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あの日、チョコレートを持っていたら


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記事:田盛稚佳子(ライティング・ゼミ特講)
 
街中は、なんとなく浮き足立った雰囲気で溢れていた。
ゴディバやピエール・マルコリーニなど、有名なチョコレート店の小さい紙袋を持って、女性たちが足早に駆け抜けていく。
そんな女性たちを横目に、私は風邪でもないのにマスクをして右頬を押さえて歩いていた。
2013年2月14日。
そう、今日はバレンタインデー。
私が生まれて初めて、親不知を抜いた日でもある。
「なんでこんな日に、抜歯の予約をしちゃったんだろう?」と泣きたくなる気持ちだった。
親不知を抜いたことがある方はご存じだと思うが、下の歯を抜くとものすごく腫れるらしい。
帰る間際に担当の女医さんが
「もし血が止まらなくなったら、ここに電話してね。あなたのほっぺ、パンパンに膨れちゃうわよー、ふふふっ」
と、ものすごくうれしそうに告げた。
冗談でしょ? なんだ、そのドSな発言。そんなにパンパンに腫れるとか、周りで見たことないし。
私はその言葉を半分聞き流しながら、帰りのバスを待っていた。
 
私の親不知は横向きに生えていたので歯茎をザクッと切り、歯を真っ二つに割り、抜いてから歯茎を縫っている。奥歯に奇妙なスペースがあるのを舌の先で感じていると、バスが来た。
歯科から自宅最寄りのバス停までは約40分。
その日のバスは、まだ夕方のラッシュ前でわりと空いていた。
私はバスの最後尾に座り、まだ麻酔の効いたぽわーんとした頭で流れゆく景色を眺める。
そろそろ夕陽も見えて来る時間だ。都市高速から見る博多湾はキラキラとまばゆかった。
バス停までの到着時間がまだまだあることと、心地よい揺れ具合に安心して、思わずうとうとしてしまった。
 
「次は、女子大前、女子大前〜」という車内アナウンスで目が覚めた。
あぁ、もうこんなとこまで来たのか。最寄りのバス停まであと15分くらいだな。
車内のお客さんは、いつの間にか女性ばかりになっていた。
起きてから、私はふとアナウンスに聞き入ってしまった。
運転手さんがお客さんに声をかけている。
少しご高齢の方には、
「あ、おばあちゃん、降りるのはゆっくりでいいですよ。この先も足元に気をつけて、お帰りくださいね」
学生さんには、
「今日も一日学校頑張りましたね。お疲れさまでした」
降りる乗客の一人一人に合わせて、話す内容を変えているではないか。
今までタクシーの運転手さんでおしゃべりな人はよく遭遇したが、バスの運転手さんでこんなに話好きで、細やかに、ドアを閉じるその一秒まで、気配りができる人を初めて見た。
 
渋滞もなく、少し気持ちの余裕ができたのか、運転手さんはゆっくりと話し始めた。
「本日は○○バスにご乗車いただき、誠にありがとうございます。
みなさま、今日も一日お疲れさまでした。
さて今日は何の日か、ご存じですよね? そう、バレンタインデーです。
チョコレートはもうご準備されましたか?
それとも、何か別のプレゼントをご用意されましたか?
あなたの大切な方やご家族に、ぜひあなたの思いを届けてみてください。
きっと喜んでくださると思いますよ。
ちなみに、私はまだ今のところ、チョコレートをもらっていません。
絶賛募集中です!
降りるときに、そっと置いてくださるとうれしいです」
 
まさかの義理チョコくださいアピールがアナウンスで流れて、思わず笑ってしまった。
私は、バッグの中をゴソゴソと探し始めた。
いつもなら、ブラックサンダーやダースのような、バスや電車の待ち時間に食べられるお菓子を入れているくらい、無類のチョコレート好きなのである。
ない、ない、ない!
チョコレートどころか、長財布とスマホとハンカチ以外、バッグの中には何にもない。
そりゃそうだ。
だって、今日の私は親不知を抜くためだけに出かけているんだもの。
しかも、想像以上の痛さに「帰りに百貨店にでも寄って、チョコレート(あくまでも、自分へのご褒美用として)でも買おうかな」という気持ちが1ミリも起きなかったからだ。
あー、渡せるものが何にもないと思っているうちに、最寄りのバス停に着いた。
運転手さんは、
「今日も一日お疲れさまでした。気をつけてお帰りください。お大事に」
とマスク姿の私に声をかけてくれた。
風邪をひいているお客さんだと心配してくれたのかもしれない。
その優しさが身にしみて、何も渡せないままマスク越しに笑顔で小さく「ありがとう」とお礼を言って、私はバスを降りた。
 
あの日、チョコレートを持っていたら、きっと運転手さんに渡しただろう。
ほっこりさせてくれてありがとう、という気持ちを込めて。
もしかしたらその後に、ちょっとした甘~い展開が起こっていたのかもしれないと今でも妄想が勝手に膨らんでしまう。
ちなみに担当の女医さんが言うとおり、抜歯した右側の頬はその日の夜からみるみるうちに腫れてしまい、アンパンマンのようになってしまったのは、残念ながら妄想でなく事実である。
あの日、チョコレートを持っていなかった一握りの後悔を胸にしまいながら、今年はバッグにチョコレートを忍ばせて通勤してみようと目論んでいる。
8年経ってもその思い出は色褪せず、今年も私をチョコレート売場に向かわせるのである。
 
≪終わり≫
 
 
 
 
***
 
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2021-02-10 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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