人と自分を比べない」
 
それが幸せの法則らしい。人と自分を比べない。無い物ねだりをしない。運命を認め現在の自分を受け入れる。人と自分を比べても、生まれてくるものは、優越感や劣等感、妬みと嫉み、恨みに憎しみ。前向きな力を生みだすことは何ひとつない。
 
ビジネス書から自己啓発書まで、いたるところで、この法則を目にする。
 
「そうなんだろうな」とは思う。頭では納得する。だけど、心では何か引っかかるものがある。モヤモヤする。ハッキリ言えば、好きじゃない。
 
私は人生の駆け出しで苦労を重ねてきた。はじめて「社会人」という身分になったときにはもう29歳になっていた。人より10年近く人生が遅れたままで、39歳になったいま、同級生たちが手にしている、結婚も、昇進も、子育てとも、無縁なままだ。
 
どうして自分の人生は同級生と違うのだろう。ここまで来るための努力はしてきたのに、得られたものの違いは、どうしてなのだろう。そう思わないではいられないときもある。
 
私は自分と誰かを比べているのだろうか。それはよくないことなのだろうか。「人と自分を比べてもしかたない」と助言いただいたことは、一度ではない。
 
私にはかけがえのない友人たちがいる。
 
同世代のがんサバイバーの友人たちだ。がん罹患という困難な状況にあって生き延びてきた人を「サバイバー」と呼ぶ。若くしてがんを経験するということは、病と同時に、就職や、結婚や、子育てとも向きあうことを強いられる。人生の大きなハンデを負うことになる。
 
サバイバーの患者会活動に関わった縁で友人たちとは知りあえた。ほんとうのたくさんのことを教えてもらった。いちばん大きなことは、きっと、その人生の多様さだ。
 
Aさんは「がんになってよかった」と明るく話してくれた。がんになったことで、自分の大切にしたいことがわかったし、いろんな人が助けてくれることを知った。がんになれたから出会えたことがあるし、そのおかげで、本当の自分になれた。そう言う顔は前向きで力にあふれて驚くくらい輝いていた。
 
Bさんは「どうしてがんになんてなったんだろう」と嘆いた。病気になったおかげでやりたいこともできないし、仕事にも恋愛にも、制約ばかり増えて、人にできたことが自分にはできないと。自分の人生を奪った病気を許せないと。そう寂しげに笑った。
 
友だちとしてつきあっていて気分がいいのは正直、Aさんだ。Aさんは前向きな力をくれる。でも、だからといって、Bさんに「人生への向きあい方を変えたら」と言えるだろうか。Aさんみたいに生きろと。それこそ、人の人生と自分の人生を比べるものじゃないと。
 
がんにも程度がある。ステージは1から4まである。だからといって、ステージ4の人の痛みよりステージ1の人の痛みの方が軽いという話ではない。
 
病の痛みは、いまその人が感じている痛みとして、痛みに変わりはない。その人の痛みを代わってやれる人などどこにもいない。もちろん、誰と比べることもできない。
 
「人と自分を比べない」という言葉には、どこか都合のよさを感じてしまう。その理由が、人の幸せと自分を比べるなと言う一方で、その人が、いま現に感じている痛みに眼差しを向ける気配を感じないからだと、やっと気づいた。
 
「比べるな」と口にすることが、比べない人生を比べてしまう人生より望ましいものと比べて評価していることに気づける人は少ない。でも、その言葉を口にした瞬間、それは自分の見たい姿を、つきあっていたい人の姿を、その人に求め押しつけている。その人のことを思っているようで。実は。
 
人の命は多様で、そこに優劣はない。誰も命の評価はできない。痛みは、かけがえのない、その人がいま生きている証だ。だから、いま痛みを感じている人を前にして、私にできることは、ただ「痛いよね」と伝えることしかないのではないかと思う。
 
きっと、私が人生で抱えてきた苦労なんて、友たちが経験してきた苦労に比べれば、たいしたことなどないのだと思う。でも、そう言ってしまえば、私は私の痛みを、いったいどこに置けばいいのだろう。たしかに痛いと感じている、自分自身の変えようのない、この痛みを。
 
自分の痛みが人より大きいとか重いとか言いたいわけではない。そうではなくて、痛みを痛いねと認めてくれて、ただ、そうして側にいてほしいだけなのだ。そして、痛みを抱えながらもともに人生を生きていこう、未来を開いていこうと勇気を分けてほしいのだ。
 
大切な友人がいた。彼女は言った。「がんになってよかったなんて思ったことは一度もない。でも、病気に自分の人生を支配させたりはしない。私は最後まで自分の人生を生きるんだ」と。
 
最後の最後まで病気と運命にあらがって、もがいて、彼女は生き抜いた。嘆いた日も、泣いた夜も、どれだけあっただろう。どれだけの涙を流したろう。私には想像もつかない。安易に想像してよいものとも思えない。でも、その生き様が私にはつくづくカッコいい。
 
残された私は、つい自分の人生を彼女と比べてしまう。彼女ほど真摯に生きているだろうか。いや、とても、そんなことは。でも、そこに生まれてくる感情は、妬みでも劣等感でもなく、優しく温かい、もっと別な何か。
 
それは痛みをわけあえた友への無限の尊敬なのかもしれないし、あるいは、愛なのかもしれない。ほんとのところは、よくわからない。でも、痛みに囚われていた私の心に、こんなに優しく温かな感情をくれたことは、どれほど感謝に感謝を重ねても足りることなんてない。
 
だって、この感情を心に抱けることが、いまの私には、たしかに感じられる幸せなのだから。
 
 
 
 
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2019-10-03 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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