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祖母の最後の願い


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記事:九條心華(ライティング・ゼミ超通信コース)
 
 
生まれてからずっと一緒に住んでいた祖母は、大正元年生まれの頑固なおばあちゃんだった。名前が変わっていて、女なのにスエ尾といった。
 
保育園のころ、祖母がいつも送り迎えしてくれていたが、迎えに来てくれるのがお母さんだったときは、めちゃくちゃ嬉しかった。妹ははっきりと、おばあちゃんやったらがっかりだ、と言っていたそうだが、そんなことは言えない。
 
恥ずかしい思い出がある。保育園で先生に、「おばあちゃんの年齢は?」と聞かれて、体重を答えて、あれ何かがおかしい、と思った記憶がある。おばあちゃんの年令と体重がごっちゃになるなんて、こどもらしい。
 
おもしろかったのは、祖母はカタカナに弱いのか、「バス」のことを「パス」と言っていた。「パス」に乗って、よく東寺の弘法さんに連れて行ってもらった。
 
忘れられない古い記憶は、小学校に上がるか上がらないかぐらいのときに、祖母にお寺か神社に連れて行ってもらった。階段を上がっていくようなところで、こどもの足にはすこし大変な坂道だったのだろう。参道の脇の大きな岩の上で、「座って休憩しよう」と言って、祖母は持っていた柔らかなカバンを手のひらでペチャンコにして置いて、ここへ座りと言った。私は、「え、こんなカバンの上に座っていいん?」と思ったのを覚えている。物の上に乗ったり踏んだりしたら怒られていたからだ。とても特別なことに感じた。祖母は私のお尻が痛くないように汚れないように気遣ってくれたのだろう。私をそのカバンの上にチョコンと座らせてくれた。そして、「ああ、私はおばあちゃんに大切にされているんだ」と感じた。
 
小学校のころは、よく掃除機をかけてと頼まれた。妹もいるのになんで私ばっかりと思っていたら、きっとそんな不満顔をしていたのだろう、祖母は、「おまえはちゃんと隅々までするけど、あの子はまあるくしかしいひんから」と言った。へー、よく見てるんやなあって思った。
 
大学生のとき、祖母が突然、これ形見やといってプラチナのネックレスをくれた。「おばあちゃん、何言ってんのん、まだ生きてるやん、おばあちゃんが使うたらいい」と言うと、「おまえにやりたいんや。死んでからではやれへんからな」ときっぱりと強く言った。その意志の強さに、私は「おおきに、ありがとう」と受け取るしかなかった。祖母は21歳で結婚して、母も21歳で結婚していた。私も子どものころは21歳で結婚するなんて言っていたけれど、21歳の大学生だったとき、お付き合いしている人はいなかった。「学生結婚してもいいんやで」と祖母は言った。相手がいればね、と恥ずかしがりながら笑って返した。祖母は私の幸せな結婚を願ってくれていたのだろう。
 
それから、まもなくして、祖母はボケてきて、息子である父のことも、住んでいる家のこともわからなくなった。父に「どちらさんどす?」と聞いたり、今いる家は祖母が65年ほど前に住んでいた自分の実家だと思っているようだった。祖母がボケて悲しかったのは、笑わなくなったことだ。表情がなくて、祖母ではないようだった。
 
祖母はまだ元気だったころ、よく泉涌寺の近くにある、即成院(そくじょういん)さんにお参りに出かけた。妹がよくお供した。
 
「なんで即成院さんによくお参りするん?」と聞いたことがある。祖母がしょっちゅうお参りしていたからだ。
「あんじょう(上手にという意味)成仏できますようにとお願いするんや」と言っていた。
私が記憶する限り、祖母の願いは「あんじょう、あの世にいけること」だった。
毎日、朝夕仏壇に拝むときも、よく祖母は、あんじょう逝けますように、と言っていた。
 
祖母は、晩年よく家の中でこけて、骨を折ったりした。病院へ行って、とりあえず検査がてら泊まって入院しましょうと言われても、頑なに拒否をして帰ってきてしまった。祖母が入院したことはないと思う。
 
最後には、這っているだけでも腕の骨を折っていたから、骨ももろくなっていたのだろう。
それでも、両親が世話をして、祖母はずっと家にいた。
 
ある日、大学から帰ってくると、祖母はいびきをかいて寝ていた。母が、「おばあちゃん朝から1回も起きずにずっと寝てはるねん」と言った。へーどうしはったんやろか……。
「今日はおばあさんのそばで寝るわ」と言って、父が祖母のそばで寝た。
朝になって、父が近所のかかりつけのお医者さんを呼んだ。
祖母は、いびきもなく、ただ静かに寝ていた。
 
「呼吸が1分間に1回ぐらいになってきています。このまま呼吸の間隔があいていき、だんだん呼吸が止まります」と先生が仰った。
「老衰です、このまま見取りますか」
わたしたち家族は、おばあちゃんが望むような最期だと認識した。悲しいけど、静かにお別れのときがきたのだ。急いで、おばあちゃんの娘である叔母たちに、泣きながら電話した。
兄も電話しながら男のくせに号泣していた。電話口で泣いて言葉にならなかった。
 
その日は、4月19日の朝だった。前の日の18日は、朝から晩まで1回も起きることなく眠り続けていたので、祖母は、4月17日の夜からずっと寝ていたことになる。4月17日は祖父の命日だった。「おじいちゃんが迎えに来てくれはったんやなあ」誰もがそう思った。
家でのお葬式の当日、お庭の牡丹が満開に咲いた。まるで、その日のために待っていたかのようだった。お葬式に来てくれた人たちを、鮮やかな牡丹の花が出迎えてくれていた。
 
 
祖母の17回忌の法要の日、父は一人で静かに、ずっと仏壇を眺めて佇んでいた。その後ろ姿に、なぜか胸が締め付けられた。その直後に、父が癌だとわかった。祖母と違って、最後まで頭がはっきりしていたが、からだは見る見るうちに衰弱して、半年後には寝返りをうつことさえできなくなった。
「これからどないなっていくんやろうか」と父が呟くように言った。私は何とこたえてあげたらいいかわからなかった。父の不安は、とてつもないものだったのだろう。
 
私は妹を誘って、即成院さんにお参りした。即成院さんは病気平癒でも知られる。父がよくなってほしいという思いもあるが、とにかくあんじょうしてもらいたかった。それからまもなく、父は息を引き取った。緩和ケア病棟で、痛みを緩和するためにモルヒネを打ちながらだったが、あんじょう逝けただろうか。
 
あんじょう死ぬことを願うことは、あんじょう生きることだ。
祖母の25回忌の命日に、私はこれからの私の人生について思いを馳せた。
死ぬまでにしたいことがあるし、もっともっと幸せになりたい。
私の人生こんなもんじゃない!
もっと自分の生を輝かせて、自分を最大限に活かしてあげたいと思う。
 
 
 
 
***
 
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2021-04-30 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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