メディアグランプリ

流産2回、みんな何かのマイノリティ。


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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記事: MDR(ライティング・ゼミ日曜コース)
 
30超えたら、いきなり子供が生みたくなった。
 
基礎体温を測り始めて半年ほどして、産婦人科へ行った。白黒のエコー画像に、何か楕円形のものが映っている。へえ、人間て最初はこんな感じなんだ。30代になったばかりだし、健康だし、安産体型だし。何も心配していなかった。つわりも始まった。
 
二度目の検診は一か月後。下半身をカーテンで区切られる内診は慣れないが、しょうがない。ふと気づくと、カーテンの向こうが何やらバタバタしている。診察は若い男性医師だったが、院長がやってきた。院長は慣れた様子で言った。
 
「残念ですが、心拍が確認できません」
 
流産はよくあるということ。掻爬手術とは。手術の日程は。事後の処理は、テキパキと進んだ。すごくショックだったけれど、よくあることと自分に言い聞かせた。
 
全身麻酔の手術を受けて、期間を開けて再び妊娠した。今度は一度目の検診で心拍が確認できた。ぴこ、ぴこ、ぴこ。おお、これが心拍か。今度は大丈夫だろうという気持ちと、前回の記憶が交錯して、不安な一か月を過ごす。おなかが出ている訳でも、胎動がある訳でもない。生きているのかな。
 
そして二度目の検診。今度は夫に同行してもらった。前回のトラウマで身を固くしながら内診を受けていると、また妙に時間がかかる。看護師さんが「院長呼びますね」と言うのが聞こえた。
 
「えっ、また、なんですか……!」
 
つい声が震えた。
院長がやってきた。前回と同じ言葉を聞く。泣けてきた。今度は心拍もあったのに。一度は生きていたのに。診察室に呼ばれて入ってきた夫は、私の顔を見て目を閉じた。
 
院長はもう動かないエコーの画像を測って「結構大きいね、12週超えてるね」と言った。12週、つまり3か月を超えていると、火葬の必要があるのだという。
 
その週末、海辺の火葬場に夫と二人向かった。
命が生まれる産婦人科から、死体が集まる火葬場へ。その差に言葉を失う。火葬場の人は、「結構あるんですね、お骨が」と言って、粉状のものを刷毛で集めてくれた。
 
手術のための休みが終わり、最初の出勤日。
会社の入り口には、透明なガラスに激突して死んだ小鳥が横たわっていた。
 
赤ちゃんが着床しないのが不妊症。着床しても育たないのは不育症と呼ばれる。流産を2回繰り返すことはよくあると言われたが、無策でもう一度妊娠する勇気はなかった。不育症の専門病院を受診した。電車を乗り継ぎ3時間。夫と二人、染色体の検査までした。結果は、自己免疫疾患。女性の体にとって、本来胎児は異物であるけれど、それを受け入れるようにできている。私の場合は、それを異物とみなして攻撃してしまうのだ。
 
普段の生活に戻っても、何となく幕が掛かっているような、ぼんやりした感覚だった。
日常の景色が無彩色のグレートーンで、スローモーションのように見える。
 
そんなスローモーションで生活していると、いつもと違った人が目につく。杖をつきながらゆっくり歩く白髪のおばあさん。空き缶を集めるホームレスの人。電動式の車いすで移動する若い男性。弱者、と言ってはいけないのかもしれないが、自分が弱くなっていると、近いペースの人がたくさんいることに気が付いた。
 
不妊症、不育症、LGBT、障がい、うつ、ひきこもり、不登校、
非正規雇用、離婚、老人、子供、外国人……
 
あれもこれも一緒にするなと言われるかもしれない。
でも、希望を持ちにくい状況だったり、希望があっても叶わなかったり。
 
ああ、みんな何かのマイノリティなんだ。
 
どんな人も、ある視点から見ればマイノリティ。何がしか人と違う部分を、みんな持っている。よいも悪いもなく、それぞれ違うだけ。
そんな多様な人たちが、それぞれがそれぞれらしく、生きていけるといいのになあと、シンプルに思った。出来ない人同士が慰めあうのでもなく、特別視して腫れ物に触るように接するのでもなく。元気な時はそれなりに、つらい時はそれなりに。それぞれに、持てる力を生かして。
 
結局私は、妊娠初期に血を固まりにくくする薬を飲むことで、2児の母となった。
10年以上不妊治療をしていた友人は、去年40歳で第一子を出産した。
元同僚の男性カップルは、SNSで時々微笑ましい写真を見かける。
 
結果が出たからよかったね、ということではない。そのプロセスは、きっと無駄ではなかったね、と実際は言えないけれど、思っている。人として、きっと大事な何かに、気づくことができたんだ。
 
そして、いま渦中にある人も、大丈夫だよと伝えたい。人間はもともと弱いものだから。きっと見守っている人がいるから。まずはその時できることをすればいい。
 
これは、「われは草なり」という高見順の詩の一節。
 
伸びられるとき 伸びんとす
伸びられぬ日は 伸びぬなり
伸びられる日は 伸びるなり
 
そう、伸びられぬ日は、伸びなくてもいいのだと。
 
 
 
 
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2019-11-28 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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