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タイムスリップ(READING LIFE)

ただ生きるという愛情表現《週刊READING LIFE「タイムスリップ」》


記事:東澤まりも(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
 
 

「いただきまーす!」
 
あれは忘れもしない、小学校5年の時の奈良遠足のお弁当の時間だった。私は若草山でピクニックシートの上でお弁当を広げていた。
 
周りにいた友達が、嬉しそうに声をあげる。
 
「わー! お母さんから手紙が入ってた!」
 
「えっ! 私も!」
 
男の子も女の子もみんなが手紙を読んだり見せあったりしている。私も自分のお弁当の包みををわくわくしながら開けた。でも手紙はなかった。間違って母がお弁当の袋ではなくて、リュックサックに入れたんじゃないかとリュックの中に入れていたものを全部出して逆さまにして振ってみたが、手紙らしきものは見当たらなかった。
 
楽しかった遠足が、それ以降一転して辛い一日に変わってしまった。その時のお弁当は涙の味しかしなかった。
 
家に帰って泣きながら、私だけが手紙が入っていなかったと母に訴えると、
母は私に平謝りした。どうやら、学校からの封に入ったプリントに、「子供には知られないように手紙を書いて、お弁当に入れてください」というお願いがあったそうなのだ。今で言うサプライズだったのだが、すっかり忘れていたそうなのだ。
 
こういった事は一度ではなかった。高校の時に、私は母がテーマの作文を書いたことがあった。自分では頑張って書いたものだったので、ドヤ顔で母に見せたが、あまり反応を示してくれなかった。興味がないというか、ふーんという感じだった。
 
子供の頃、友人の話を聞いていると、うちの両親は何かが違うような気がしていた。
 
母は真面目で働き蜂のように働いていた。倹約家で質素な生活を好んだ。
母も父も愛情が薄いというか、友達の親御さんと比べて私は親から大事に思われていないように感じることもあった。本当に私はこの人たちの子供なんだろうかと考えた事もあった。そんな時、母のたんすの引き出しに閉しまってあった、桐の箱に入っている干からびた私の臍の緒をそっと確認した。

 

 

 

でも、こんな苦い思い出も、今では母と私の間での笑い話だ。
 
母は最近になって「親らしいことをあまりしてやれなくてごめん」と私に言った。言い訳をするように続ける。
 
「頑張って働いて、お金を貯めて、人並みの生活になるのに精一杯だったから」
 
そんなこと、言わなくたってわかってる。
 
今の私からしたら、あなたがそこにいることが奇跡で、もうそれだけで十分なのだからと心の底から思う。
 
母も、母の母も命を絆いで生きるのに精一杯だったのを私は今でこそ知っているからだ。

 

 

 

私の母は、自分が生まれた正確な日を知らない。
 
昭和21年、まだまだ戦後の混沌の中、母が生まれて少し経ってから、祖母が母の出生届を出しに役所へ行ったところ、正確な誕生日がわからず、母の兄と同じ日で登録されたそうなのだ。だから、母の戸籍上の誕生日は事実とは異なるものだ。生まれた正確な日がわからないということは、今から考えると信じられないが、毎日の日付さえもわからないほど、戦後の日本がいかに無秩序だったかということを物語っている。
 
私の母は自分の父親に会ったことがない。
 
体が弱かった母の父(私の祖父)は、第二次世界大戦の終戦間近に召集令状が来て、シベリアに出兵し過酷な環境下でソ連軍の捕虜となり戦死したからだ。
 
私の母の両親(私の祖父母)は第2次世界大戦中満州(中国の東北部)に移民した。母の母は、夫がシベリアに出兵した後にその地の満州で子供(母)を身ごもったことを知る。きっと、祖父は生きて帰ってくることができないとわかっていたから、出兵前に祖母と愛を紡いだのだろう。母は祖父母の間にできた愛の結晶だったのだ。
 
終戦後、祖母は満州から船で日本に引き揚げた後に、夫が戦死したことを知る。
 
「夫も死んで、二人の幼い子どもがいるからお腹の子供を生んで育てることはできない。中絶したい」
 
祖母は亡くなった夫の母親に泣きながらそう訴えた。
 
そして祖母は一喝される。
 
「何を言っているの! ちゃんと生んで育てなさい!」
 
その一言で母が生まれることになった。
 
つまり、祖父方の大祖母が祖母を一喝しなければ、母も私も存在しなかったことになる。私の大祖母は、わたしの母と私の命を絆いでくれたのだ。
 
未亡人になった祖母は三人の子供を育てるために必死で働いた。満州から日本に帰国した当初は、実家がある広島で、肩身の狭い思いをしながら親戚の家を転々としていたらしい。その後、仕事を求めて大阪へ来阪する。若い頃から耳が遠かった祖母は、限られた仕事しかできなかったらしい。家からすぐ近くの工場で働いていたのだが、昼休みにお昼ご飯を食べに帰るふりをして家に帰り、何も食べずにまた工場にまた戻って働いたこともあったという。
 
このように私の母は非常に貧しい環境で育てられた。私の祖母も人並みの生活を手に入れるために、また一人で三人の子供を育てるのに無我夢中だったのだと思う。
 
祖母の事や母が生まれた経緯、それから育った環境は、母が祖母から聞いたものだ。それを私が聞いたのは私が高校生の時だったと思う。その頃、私はあまりにも無知で、戦後の母の貧しかった頃の様子や、当時の様子を聞いても、もっと知りたいという気持ちにはならなかった。自分の目の前の楽しみの事しか頭になかったのだ。
 
その後、私は社会人となり、数年働いた後、イギリスの大学院で女性文学を学ぶことになる。そのカリキュラムの中で、文学を通していろいろな事情で今まで語られることのなかった女性のストーリーに興味を持つようになった。私は祖母のことを思い出し、戦争中や戦後の事を祖母から直接話を聞いてみたくなった。
 
だが、それは叶わなかった。
 
私がイギリス留学から帰国した時、祖母は80歳になろうとしていた。体は比較的元気だったが、70歳を過ぎた頃から認知症を患っていたからだ。その後、祖母は認知症専門の介護施設に入り、96歳で亡くなった。
 
もし、タイムスリップする事ができるのなら、祖母がまだ元気で、記憶がはっきりしている50代の頃の彼女にもう一度会いたい。
 
そして、彼女の子供時代の事や、祖父の事や祖父との馴れ初め、満州に開拓移民として移住することになった経緯や、満州での生活、祖父が出兵する前日の事、満州から帰国する時の船の中のこと、それから私達に命を与えた父方の大祖母の事、日本に帰国してからのこと等……。彼女が見た、私の知らないその壮絶な映像を彼女の言葉で私に教えてほしい。
 
祖母は時代の生き証人であり、祖母の人生は、私が母からかいつまんで聞いたその要素だけでも、命を絆ぐというテーマで小説が書けそうなほどに、特別なもののように思えた。
 
でももう祖母から話を聞くことが叶わないと知った時、祖母へ聞きたいことが次々に沸き起こるのと同時に涙が溢れ出た。
 
祖母に思いを寄せている時に私は気が付いた。母、そして私の命を絆いでくれた、命の恩人は、母を中絶することを許さなかった大祖母だけではなく、それを素直に聞いて気持ちを切り替えた祖母もだし、推測でしかないが、戦死した祖母の夫も母を守ってくれたのかもしれないと思った。なぜなら、戦後の劣悪な環境下で食料が不足していた時代、妊娠を継続するのも大変だったと思ったからだ。
 
私は自分のルーツを知ることは、自分自身の存在の重みを改めて感じることだと思った。何かの歯車が1つ狂えば、私はここにいなかったかもしれないからだ。それを実感した時不思議な気持ちになった。自分とつながっている人がただ一生懸命生きてくれた。それだけで十分な愛情表現なのだと感じた。
 
もう祖母に話を聞くことが叶わなくなった今、それなら母に話を聞こうと私は気持ちを切り替えた。父も亡くなり、老齢の犬を去年看取って、一人で自分のペースで生活している母の話をもっと聞いてみようと思った。母は今年74歳になる。今、元気なうちに、彼女の人生についてインタビューしてみよう。戦後の幼少期からそして父との出会い、毎日振り返る暇もないほど、働くことで忙しかった子育ての時代。そして母からみた祖母がどんな人だったのかも聞いてみよう。
 
そして、自分自身についても書き残すことを始めていこうと思う。最近物忘れも良くあるし、人生いつどうなるかわからない。私は祖母のようなドラマチックな人生ではなかったけれど、記憶を失わないうちにいろいろなことを綴っていこうと思う。今はすっかりおばさんだけど、昔からおばさんだったわけじゃない。私だって子供の頃や、学生の頃があったのだ。いつの日か、子どもたちが私という人物に興味を持ってくれた時の為に準備を始めようと思う。でもひょっとしたらその頃には、技術が進んでタイムスリップができるようになって、自由に時を行き来できるようになっているかもしれないけれど。
 
若かった時は、祖母や母の事を知ることが自分自身の存在に深みを与えるとは思いもしなかった。そして、今、ただ生き続けてくれたことに感謝し、言葉や行動では表すことができない母からの愛情も実感している。
 
私の子どもたちも私についてそんな風に思う日が来るのだろうか。本当なら子どもたちにストレートに「大好きだよ」と言葉で表してあげられたら良いのだけれど、私がそんなふうに育ててもらっていないから、恥ずかしくて言葉に出して愛情表現ができていないのはいつも反省している。言葉にはできていないけれど、いつの日か私が気が付いたように、子どもたちも私がどれだけ彼らのことを思っているのか気が付いてくれたら良いなと思う。
 
もしも、あなたのご両親やお祖父様やお祖母様がお元気なら、今、その方々の人生についていろいろな事を聞いてみてはいかがだろうか。それをきかっけに、あなたが今そこに存在する重みや、今まで見えていなかったご家族のあなたへの愛情が見えてくるかもしれない。

 
 
 
 

◻︎ライタープロフィール
東澤まりも(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)

アメリカに移住して11年目。
アメリカ人の夫と子供2人、愛猫1匹と暮らしている。
伝統的ヨーガの講師、ゆるやか禅整体師。
趣味で小説を書きはじめてから、母国語である日本語の表現の美しさや面白さを再認識する。その母国語を忘れないように、また最後まで読んでもらえる文章を書けるようになりたいという思いで、8月から天狼院書店のライティング・ゼミに参加。もともと文章が苦手だった私がどこまで書けるようになるのか、自分を実験代にしてみたいと考えている。


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