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小さなしこり


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜

記事:伊藤朱子(ライティング・ゼミⅡ)
 
 
あれ、太ももが痛い。
そう初めに気がついたのは、電車に乗ろうと駅の階段を急ぎ、小走りで登っていた時だった。
「最近、運動不足だから、ちょっと筋肉が痛いのかな、やれやれ」
そんな感じだった。
 
ピリッと痛みが走っただけだったので、さほど気にせず、運動不足を反省しながら電車に乗り込んだのだった。
 
それから、何度か同じようなことを感じるようになり、いつしかその痛みは一瞬ではなく、ちょっと長く感じるようになってきた。
 
相当、足が弱ってきたのか。ちょっと心配になりながらも、なかなか運動不足を解消する何か、手を打つ行動を起こせなかった。
 
ちょうど、季節は本格的な冬を迎える2019年12月。
運動不足を解消するのに、以前つづけていた朝のウォーキングを再開しようかと思ったものの、これから寒くなることを考えると、つづける自信がない。
 
それなら、家の中でできるストレッチやDVDを見てエクササイズでもしようかな、なんてそんなことも思った。
でも、駅の階段を上らなければ太ももは痛くない。家の階段では、痛くならないのが不思議だ。駅の階段はいつも小走りで上がるからか、走ることが負荷を与えているのだろうか。
 
痛い瞬間は、運動不足を反省するけれど、「喉元過ぎれば熱さ忘れる」である。
結局、「運動しよう」、そう思いながら、年を越していく。
 
そうこうしているうちに、2020年3月。
新型コロナウィルスの感染拡大により、いよいよ、緊急事態宣言が発令されそうな、そんな頃だった。
 
私はお風呂に入りながら、ある違和感に気がつく。
 
「あれ? なんか、ポチッとしてる」
太ももを洗いながら、手に触れる小さなものに気がついた。何かしこりがあるようだった。
お風呂から出て、明るいところで眺めてみた。表面は何も変化はない。
 
気のせいだろうか、改めて触ってみると、確かにそこには何かがあるように思えた。そして、触ると、ほんのすこし痛いような気がした。
 
駅の階段を上がると太ももが痛かったのは、このせいだろうか。
何か得体のしれないものに、すこし不安を覚えた。
 
でも、まあ、そのうち消えているかもしれないし。
様子をみることにしたのだ。
 
4月に入り、緊急事態宣言が発令される。
完全に電車に乗ることもなくなり、不自由な現状に、耐えなければならない状態になる。
 
あの痛みは、最寄り駅の階段を上がる時にしか感じていなかった。だから、駅の階段を上がることがなくなると、あの痛みのことも徐々に忘れていくようだった。
 
そんな中、緊急事態宣言の影響が出始めて、仕事の動きも鈍くなり、今までの生活とは比較にならないほど、時間を持て余すようになっていた。
 
そんなある日、仕事のデスクに向かっている時に、太ももに痛みを感じる。
「え? 座っているだけで痛くなるの?」
確かに、今は外出を制限され、運動不足だ。でも、座っていて痛いなんて、運動不足が原因ではない?
 
私は、お風呂に入りながら、太ももの違和感を探してみた。
やっぱりある、確かにある。
小さな何かがある。それも、ほんの一ヶ月も経たないうちに少し大きくなっているような気さえした。
 
時間があると、余計なことを考え出す。今、考える時間はたっぷりあるのだ。
 
緊急事態宣言が発令されている中、こんな小さなことで病院に行くことなんて考えられない。
でも、この小さなものが「悪いもの」だったらどうしよう。そんな不安が頭の中をよぎる。
 
もし、どんどん大きくなったらどうしよう
もし、悪いもので、転移とかしちゃったらどうしよう
もし、このままほっといて、最悪の事態になったらどうしよう
他のところが痛くなる、足を切る……あらゆることが頭に浮かんだ。
 
そういえば、中学生の時に見たテレビドラマで、松本伊代さんがヒロインの
「私は負けない、ガンと闘う少女」というドラマがあった。
あれも確か、初めはちょっと膝が痛い、というところから始まって、結局は悲しい結末を迎えるはずだ。
 
私の頭の中には、伊代ちゃんが歌う主題歌まで流れてきて、どっぷりと悲しい気分になった。
 
それにしても、私も三十数年前のテレビドラマのことを、よく覚えているものだ。
 
4月は本当に暇だった。
考えれば考えるほど、悪いことしか浮かばない。
持て余している時間を使って、
「足のしこり」「太もも、しこり」「太もも、ガン」……
考えられるすべてのことを、インターネットで検索してみる。
 
しかし、私の感じている症状や違和感に合う、病気らしいものの情報は見つからなかった。
自分の心配がムクムクと頭の中で大きくなってきて、ついに友人に電話をして言った。
「太ももに、なんかしこりができたんだよね……」
友人も心配してくれた。でも、「この状況では病院にも行けないね」と、どうにもならないことに、余計に気持ちが落ち込んでしまった。
 
生命保険の担当者は古くからの知り合いである。コロナ渦で様子を心配して電話をかけてきてくれた時、「ガンだったら、お金もらえる保険でしたよね?」と尋ねた。
太ももにしこりができたことを伝え、「いくらもらえるんだっけ?」と聞いてみた。
 
私が加入している保険は、ガンと診断されたら一括でお金が出るタイプである。
結構、もらえるんだな、と思った。
「そんなにもらえるなら、治療して残ったお金で、なんか買い物ができそう」
のんきな考えも、一瞬、浮かんだ。
 
でも、実際、本気に治療するとしたら、これで足りるのだろうか。
そして、お金も問題だけど、他の不安も大きくなってくる。
 
私はかねてから、60歳を超えて、もし難しい病気が見つかった時には、積極的に治療しないと言っている。きっと、60歳くらいまでには、やりたいことをやっているだろうと思ったし、子供もいない自分には、誰かの成長を見届けたいとか、そういう欲求が薄く、無理して長生きをする理由がみつからなかった。生への執着が薄いだろうと思っていた。
 
ところが、である。いざ、もしかしたら病気かもしれないと思った途端、
このまま死んでしまったらどうしよう、
まだやり残していることがある、
 
はたまた、
治療のお金が足りるのだろうか、もっと保険に入っておけばよかった、
大変な時、支えてくれる人がいない、再婚しておけばよかった
……とか。
いろいろなことへの思いと後悔が湧き出してきた。
 
しかも、過去への恨み節も炸裂した。
鏡を見るたびに、別れた人に言われたこととか、
あの時はあーだった、こうだったと、次から次への出てくるではないか。
 
まるで、心の中には別の人がいるかのように、ひたすら、私の心がつぶやくのである。
自分のそんなつぶやきに、私は本当に驚いた。
案外、私ってネチネチした性格なんだ。改めて、自分の内面を知ることになった。
 
緊急事態宣言が解除されると、仕事も動き出し、また忙しい日々に戻っていった。
そのおかげで、頭の片隅には太もものしこりのことがあるものの、心の中の別人は、ぶつぶつと呟く暇もなくなった。
 
しかし、7月に入り、日に日に太ももの痛みを感じる頻度は多くなる。
やっぱりただ事じゃないかも。
痛みを感じる時間も長くなり、短い時間とは言え、その痛みが増してきた。
 
意を決して、近くの総合病院を予約したのは8月に入ってからだった。
 
太ももの痛みはますます強くなるばかり。
階段を上がる時以外にも、ちょっとした動作でピリッと痛む。しこりの大きさも、3月末に発見した時よりも確実に大きくなっている。
 
「先生、太ももにしこりができているんです」
そう訴え、太ももを見せると、先生は首を傾げていた。しこりの位置がわからないようである。
「ほらここ」
と先生の手をのけて、自分の指で場所を確かめる。先生がそこをなぞってみるが、あまり存在を感じないようである。
 
「足が痛いという時、腰が悪いことも多いんです。年齢のこともあるし、腰が悪い可能性もあります。腰のMRIをとりまししょう。あと、念のため太もものエコー検査もしましょう」
 
腰? 年齢?
 
年齢って、どういうことですか。
確かに、40歳の後半も後半ですから、多少のガタは考えられますよ。でも、腰なんて絶対悪くないと思うんですけど。
 
案の定、MIR検査の結果で腰の異常はなく、エコー検査によって、確かに太ももに何か異物があることがはっきりした。
 
「どうしましょうか」と言われたが、どうも、こうもない。
早くとってください、それに尽きる。
そして、先生は、「痛くなければ、このままにしておいてもいいかも」と言う。
 
何を言っているのか。痛いから、病院に来たんですよ。
 
挙げ句の果てに、先生は、取れないことはないけど、診療科が違うという。そして、この病院にはその診療科がない。
 
私は思った。
先生、私は結構悩んで、何を言われてもいいように覚悟を決めてきているんですよ。
そんな簡単に言わないでください。悪いの? か、悪くないの? か、どっちなのですか。
この病院に来るまで、どんなに悩んだことか……。
 
実は、私はこの太もものしこりのことを両親に話していなかった。もし、何か本当に悪いものだったら、両親に心配をかけたくない。
一人戦って、静かに散ろう。そんな悲劇のヒロインのような気分になっていたのも事実だ。
 
しかし、先生の中途半端な反応に、何とも耐え難くなり、とうとう両親にこの話をした。誰かにこのモヤモヤした状況を話してしまいたかったのだ。二人とも、心配した様子ではあったが、冷静だった。
実は、私だけが、一人慌てふためいていた。
 
知り合いの皮膚科の医師に相談すると、一度診てくれるという。
その上で、紹介状を書いてくれるということになった。
 
診察室で、総合病院でもらったエコーの写真を見せた。
私の太ももを触った先生が
「うーん、大きい病院でちゃんと検査をもう一度したほうがいいよ。なるべく早く」
 
なるべく早くって、それどういう意味ですか?
えー、もしかして、悪いもの? やっぱり。
そんな可能性があるの?
 
冷静を装いながらも、頭の中はパニックで、あの緊急事態宣言下、悶々と考えていた悪いことが、また一気に回り出した。
そして、大学病院に予約を入れながら、もしものために何か、準備をしておかないといけないかな、とそんなことを思った。
 
その時、思い出したのは、向田邦子さんが用意してあったという、もしもの時のための手紙、メモのことだった。
それは、テレビの上に、さりげなく置いてあったという。
 
私もそんな、粋なことができるだろうか……。
 
さらなる検査、診察をしてもらうために大学病院を訪れた。
若い先生は、まず、それがどんな状態でそこにあるのか、造影剤を入れてMRI検査をするという。
MRI検査では、検査技師が、私のしこりの場所を探せずに、私にどこにそれがあるか聞いてきた。
触ってもわかりづらいようである。
 
その頃の私にとって、それはどこにいてもすぐ見つけ出せる、かわいいペットのような存在になっていた。
ほら、ここですよ、ここ。
すぐにその場所を指し示すことができる。
 
MRI検査で、それは確かに存在し、大きさは5ミリくらいの小さなものであることもわかった。でも、結局その実態はなんだかわからない。
「手術をして取り除き、そして病理検査をしましょう」
そう言われて「やっと、これが私の体からなくなるんだな」、とホッとした。
 
年が明け、手術日当日。手術着に着替えるように促され、着替えをし、手術室に進む。
手術室には、音楽が流れていた。若い先生の好みなのだろうか。私には全くわからない男性ボーカルが歌っていた。
 
先生は、「あれ、どの辺でしたっけ?」としこりの場所を私に尋ねる。
「ここです、ここ」
正確な位置を確認するため、手術台の上で、もう一度簡易のエコーで検査をし、手術は始まった。
 
麻酔の注射はチクっと痛く、気分の悪いものだった。
「では、始めますね」と声をかけられる。
よくテレビドラマの手術のシーンで聞こえる「ピッ、ピッ」という心拍を表す音と、男性ボーカルの声が聞こえていた。
そして、5分おきに自動的に図られる血圧計の音。
 
10分ぐらい経っただろうか。
「取れました」と声をかけられる。
 
え? もう、終わりですか?
 
「じゃあ、縫い合わせますね。」
皮膚がつられるような感覚があり、あー、縫っているんだなと思いながら、私は自分のそれがどんな風にそこにあったのだろうと想像した。
 
「はい、終わりました」
と言い、先生は小さな瓶を、横になっている私の目の前に出してくれた。液体の中に白いものが沈んでいる。それは、本当に小さく、5ミリほどのものだった。
 
こんなものが、この太ももに入っていたのか……。
 
さっきまで、私の体の中にあったものかと思うと、なんだか愛おしい気持ちになった。これが痛みの原因かもしれないというのに。
私はこんな小さなものに、振り回されていたんだな。
なんだかおかしくなった。
 
「これ、なんですか?」
「病理検査に出して、結果を見ないとはっきり言えませんが、たぶん、神経の塊。たまにあるんですよ。こういうふうになること」
先生は、にこやかに言った。
 
「すごく悪いものじゃないと思うけれど、検査結果が良くなければ、すぐに知らせます」
 
この10か月余り。この白いもののおかげで、いろいろな自分の心の声を聞いた。過去を悔やみ、ジタバタし、目の前の先生にツッコミを入れ、自問自答した。
 
手術の次の日、傷口に貼られた大きな絆創膏を静かに取ると、そこにはしこりの位置をペンで十字を書き、印をつけた後があった。
そして、その中心には、黒っぽい硬そうな糸で縫い合わされている皮膚があった。
 
その縫った跡が、フランケンシュタインの額の傷みたいな縫い目で、おかしいなと思う。
 
この傷も、きっとそのうち消えるんだろうな。
それを見ながら、私も過去にできた心の傷を、たくさんの言葉というしこりを取り除いて、やっと縫い合わせたような気分になった。
 
この10ヶ月の間、心の中であらゆる言葉を吐き出していた。
ちょうど、緊急事態宣言もあり、あらゆる面で、これから本当にどうなるのかという不安を感じていたのかもしれない。
 
この太ももの傷が消える頃、私の心の傷も癒えるといい、そんな風に思う。
 
「傷は優しく、手で、なでるように洗ってあげてください」
先生は言った。
そうか、同じように、私の心の傷も、優しくいたわって、そして洗ってあげよう。
 
太ももの傷の抜糸は1週間後。
私の心の傷口も、しこりをスッキリ出し切り、同じくらいのスピードで抜糸も済ませられるだろう。
 
なんだ、取り除いてしまえば案外、しこりも大したものじゃなかったのかもしれない。
1週間で何もない、ほぼ、元の状態に戻るのだから。
 
東京はまた、緊急事態宣言が出された。
前回に比べ、さらに世の中の状況は悪くなっていると言えるのかもしれない。
でも、今回は私の太もものそれはなくなっている。心配事はとりあえず、体の外に出してしまった。
だから、前回よりも少し冷静に、その事態を受け入れることができるだろう。
 
 
 
 
***
 
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2021-01-11 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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