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Dream a little


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜

記事:月之 まゆみ(ライティング・ゼミ平日コース)
 
 
右を見ると世界遺産の興福寺の五重の塔が見えた。そのまま行けば元来た道に戻り駅に続く。でも私はその時、左の小さな路地を歩き始めた。奈良で花見を静かに楽しんだ帰りのことだった。私はすでに桜に酔っていた。
 
その日、急に思い立って会社を休み、奈良に出向いた。そして一本の桜の樹が放つ癒しに包まれながらまどろんでいた。
桜の下に座っていると全身から徐々に力が抜けた。桜に酔うとはこういうことなのかと実感した。小鳥がついばむ一輪一輪の花が、風車のように舞って私の頭や肩にはらはらと落ちた。
落ちた桜の花は声なき夢となって私に語りかける。
 
そんな午睡の帰りのことだった。私は知らない道を選んだ。そして歩いていると偶然、以前に一度だけ来たことのある立ち飲み屋の前を通りかかった。
そこは何度も探していたが、ずっと見つけられずにいた店だった。
店の前を通った瞬間、ここだ!と確信した。やっと見つけたと心躍った。のれんをくぐると店主が気さくに向かえてくれる。
「売っている酒はどれも試飲できるからね。好きなの選んで言ってね」
そう言ってまるで近所のよしみのように暖かく迎えてくれる。壁一面の冷蔵庫に奈良の地酒がならび、店の奥には6人程度が立ち飲めるカウンターがあった。
店主が一人で店をきりもりしている姿にうまい酒を飲ませる店だと確信した。
冷蔵庫並ぶ日本酒はどれも美味しそうだが、酒の銘柄には明るくない。
だが店をそのまま去ることが惜しくてカウンターへ向かう。
 
「おすすめの地酒はありますか?」そう聞くと、店主は明るく言い放つ。
「う~ん、そういう質問が一番、困るねん。どの酒も美味しいからね。ここにある酒蔵はどこも皆一生懸命、造っているからね。もっとはっきりと好みを言ってくれる方が選びやすい。飲み口がすっきりしている方はいいとか、旨みがある方が好みだとか、今しか飲めない酒がいいとかね」
その返答に素直にうなずいた。確かに自分好みを見つける楽しみを他人任せにしようとした自分が情けない。
 
一杯目の酒はこの土地でしか味わえない生酒を選んだ。一杯、250円と破格の安さだ。
日の高いうちにこっそり飲む酒はうまい。
店主は客に一升瓶から酒を注ぐたびに、その酒にまつわる短い物語を必ず語る。
酒の作り手の裏方の想いや苦労をその場にいる人に伝えて酒に旨みを与えていた。
居合わせた客は自分が飲む酒でもないのに、そのストーリーを聞いて酒の味を想像することを酒の肴にしていた。
また酒を出す時、「うまいよ!」と言って店主は酒に魔法をかけた。
 
「うまいよ! この酒はね、スキンヘッドのおっちゃんがたった一人で造ってるねん。おっちゃんが酒造り辞めたらこの酒蔵ももう終わりやけど、今は頑張ってるよ」
「うまいよ! いい酒選んだね。このコメは山田錦のお父さん、コメのサラブレッド。折り紙つきやからね。今年は仕込んでないので出荷量が減ってるから、もう次いつ飲めるかわからへん。今のうちに飲んどいて」
 
「うまいよ」「おいしいよ」「楽しいよ」「面白いよ」そう言って笑顔でモノを勧められると、なんとなく言霊でそのようになるものだ。一期一会でそこに居合わせた客の顔が一斉にほころび笑顔になる
 
ところで奈良の小さな酒蔵も平成時と比べると半分にまで減ったという。杜氏の継承問題だけでなく、日本人が日本酒を飲まなくなったのが主な原因だと店主は語った。
 
どれくらい飲めば作り酒屋を救えるかという酔狂の問いに、成人一人あたり1年で一石飲めば大丈夫でしょうと答える店主。
「一石の単位は?」
「一石は100升。3日に一升、1.8リットル飲めば消えていく酒蔵を救える。
実際、昭和の全盛期にはそれ以上に飲んでたらしいからね」と店主は言い添えた。
 
一石かぁ……。 そういって誰もがうなだれた。
そんな途方もない計画に真剣に悩むのも素直な酒飲みの長所だ。
天井のファンがゆっくりと店内の空気をかき交ぜていた。
店の前を店に入ろうかどうしようか迷う人の影を見つけて、心のなかで入っておいでよとつぶやいた。うまいモノ、楽しいモノに出会うにはいつもほんのちょっとの勇気がいる。
 
美味しいものは非言語のコミュニケーションで人の間を結びつけてくれる。
そして協調的にうまれる他愛のない会話のなかで、それまで眠っていた潜在的な感性を引き出してくれる。
良い酒と店は、心のなかに小さな風をまきおこし、心をざわつかせてくれる。
酒飲みはそんな小さな浪漫を求めて店に通う。
 
これは酒飲みのたわごとの話だ。ここまで読んでくれた人が酒を飲めない人だと本当にすまなく思う。どうか許してほしい。
 
そろそろ次の客が店に入ってきた。今度は私が席を譲る番だ。気に入った酒を手土産にそろそろ帰ろうか。
 
良い酒場には良いエネルギーを生む力がある。
文学も音楽も、様々な文化や芸術、発想の種は実はこんな小さな名もなき酒場で産声をあげているのかもしれない。
まるで一羽の蝶がバタフライ効果となって、地球の裏側で壮大な夢のエネルギーに変わっていくような想像を信じたい。
 
人の体温を感じられるほどの距離で、健康の心配なく再び酒を飲める日が戻ることを一日も早く祈りながら、酔った体に罰ゲームにさえ感じる酒瓶を抱えて店をでて歩きだす。
そして気分よく歩きながらはたと気づいて振り返る。あれっ!
店へと続く道がまた判らなくなっていた。今度はいつ来れるのだろう。
 
Dream a little それは大和の春のまほろばで見た小さな夢。
 
美味しいお酒、最近飲んでいますか?
春ですよ。こんな窮屈な時代ですが、きりりと冷やした地酒を一献、春の宵に飲んでみませんか……
 
 
 
 
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2021-04-03 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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