「キャンプ場の事件と、ある朝の蜃気楼」
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人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜
記事:青木 文子(ライティング・ゼミ超通信コース)
汗びっしょりになっていた。
どれだけ探しても見つからない。車はどこにいってしまったのだろう。荷物を慌てて探ると車の鍵はある。最近は道具で鍵を開けての盗難もあるという記事を思い出して青ざめる。
それは近場のキャンプ場での出来事だった。
3月も半ば、朝、目が覚めた土曜日。珍しく急ぎの用事もない週末で、仕事も一段落ついていた。年明けからこちら、土日も常に講座の仕事が入っていて、週末のオフ日がまったくなかった。今日ぐらいは丸一日どこかでのんびりしても良いだろうという気分になった。
唐突にキャンプ場に行ってみようかというアイデアが頭をよぎった。かつて大学生時代はおおきなザックを背負って、1週間山岳縦走をしていたほどアウトドア好きだったが、最近はアウトドアでなにかするなんてとんとご無沙汰だ。
思いついたら急に行きたくなった。空の下で飲む珈琲が格別に美味しいことを思い出した。夏も近くなってきたこの頃だ、きっと外で珈琲を飲んだりしたら良い気分転換になるだろう。
手近なザックに、小さなコンロと、湯沸かしのコッヘルと、アウトドア用のマグカップを放り込んだ。あとは買い置きのカップヌードルも。久しぶりに外で珈琲を入れよう。おなかがすいたらカップヌードルを食べるのもいいな。
愛車の青いスイフトを運転して近場のキャンプ場についてみると、車をとめる場所には先客の数台の車があるだけだった。
良かった、空いている。
車を停めて、ザックを手にして、キャンプ場をあるいていくと目の前が開けた場所のすこし小高い場所をみつけた。いい感じだ。シートを出して折りたたみの椅子を広げた。コンロに火をつけて、持ってきた水を入れたコッヘルを乗せる。すぐにお湯がわいてきた。携帯用のドリップ珈琲に注ぐと、あたりに良い香りが広がる。珈琲を飲んでシートに仰向けに寝転んだ。春の日和でうららかだ。
昼前になると、ぞろぞろと子どもたちの団体がいくつも現れはじめた。子供会やスポーツ少年団だろうか。これは早々に撤収した方が良さそうだ。
起き上がってもう一杯の珈琲を入れて飲んで、荷物をまとめた。駐車場はもう置き場がないほど車が並べられていた。一足お先に帰ろう。ところが、車を停めたであろう場所にもどったら車がないのだ。焦った。周りを見渡した。あれ? 車を停めたのはここだよね? そこにはすでに違う車が並べられていた。
車は緩やかな傾斜の山道の両側にずらりと並べられていた。場所を間違えるはずはない。車が並んでいる一番端まで降りていって、そこから左右の車をみながら傾斜の道を上っていく。大きなスーパーでも車の置き場所が分からなくなることはあるけれど、ここは一列だけ。分からなくなることはあり得ない。
盗難? 持って行かれた? あまりにのんびりとしていたからいけなかったのか。車の鍵を一緒に持って行かれた? 車がないと明日の仕事のアポも変更しなくてはいけない。もう一度傾斜の上の方からしたまで車の列を順番に確かめていく。気持ちばかりがどんどん焦っていく。ない、ない。
そこまできて、汗びっしょりで目が覚めた。
夢だった。
私の車はどこにある?
慌てて身体を起こそうとして、ふっと正気に戻った。
これは夢だ。夢の中の出来事なのに、まだ胸がドキドキと鼓動を打っている。焦らなくてもマンションの駐車場の8番の位置に私の車は置いてあるはずだ。半分の安堵と半分の残った焦りがない交ぜになったまま、もう一度布団に身を沈めた。
枕元の時計は8時を指していた。よく考えれば今日は土曜日でなく金曜日だ。
そろそろ起きて事務所に行く時間だ。でも起き出す気になれずに、布団に身を沈めたままぼんやりと考えた。夢か。夢なのだ。夢だとわかった途端、さっきまで感じていた焦りや後悔が気持ちだけ空中に取り残されたようだ。
ふと、ピダハンの話を思い出した。
過去も未来も持たない部族がいるという。その部族はアマゾンの奥地に住むピダハンという部族だ。アマゾンの支流の一つ、マイシ川の畔に住んでいる実在の少数民族で、400人弱という彼らは今も独自の文化を守って暮らしている。
彼らは過去という概念も未来という概念も持っていないという。
ノンフィクションの書籍『ピダハン「言語本能」を超える文化と世界観』でそれを知ったとき、「ちょっと何言っているのかよく分からない」と思った。過去がない? 未来もない?
私たち多くの日本人は時間という概念を持っている。時間は過去から未来へと流れていく。未来から時間が流れているというと私たちは思っている。
そもそも過去とはなんだろうか? そして未来とは何だろうか?
過去も未来もどちらも目に見えないものである。その目に見えないものを私たちはどうやって認識しているのだろうか。
鍵は「言葉」だ。
ピダハン族は言語として過去形も未来形も持たない。もっといえば、右と左という概念も、数の概念もないという。色についても言葉がほとんどないので、表すこともないし、表す必要も感じていないという。
その言葉がないとしたら、私たちはその事を認識できない。だからピダハン族は色も、過去も未来もない世界に生きている。
ピタハン族は過去を気に病むこともないし、起こり来る未来に対して不安も抱かないという。かつて宣教師がキリスト教の布教に来たときも、だからまったくキリスト教は広まらなかったという。過去がないということは後悔も反省もない。だから懺悔の必要もないし、そもそも思い悩む事もない。そうか、と思い至った。思い悩むことがない人たちにとって宗教は無用の長物だろう。
私たちは過去に縛られる。過去の思い出、過去の心の傷。縛られたまま、現在の自分が思い通りに動けなかったり、塞ぎ込んだりする。ピダハン族の彼らにはそんなことはないらしい。そもそも過去というものがないのだから。
人間の悩みはほとんどが人間関係によるという。過去の自分の振る舞いや行動に後悔し、これから先の未来に起こる不安定要素に心許なくなる。ピダハン族の人たちはそんな悩みを持つことがないらしい。人間関係の後悔も不安もないというのは想像もできないが、さぞかし晴れやかなものだろうと想像する。
過去が言語によって認識されているものであるとしたら、過去は認識がなくなることで消えていくはずだ。確かにあのときは胸がうずくほど後悔した失恋も、時間が経つと大して思い出すこともなくなる。過去そのものの認識が薄らぐと共に、蜃気楼のようにその存在がなくなっていく。
蜃気楼のようにその存在がなくなっていくなんて、まるで今朝の夢のようだ。思いつきをたぐるようにきれぎれに考えた。あれほど焦った事件が夢だったと分かった途端、蜃気楼のように存在が薄らいでいく。それでも胸のドキドキはまだ残っていた。そこまで考えてようやく起き上がる気になった。
そろそろ着替えてメイクして事務所へ仕事に行こう。
玄関を出て駐車場に向かう。マンションの住人たちの車はもう出勤後で数少なになっていた。駐車場の8番の位置に目をやると、愛車の青いスイフトが何事もなかったように朝の光を浴びて停まっていた。
***
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