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乳がん全摘手術から3年3ヶ月生き延びました


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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記事:安光伸江(ライティング・ゼミ平日コース)
 
「いやぁ、すぐ再発するかと思っていたんですけどねぇ」
 
先月の診察の時、乳腺外科の主治医は笑顔でそう言った。いまはホルモン剤をもらうのに3ヶ月ごとに通院し、2回に1回(つまり半年ごと)検査が入る。この前の検査はさらに3ヶ月前、乳がんの全摘手術後3年(正確には2年11ヶ月)の時で、大型台風の予報で前日に変更したので、「再発・転移はみられません」とお墨付きをいただいたのは別の先生からだった。それ以来の診察。いつも明るく接してくださる先生が、冗談まじりに、でもちょっと真剣にそう言ったのでちょっとびっくりした。
 
げっ、再発、するんやったん?
 
そういえば手術前にも「完治の可能性はあります。5割くらいね」と言っていた。その時は「そっか~完治するんだ~」と気楽に構えていたけど、よく考えてみると「5割の確率で再発します」ということでもあるじゃないか。いや~ものはいいようだ。
 
私の乳がんは、診察を受けた時にはかなり進行していて、マンモグラフィーの画像は大きな影がくっきり真っ白に出ていたし、何しろ患部の皮膚の色が変わっていた。素人でも「これ、ヤバいよね」というのはわかった。それまで乳がん検診は受けたことがなくて、しこりはあるけど「動くから良性かもしれないし」と、自主的に経過観察(という名の放置)をしていた。そしたら問診票を読んだ先生の顔は険しく、患部を見せたら「やっぱりね」という顔で、いろいろ検査をして「99%、いや、99.9%、乳がんですっ!」と最初の日にきっぱり言われた。
 
その頃私は父を亡くした直後だった。数年前から母が圧迫骨折でほぼ寝た切りになり、その介護をしていた。父は元気だったけどちょっとぼけも入ってるのか変なことをすることがあったので、よく喧嘩もした。その父が出先で転倒して頭を打ち、翌日亡くなるという事件が起こり、相続やらなんやらの手続きでバタバタしていた。県内の遠くから兄が帰ってきていろいろ言われたりもした。
 
ストレス、たまりっぱなし
 
だから、がんになったとわかった時も、引き金となるものは「思い当たるフシ、ありすぎ」という感じだった。従姉のお母さん(つまり義理の伯母)が乳がんで死んだという話を聞いていたので、私も乳がんで死ぬんだ、とよく母にも言っていた。うつ病患者はすぐ「死にたい」と言ってしまう悪い癖があるのだ。だから「あ~あ、引き寄せちゃったよ~」というのがホンネだった。なるべくしてなった。そう思った。
 
母をひとりで家においておくわけにいかないから、なるべく通院で治療しようね、という話をしていた。だけど次に病院に行ったら「やはり、がんでした。手術、いつにしましょう?」といきなり言われたのでかなり慌てた。「ちょ、ちょっと待ってください、母を一人にできません」。最初の日に「手術しないという選択肢はありますか?」と聞いたら、「ありますよ、むしろ、手術できるかどうかが問題なんです」と言われたのだけど、私は通院治療ができる道があるものだと思っていたのだ。でもそれは「手術できるというのはまだ助かる可能性があって、進行度合いによっては手術できなくて手遅れ」(意訳)という意味だったみたい。その時に言われたのが先に書いた「5割くらい完治の可能性あり」ということばだった。
 
その後母を別の病院に預けられることになり、私は手術を受けた。手術を受けること自体はたいしたことはない。大変なのは執刀医と麻酔の先生と看護師さんと、待合室で待っている親戚一同だけで、本人は「えっ、いきなり?」とひとこと残して麻酔ですと~んと眠っちゃってるから、気がついた時には「終わりましたよ~」と先生に明るく言われて隣のベッドに運ばれる、という、お気楽なものだった。「悪いところ全部取りましたからね! 全部取りましたからね!」と病室に運ばれるエレベーターの中で先生が力説していたのを覚えているけど、実はかなり大変な手術で、患部のまわりまでごっそり切り取り、さらにリンパ節も全部取り去ったそうだ。本人は「やった、これで助かった」と思い込んでいたけど、実はそれからもかなりヤバい状況だったらしい。
 
そのリンパ節には14個にがん細胞があったと聞いた。これはめちゃくちゃ多いらしい。幸い、患部の周りまで切り取った組織の端っこにはがん細胞はいなかった。これを「断端陰性」というらしくて、そのおかげもあって放射線治療は免れた。
 
だけど、抗がん剤は強く強く勧められた。全部切り取ったんだからいいじゃ~ん、と思っていたけど、実はステージ4に近い3、かなり進行していて、抗がん剤治療をしなかったら再発していたかもしれないのだった。「再発したら治らないから」とかなり強硬に勧められて渋々抗がん剤治療を受け、案の定副作用はめちゃくちゃつらかったのだけれども、それでも
 
抗がん剤をしてもしなくても再発しない→希望的観測を入れてもまずこれには入らないと思われる
 
抗がん剤をしてもしなくても再発する→これに入ったら諦めがつく
 
抗がん剤をしないと再発するけどしたから再発しない→いちばん効果的
 
の3パターンのうち、「効果的」な部類に入るんじゃないかな、という予感があった。それなら医療費のムダもない。実際3年生きてみて、その予感は当たったんじゃないかと思う。今のところ、経過良好だ。
 
その治療の間も、先生や看護師さんは明るく励ましてくれていた。だから私はいつもにこにこ前向きで、てっきり完治するものと思い込んでいた。2種類の抗がん剤治療のあと1年かけてハーセプチンという薬の点滴をしている間に今度は母のがんが発覚し、あっという間に死んじゃったんだけど、その時もみんなに支えてもらって乗り越えたんだ。
 
そしたら3年たってみて「再発すると思ってた」なんて言われてびっくりだ。冗談半分でもそう言えるようになった、ということは、逆に「峠は越えましたね」と言われたのだと思いたい。
 
乳がんは10年たっても再発することがあるそうだし、キャンディーズのスーちゃんみたいに19年たって再発して亡くなった例もある。だからこれからもどうなるかわからないけど、それにおびえて暮らすよりは、「完治する5割に入りたいな~」と思っていた方が精神衛生上いいような気がする。
 
乳がんが心配な方へ
私みたいに手術できるかギリギリのところまで放置せず、早めに検査を受けた方がいいですよ!
 
がんと戦っている方へ
前向きな気持ちが治療の助けになるそうだから、お互いがんばりましょう!
 
ともかく術後3年3ヶ月生き延びた。亡き両親が私を守ってくれたのに違いない。そうだ、2年後くらいにまたライティングゼミをとって、乳がん手術後5年生き延びました、という投稿をしよう! それを目標に、お薬をちゃんと飲んで、治療がんばるよ!
 
 
 
 
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2019-12-20 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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