メディアグランプリ

Mさんの羽の色


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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記事:東 ゆか (ライティング・ゼミ平日コース)
 
 
宝塚歌劇の沼にハマる人は、初めての観劇のあと2〜3日の潜伏期間があるらしい。昨日観たなんかすごいあのショーはなんだったんだろう…? どうして女性が男性役を演じているのか、なぜさっきのお芝居で死んだ人が、後半のショーでは羽根を背負って階段の上から笑顔で登場するのか…? 初めての宝塚歌劇の掟に戸惑いを覚えるが、気がつくと次の観劇のチケットを買っているという。今まで自分が知っていたお芝居とは異なる違和感を好きになるのだ。
 
この話を聞いた時に、私にも身に覚えがあった。
私はオダギリジョーが好きだ。イケメン俳優には昔からあまり興味がなく、俳優を基準にドラマや映画情報をチェックすることはないのだが、私にとってオダギリジョーは別格だ。なんとなく出演予定は気にしている。最近始まった「時効警察」も日頃テレビドラマをあまり観ない私も毎週観ている。
 
そんな彼を初めてテレビで見た時に感じたのは、そう、違和感だった。「なんだよ『オダギリジョー』って名前。おかしな名前だな」初めはそんなふうに思った。「ジョー」という表記が、人の名前ではなく『ちびまる子ちゃん』の山田の「〜だじょ〜」という話し方を連想させた。
その時期はオダギリジョーがさかんにテレビドラマや映画に出ている時期で、情報番組の芸能コーナーで彼の姿を観ることが多かった。
朝の情報番組で彼の姿を見た日は、1日のあいまあいまで「オダギリジョー…」と彼の名前を反芻していた。
初めは名前だけに注意がいっていたのだが、しだいに俳優っぽくない少しボソボソとした話し方や、雰囲気のある容貌、奇抜でオシャレすぎる服装にも目がいくようになった。
どうしてあんな風に話すんだろう、インタビューや制作発表では目立とうとしている感じじゃないのに、どうして彼の一挙手一投足に注目してしまうんだろう。
深淵を見つめる時、深淵もまたこちら側を見つめているように、オダギリジョーのことを考えるとオダギリジョーもこちらを見つめていた。「俺のことどう思ってる?」と。
そしてある日結論が出た。「私はオダギリジョーが好きなんだ」
 
しかし、日常の中では違和感が時期尚早に「嫌い」に決定づけられてしまうことが多くないだろうか。好きか嫌いかなら、できれば何かを嫌わずに生きていた方が人生は平和なのに、わざわざ「嫌い」とラベリングしてしまう。
なかでも集団のなかで少しでも毛色の違う人は、他人に違和感を抱かせるがゆえに嫌われやすい。ただ「異なる」ということだけを認識して、平たくいうと「個性を尊重する」ということで済ませればいいのに「あの人嫌い」というふうに決めつけられてしまう。
 
潜伏期間を経た宝塚歌劇ファンや私がそうだったように、違和感から着地した「好き」は根強く刻み込まれて大切な宝物になる。しかし誰もがいつでもそうできるとは限らない。
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かつての職場にMさんという女性がいた。Mさんは大柄で、少し奇抜な格好をしていた。声が大きく、感情表現が豊かで優しい人だった。繁忙期で連日残業が続く時期には、同僚たちのために大量のお菓子を買い込んでくれた。
こんなふうに書くとMさんは好かれても良さそうなのに、なぜか職場では少々煙たがられていた。感情表現が豊かな人は相手の痛いところを悪気なくあっけらかんと指摘したりするので、職場では煙たがられる傾向にあるが、それでも周りからの煙たがられ方は少々大げさだった。
今になって思えばMさんが煙たがられてしまったのは、服装がちょっと奇抜で、どちらかというとあまり明るいとは言えない職場の中で、一人明るく自由な人だったからではないかと思う。
まわりの同僚からみたらMさんのそれは違和感だったのだろう。Mさんへ対する違和感を「嫌い」と感じてしまったのだ。明るいところ、優しいところ、好きになるところはたくさんあるのに、「他の鳥とは羽の色が違う」という違和感だけで「嫌い」というラベルを貼ってしまうのは双方にとって悲しいことだと思う。
 
飲み会で繰り広げられるMさんへの愚痴大会に、わたしは肯定するでもMさんをかばうわけでもなく、ふわふわと相槌だけをうっていた。「わたしはMさんのこと嫌いじゃないですよ」と自分がまわりに違和感を与える勇気もなく。
 
私がその職場を辞める日、同僚たちが寄せ書きをくれた。一人一枚、桜の花びらの形にカッティングされた台紙にメッセージを書いてくれた。メッセージカードは一つに束ねられ、右上がピンで留められていた。受け取った時に、用紙の一枚がボコボコとふくらんでいることがわかった。感触に違和感を感じてそのページを開いてみると、それはMさんからのメッセージだった。
Mさんが書いた用紙は桜の花びらの形の台紙の中心が切り取られ、Mさんの家の近くの鵠沼海岸で拾ったと思われる桜色や薄紫色の貝殻を散りばめて、ラミネート加工されていた。
「たくさんの荒波に揉まれて磨かれて生きていきたいものだよ」とメッセージが書かれていた。そのメッセージも他の人たちのそれとは雰囲気が違っていた。
他の台紙とは形状も厚みも変わってしまったメッセージを見て、私はこのときMさんに対する違和感について「好き」というラベルを貼った。他の鳥とは異なる羽の色が素敵だと感じた。
 
人に対してであれ何であれ、何かに違和感を感じることは共感することと同じぐらい自分の感性を守るために大切なことだと思う。しかし感じた違和感に対して、あまり吟味する時間がないまま「嫌い」のラベルを貼ってしまうことはなるべく先送りにしたい。オダギリジョーのようにMさんのように、それは私の大切な「好き」になりうるのだから。
 
 
 
 

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2019-11-08 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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