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メディアグランプリ

耳なんて聴こえなければ


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

【12月開講】人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ《日曜コース》」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜

記事:熊元 啓一郎(ライティング・ゼミ平日コース)
 
 
「ああ、どうしたらいいんだ」
僕はパソコン画面から目を下ろし自分の右手を見る。
マウスの上に置いた右手はいつも通りで変わりない。
一息つくために右手で水の入ったコップを取る。
変わらない。いつも通り。僕の意思通りに右手は動いてくれる。
ある一つの動作を除いては。
僕はコップの中のゆっくりと水を飲み干し机に置くと再び画面を見る。そして再びマウスを手に取りその動作を試みる。が、だめ。
私の意思に反して右の人差し指は、まるで石のように硬くなって動かない。
ワンクリック。
ただワンクリックするだけで全てが終わるのに、それができないでいた。
「あっ」
そうこうしているうちに、決済のページがタイムアウトしてしまった。
また、押せなかった。
なかなか決めきれない自分にやきもきしながら、再度ホームページの価格の欄を見る。1の下に0が五つ。天狼院のライティングゼミを2回受けてもお釣りがくるほどの値段。決められないのは当然かもしれない。
 
「自分だったら、買わないですね」
そう僕に断言したのは後輩の片山君だった
「いくらなんでの10万円って高すぎませんか?」
彼は正気ですかと言わんばかりに僕を見る。
「……いや、確かにそうなんだけどさ。すごく良さそうなんだよね」
僕は、“それ”の良さを言葉にできずにいた。
「うーん。無いですね。少なくとも自分には」
彼はストレートに自分の意見を言った。
流石リアリストだと、僕は思わず唸る。
今彼とは同じ大学院で一緒に研究しているが、彼は実験の計画は時間や予算など実際の状況と合わせて極めて現実的に判断する。彼が優秀なのはこう言った部分によるのかもしれない。
「それじゃあ、片山君ならどうする? どれくらいの値段のやつを買うの?」
僕とは正反対のタイプの意見、なんとなく予想はできたが聞いてみたくなった。
「ある程度有名なメーカーで比較的安価なやつですかね。世間一般の多くの人が満足しているなら、ハズレは無いだろうし。出して一万円くらいかな」
そもそも、そんなにこだわらないですよ、と彼は付け加えた。
ショックを受けた。
否定された自分にではなく合理的に考えられない自分に。
思い込んだら突っ走るタイプ、それが僕だ。
良いと思ったら衝動的に、体や心が動いてしまうのだ。
そう、僕は東京で“それ”を手に取った時、今までとは違う何かを感じた。
例えば夜明け前、“それ”があるだけで、暗がりが瞬く間に明るくなるような。
例えば寒空の下、“それ”があるだけで、暗い雲が一気に晴れていくような。
“それ”が、僕の世界を劇的に変えるような、確かにそんな予感がしたのだ。
でもそれは僕が勝手に抱いた幻想だったのかもしれない。
ふと時計を見ると、短針がすでに5時を回っていた。空はまだ暗い。
こんな遅い時間まで悩んでしまうとは。僕は一気に現実に戻された。
別の仕事もあったとはいえ、冷静になれなかった自分に後悔する。
いっそ耳が聴こえなければ、こんなにも自分の意識が向くこともなかったのに。
そう思いながらも、熱が冷めてくると恐ろしいもので、どんどん片山君の意見が理性的で正しいように思えてきた。
日ごとに寒さがつのる11月。暖房をつけているのに部屋は冷え込み、心も体もひどく冷めていく。
少し温まろう。
僕は30分ほど風呂に入ることにした。
湯船に浸かりながら、思い出す。
Amazonのホームページには、デザイン性の良いもの、機能性を重視したもの、価格はピンキリだが多くの商品が並んでいた。
その中で片山君が僕に勧めていたものは、1万円ちょっとで利用者の評価も高い。ホームページの説明を見る限りは機能も悪くなかった。
もう、あれでいいか。
半ば諦めたような感覚で風呂から上がると、僕は再度Amazonのホームページを開いて商品のページに移動した。承認の購入ボタンを押し、ページは決済の画面に変わる。あとはクレジット決済のボタンを押すだけだ。
疲れていたのかもしれない。
色々と考えるのが面倒になっていた。
安易な結論に走ろうとしていた。
 
その時だった。
 
僕の携帯が鳴り響く。
朝の合図。
鳴り響く音楽ともに朝日がカーテンの隙間から差し込んできた。
ああ、なんなんだろう。
訳も分からず窓を開け、僕はベランダの外に出る。
外はまだ寒いが、眩しい光が僕を覆っていった。
 
そうだ。
これだった。
僕が経験したのはこれだった。
この奇跡にも似た体験をするためにわざわざ北九州から東京まで視聴しに行ったのだ。
BT-2シリーズSE846。
音響機器の老舗メーカーShureが世に送り出した高音質イヤホンだ。
耳元で作り出される鮮やかに広がる世界。
太陽が闇を払うように。風が雲を晴らすように。
明瞭でドラマティックに流れる音は、疲れていた僕をすべてのわだかまりから解放してくれたのだ。
値段は10万円と確かに高い。
もっと安くていいものがあるかもしれない。
でも、このイヤホンに出会ってしまったのだ。
あの体験に間違いはない。買わなければ絶対に後悔する。
自分の直感を信じて、僕は今度こそ右手で購入ボタンを力強く押した。
 
購入を決めてから数日経った。
僕の新たな“相棒”は今、海を越えて日本を目指している。
まだときどき耳が聴こえなければと思うことがある。
聴こえなければ、こんなにも感動しなかっただろうし、こんなにも心を揺さぶられることはなかっただろう。
間違いなく良いのだ。聴いてしまいさえすれば、その素晴らしさが手に取るように分かる。それは聴覚だけに影響されない。見る景色のすべてが色鮮やかなものになるのだ。
僕は今期待に胸を膨らませている。
このイヤホンとともに、僕の新たな未来が開かれることを信じて。
 
 
 
 
***
 
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2019-12-02 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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