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人生最高の瞬間は小学3年生の時に訪れた


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜

記事:深谷百合子(ライティング・ゼミⅡ)
 
 
画面の向こう側から、世界ナンバーワンと言われるアメリカ人コーチが穏やかな笑顔で語りかけてきた。
 
「目を閉じて。心臓に手を当てて。鼓動を感じて。鼓動を感じて……。さぁ、あなたの人生の中にある素晴らしい瞬間を思い出して。あなたは誰といましたか? 何をしていましたか?」
 
言われた通りに目を閉じて、胸に手を当てて深呼吸する。指に、ほんのかすかに鼓動を感じる。
 
私の人生の中にある素晴らしい瞬間、私の人生のハイライトシーンを思い浮かべていく。人生の転機になった出来事をひとつひとつ思い出しながら、記憶をずーっと遡っていった。そして、私の人生最初のハイライトにたどりついた。
 
それは小学3年生の夏休みのことだ。あの時、海で初めて泳いだ私。
 
「その素晴らしい瞬間を思い出して。そしてその時の感情を感じて。ただ感じて」
 
誘導されながら、静かにその時のことを思い出していく。まぶたの裏に、あの日の出来事がありありと浮かんでくる。
 
三河湾に浮かぶ佐久島の海水浴場。海の中、私より少し先に立っている先生が見える。水の深さは先生の腰の高さ位だったけれど、私にとってはやっと足がつく位。ちょっと高いうねりがくると、口の中に海水が入ってきてしょっぱい。
 
でも、怖くはなかった。
そして、「ここまでおいでー」と呼ぶ先生をめがけて、泳ぎ始めた私。
 
その瞬間をただただ感じていた。すると、不意に涙が出た。今までにも何度か思い出していた出来事だったのに、なぜかこの時初めて涙が出た。あの時子供なりに感じていた痛みを、初めてはっきりと感じたからだろう。そして、「私の人生にあの瞬間があって本当に良かった。ありがとう」と心の底から思った。
 
私にとっては、あの瞬間があったから、今の私があると言ってもいい。
 
私は小学校3年生になるまで泳げなかった。プールに遊びに連れて行ってもらう時は、いつも浮き輪をつけていた。
 
水に入ることは怖くなかったけれど、泳ぎ方を知らなかった。体が弱くて、1年生の夏休みは夏風邪をこじらせてずっと病院通い、2年生の夏休みは肺炎で入院したりして、学校のプールで元気に遊んだり、夏休みの水泳教室に通うということがほとんどなかった。
 
だから2学期が始まると、同級生の皆は日焼けをしているのに、私だけ青白かった。どれくらいよく日焼けしたかを競うような大会もあったりしたのだけど、私なんて対象外だった。
 
そんなことで、3年生になって皆が泳げるようになっていても、私は泳げなかったのだ。顔を水につけても、水中での息の仕方を知らなくて、普通に呼吸をしてしまうから、鼻に水が入ってきて痛い。体を浮かすという感覚も分からなかった。
 
私の通っていた小学校には、低学年用の浅いプールと、高学年用のプールがあった。1、2年生は低学年用のプールで練習し、3年生になると高学年用のプールを使うようになる。だから、泳げるようになって低学年用プールを卒業できるようにならないといけない。
 
そして、誰がどのくらい泳げるのかが、水泳帽の色で把握できるようになっていた。最初は皆赤色の帽子で、5メートル泳げると白い線が1本入る。13メートル泳げると、白色の帽子に変わる。
 
スイミングクラブに通っていて泳ぎの上手い同級生は、もう白い帽子をかぶって、一足先に高学年用プールでスイスイと泳いでいる。
 
「いいなぁ、すごいなぁ」と横目で見ながら、私はまだ線の無い赤い帽子で、低学年用プールでもがいていた。
 
そんなある日、体育の授業の最後に5メートル泳ぐテストがあった。同級生は皆次々とクリアしていく。いよいよ私の番だ。皆と同じように手を前に伸ばして顔を水につける。でも体を浮かせられない。
 
「でも、5メートルいかないと、私だけずっとこの浅いプールのままだ」
焦っていた。なんとか体を浮かせようとするけれど、足が離れない。
 
どうしよう、どうしよう。
 
結局私はずるをした。泳いでいるフリをした。手を伸ばして顔を水につけたまま、5メートルそろそろと歩いたのだ。
 
先生は私のずるに気づかなかった。
5メートルの線の所で顔を上げて立った私を見て、「泳げたじゃん」と言ってほめてくれた。でも私は全然嬉しくなかった。だってずるしたんだから。
 
それに、泳げたことになって、水深の深い高学年用プールに行くなんて怖い。足もつかないし……。
 
そんな後ろめたさと不安な気持ちを抱えたまま、夏休みがやってきた。夏休みが始まってすぐ、通っていた塾の先生が1泊で海水浴に連れて行ってくれることになった。
 
私は浮き輪を持っていったが、一緒に来ていた同級生たちは浮き輪なんて使っていなかった。先に海に入ってはしゃいでいる。それで、私は自分ひとりだけ浮き輪を使うのがちょっと恥ずかしかった。
 
「ゆりこちゃん、浮き輪が無いと怖い?」
先生が聞いてきた。
 
「うん、だって泳げないから……」
「泳げるようになりたい?」
「うん、なりたい。泳げるようになりたい」
「じゃあ一緒に練習しようか」
 
そういうと、先生は私の手を取って海の中に連れて行った。
 
「じゃあ、息を止める練習からするよ。大きく息を吸ってぇ、はい止めて! 少し我慢するんだよー」
私は先生に言われた通り、やってみた。
そして次は、大きく息を吸った後、息を止めたまま顔を水につけた。数秒で苦しくなって顔を上げる。
 
「うん、できるできる。じゃあ次はね、苦しくなってきたら水の中で息を吐いてごらん」
さっきと同じように息を止めて顔を水につける。苦しくなってきて息を吐くと、鼻からポコポコと空気が出る音がした。
 
水の中での息の仕方が分かるようになると、次に先生は私の手をとって、少しずつ後ずさりしながら、段々と深い方へ移動していった。
 
水面が私の胸のあたりまで来ると、「さっきやったように顔を水につけてごらん」と言われた。大きく息を吸って顔をつける。先生は私の手を持ったまま、さらに先へと引っ張った。
 
すると、足が離れてフワっと体が浮いた。浮き輪を付けて浮いていた時とは違う感覚だった。
 
その後、先生に手を取ってもらいながらバタ足の練習をし、息継ぎの練習をした。
もう鼻から水が入って痛いこともない。なーんだ、こんなに簡単なことだったんだ! と思った。
 
少し休憩してからもう一度海に入ると、先生は少し離れた場所に立って、「ここまで息継ぎなしで来てごらん」と言った。
 
私は教えられた通りに、息を止めてバタ足で進んだ。段々息が苦しくなる。プクプクと鼻から泡が出る。
 
「あと少しだ」
 
水中に見える先生の足が段々近づいてくる。そして、遂に先生の所までたどり着いた。水から顔をあげると先生は私にこう言った。
 
「ほら、見てごらん。あんな所から泳いできたんだよ!」
 
それは、学校のプールの5メートルよりも、はるかに長い距離だった。
 
このたった1日の出来事、泳げるようになったという事実が、私に大きな自信を与えてくれた。
 
海から戻った翌日、学校のプール教室に参加して、高学年用プールに入り、いきなり13メートル泳ぐテストに挑戦した。そして、難なく合格して白い帽子を手に入れることができたのだ。
 
私にとっては初めての成功体験。できなかったことができるようになるって、こんなにも嬉しいものなのかと思った。
 
習い事で二重丸をもらったとか、テストで100点をとったとか、親から褒められたとか、そういう時に感じる嬉しさとは全く違う嬉しさだった。自分のいる世界が変わったような感覚があった。そして、1、2年生の頃に感じていたような、引け目のような感情がなくなっていた。
 
もしあの経験がなかったら……。もしあの先生と出会っていなかったら……。もしあの時、泳げるようになりたいと言わなかったら……。きっと自信のない私になっていただろう。
 
「あの瞬間があって本当に良かった。先生、ありがとう」
そう思ったら、ジワっと涙がこみあげてきた。そして、ハッと気が付いた。あれは、私が変な意地をはらずに、先生に素直に頼れたから得られた経験でもあったのだと。
 
あの後の私はずっと、できないことを克服することに力を注いできた。苦手な科目の克服、苦手なスポーツの克服、全く畑違いの分野の仕事など、できそうもないと思うことに挑戦し続けた。その原動力になっていたのは、初めて泳げるようになったあの時に味わった達成感であり、「できないと恥ずかしい」という恐れだった。
 
だけど、そんな「達成感」と「恐れ」というアメとムチだけで、多くの「苦手」を克服できてきたわけではなかったのだ。
 
なんか自分ひとりでストイックに頑張ってきたつもりになっていたけれど、あの日泳ぎを教えてくれた塾の先生のように、実は色々な人が私に力を貸してくれたから、克服できていたのだ。
 
全然解けなかった数学や物理の問題を、私ができるようになるまで粘り強く教えてくれた家庭教師の先生。
やったことのない仕事に挑戦した時、一所懸命に図を書きながら、夜遅くまで教えてくれた会社の先輩。
 
色々な人の顔が思い浮かんだ。
私は色々な人の力を借りて、できるようになってきたのだ。
 
そういう私も、誰かの「できるようになる」に力を貸していく立場になった。そういう立場になって振り返ると、泳ぎを教えてくれたあの塾の先生の教え方は、とても上手だったと思う。泳げるようになるためのステップを細かく分けて、ひとつずつ順に教えてくれたからだ。
 
そして何よりもありがたかったのは、ひとりだけ浮き輪を持って躊躇していた私に気が付いて、「泳げるようになりたい?」と聞いてくれたことだ。
 
私の気持ちを聞かずに、「大丈夫よ、絶対泳げるようになるから」と無理やり私を連れていくようなことはしなかった。もし無理やり連れていかれていたら、私は「やらされ感」を感じたことだろう。途中で水を飲んだり、鼻から水を吸って痛い思いをしたら、「やっぱり嫌だ」と泳ぐ練習をやめてしまったかもしれない。
 
でも先生は、泳げるようになりたいという私の意思をまず確認してくれた。そして、私自身が「泳げるようになりたい」と口にしたことで、何があっても泳げるようになるんだという自覚が芽生えたのだと思う。
 
私が味わったあの達成感を、今度は別の誰かにも味わってほしい。だから私は今の仕事を選んだのだ。
「できるようになりたいのに、どうしたらよいのかわからない」という気持ちを敏感に感じ、寄り添う力を持ち、そして目標に至るまでのステップを明確にして、最短経路でゴールに導き、その後の人生も変えてしまう位の感動と自信を与えられる……。私もそんな先生のような存在になりたいと思う。
 
あの日私に泳ぎを教えてくれた先生は、今また私に人に力を貸す立場としてのあり方を教えてくれている。
 
 
 
 
***
 
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2021-01-11 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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