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三月が嫌いな私へ。


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記事:十川蒼来(ライティング・ゼミ平日コース)
 
 
三月は、嫌い。
 
親しい人と別れてしまうし、よく知った環境から離れないといけない時もある。まあまあ長く持った彼にフラれたのも、仲が良かった友達に裏切られたのも三月。何より大事な人がいなくなってしまったのも三月だ。
だから私は三月が嫌いだ。
 
定時ぎりぎりに押し付けられた仕事を終わらせ、退社をしたのは二十時を過ぎた頃。デスクワークで鉛にようになった足を引きずりながら家路についていた。電車を降りると、当たり前の景色がなんだか殺風景に感じられて今日はいつもと違う道で帰りたい気分だった。
川沿いの道を歩く。いつもなら見ないお店が立ち並んでいて新鮮だった。しばらく歩いていると一軒の店に目が留まった。
「春月堂」
老舗の和菓子屋さんだった。よく見るとまだ暖簾がかかっている。一か八か、足を運んでみることにした。
「いらっしゃい」
店主だろうか。物腰が優しそうなおじいさんが笑顔と共に迎えてくれた。
「あの、まだ開いてますか?」
「もう閉めたんだけどね、せっかく来てくれたんだ。見ていってくれると嬉しい」
おじいさんの言葉に甘えることにした。
 
店内にあるショーケースには羊羹に大福、団子に練り切りなど、たくさんの種類の和菓子がおいてあった。どれも色とりどりで華やかだ。
その中で直感的に欲したのはどら焼きだった。この店の名物らしい。自分へのご褒美として三つ買っていくことにした。
「今、明日の仕込みをしているんだけど、少し待っててくれれば作りたてのを出してあげよう」
「いいんですか?」
「うん。お茶とほら、そこの桜餅、もう桜が咲いててもおかしくないからねぇ~、ちょっと早いけど作ったんだ。食べていきな」
「お代は……」
「そんなのいいよ。お嬢さん頑張っているようだしサービスだ」
目の下の隈が化粧をしても隠しきれてなかったのか、それともおじいさんが敏感な人なのか。なんだか私の中を見透かされているようだった。
おじいさん——佐倉さんはそう言って温かい緑茶と桜餅を出してくれた。
 
「ここは道明寺なんですね」
桜餅は2種類ある。関東風の、薄い皮に餡が包まれた〝長命寺〟と、関西風の、お饅頭状でつぶつぶとした食感の〝道明寺〟だ。
「僕の祖父がこの店を始めたんだけどね、関西の人だったんだよ。それからこの味は一切変わってないんだ」
そう言うと佐倉さんは裏に入って作業を始めた。
 
湯呑を手に取り、緑茶を飲む。温かいものが疲れた体にしみこんでいくのが感じられた。こうやって一息付けた気になれたのはいつぶりだろう。
人混みをかき分けながらの出社、得意とは言えない営業、上司からの圧力、いくら早く終わらせようと思っても積もっていく残業……。
この会社に入りたくて頑張ってきたのに、想像していた生活には程遠く、ただ過ぎていく毎日に嫌気がさしてくる。どうにかしてこの状況を変えたいという気持ちはあるのに一向に変えられなくて、自分が嫌いになる。この繰り返し。
あぁ……。もう、どうしようもない。
その時、ジューという音とふわっと香る甘い匂いが現実に連れ戻してくれた。
 
桜餅のことをもうすっかり忘れていた。改めてしっかりと見る。薄桃色のつぶつぶとした生地にそれを包む桜の葉。桜特有のあの香り。一口食べると甘すぎない餡の甘味が広がって、懐かしさを思い出した。
 
私にとっての桜餅は、おばあちゃんの味だった。
両親が共働きだった私にとって祖母は母のような存在だった。いつも笑顔で優しくて、でもパワフルなところもあってそのうえ料理上手。そんな祖母が私は大好きだった。
そして四月になると
「もうそろそろ桜餅の季節やね~」
と言ってせっせとあんこを作り始める。それを手伝うのが毎年の恒例行事だった。祖母は作業のかたわら所謂「おばあちゃんの知恵袋」を話してくれた。体調が悪い時は温かい緑茶を飲みなさい。だとか、計量スプーンがなければペットボトルのキャップを使うといい。といったような実用的な話から、男は自分が火の中にいても助けてくれるような肝が据わっている人にしなさい。といったような、かなり主観的な話まであった。
今思えばきっと笑わせたかっただけだろうなという話も、子供ながらに一生懸命聞いていた。
私が高校に上がると朝は部活の練習、夜は塾という生活になって祖母との時間も減っていった。そしてその間に祖母も少しずつ変わっていた。
三月の終わり、いつもならこの時期から飛び交う言葉が出てこなかった。
「おばあちゃん、もうすぐ桜餅の時期だけど作らないの?」
「あぁ、もう、年だから作るのが億劫になってきたのよ~。あんたが作ってくれたら嬉しいんだけどねぇ~」
祖母の指導のもと今までたくさん作ってきた。もうレシピは頭の中にすっかりはいっている。
「そうだね、週末に作ろうかなー。たくさんあんこ作りたいし! 桜の葉、お願いしても良いかな」
「それがいいねぇ~。いつものところにお願いしておくよ」
「ありがとう! じゃ、行ってきます!」
といつものように玄関へ駆け出そうとした時、引き留められた。
「あ、待ちんさい。こっちへおいで」
早くいかないと間に合わなくなってしまう。だけど、その気持ちを抑えて祖母のもとに駆け寄った。すると私の手を取って、
「あんたは頑張り屋さんやね~。でも、無理したらいけんよ。神様は見とるからね」
そういって、ぽんぽんと二回を手を叩いた。
おばあちゃんの全てが滲み出た強さだった。
 
ポタリと落ちた自分の涙で我に返った。
「なにか思い出してたのかい?」
佐倉さんが私の姿を見て声をかけてくれた。
「祖母の事を、思い出していたら思わず……」
「そうだったのかい」
「祖母は今、寝たきりの状態で……。お見舞いに行くと元気だった時の事を思い出してしまって、ここ何年か面会に行けてないんです。でも、この桜餅を食べたら、おばあちゃんに作って持っていきたいなって思えたんです」
途切れ途切れの私の話に頷きながら最後まで付き合ってくれた。
「それは、和菓子屋冥利に尽きるねえ~。いやー、最後までやってきてよかった」
「最後……?」
「後を継ぐ人もいないからね。この三月までで店を閉じるよ。だけどどうしてもこの桜餅は最後に作りたくてね。お嬢さんに食べてもらえてよかった」
佐倉さんの感情が笑顔から伝わってくる。
「そうなんですか……。寂しく、なりますね」
「いや、寂しくなんてないさ。終わりは始まりっていうだろう。ただ、これまでと違う方向目を向けたってことだ。私はこれからが楽しみだよ」
決して和菓子職人としてやってきたことが嫌だったわけではないけどね。と少しはにかみながらいう佐倉さんは年齢に反した若さがあった。そして、物凄くかっこよかった。未来を見据えて輝くあの人を「かっこいい」の一言で形容してしまっていいものかと考えたが、それ以外に言葉が見つからなかった。
 
まだ温かいどら焼きを受け取り、「また来ます」と約束して春月堂を後にした。
来た時より足取りが軽い。今なら空も飛べるかもしれない、なんて馬鹿なことを考えながら大きく息を吸う。まだ少し肌寒い空気が私の中をリセットしてくれた。
暗い空を見上げる。そこには朧月が顔を出していた。
 
拝啓、三月が嫌いな私へ。
 
もしかすると、三月も悪いものじゃないかもよ。
 
四月へ向かった私より。
 
 
 
 
****
 
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2021-04-03 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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