メディアグランプリ

負け上手


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

【6月開講】人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ《平日コース》」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜

記事:haLuna(ライティング・ゼミ平日コース)

 
 
かっこいい人になりたい、と思っていた。
かっこいい人に憧れて、できればみっともないところを見せずに、早々にかっこよくなりたかった。
 
私は作詞家の仕事をしている。仕事をしている、といっても世に出ているのはまだ数曲で、その仕事一本で食べていけるほどの収入はない。
そのうえ、私は一年ほどのチャレンジでコンペティションに通ってしまい、何のメソッドもノウハウもないまま「プロ」の世界に入ってしまった。
ほんとうは、私は作詞家ではなくシンガーソングライターになりたかった。今もその気持ちは変わらずライブ活動も続けている。だけどライブに出るたび、自分よりずっと優れた楽曲をつくるアーティストたちに出会う。「作詞家です」と名乗るのも恥ずかしくなるくらい、私には何もない気がする。そういう自分がずっとコンプレックスだった。
 
憧れた人たちは、昔も今も素晴らしい言葉を紡ぎ続けている。
自分もそれに続いて、なんとか上手いことを言おうとするのだけど、いじってこねくり回すほどにそれは不自然になり、最初に生まれた言葉は色褪せて薄まって、どこかにいってしまう。そうしてまた破り捨てる。そんなことの繰り返し。
「上手いことを言ってやろう」──そういう下心が必ず見透かされてしまうということは、この数年で実感した。
 
それでも、コンペにだけは参加し続けていた。
思えば、初めて提出して通らなかった時のあの落胆。あれは、忘れられないものだ。
最高の作品が出来た。きっと審査する方々も膝を打つに違いない。朝までかかって推敲を重ね、こだわりにこだわり抜いた作品には、しかし、なんの返事も返ってこなかった。
基本的に、コンペは通過者にしか連絡はこないものだ。応募してから3日が過ぎ、5日が過ぎ、そして一週間が過ぎ、もしかしたら選考に時間がかかっているんじゃないか、そんな希望的観測もむなしく落選の色は濃くなってゆき……そうしてしばらく経ったある日、立ち寄ったコンビニやドラッグストアで、私が作ったものではない歌詞の乗ったその歌が、店内に流れているのを耳にしたりするのだ。
何度経験したかわからない。
強くなるしかなかった。
そう、私がこの数年で身につけた、たった一つのことは、「打たれ強くなる」ということだった。
 
私はどちらかというと、いろいろなものが手放せないほうだと思う。思い出とか、今の生活習慣とか、過去に成し遂げたものへのこだわりとか、好きなものへの執念とか。
それらは私を助けて前に進めてくれるものでもあるし、同時に、成長の妨げになることもある。認められたことを上書きされたくなくて、「次の挑戦」に向かうのが難しくなったりもする。
 
思うように動けていない時は、周りがどんどん新しいことに挑戦しているように見えて、自分だけが取り残されているような気持ちになる。
あぁ、クズみたいだな。本当は、いつもそう思っている。立ち止まると、常に後ろから迫ってくるその気持ちが自分に追いついてしまう。呑まれてしまう。
そう、落ち込むのはきまって、自分が動けていないときなのだ。
 
だから、常に動いていることに決めた。
コンペは応募がすんだら綺麗に忘れる。そしてまた次に取りかかる。結果を待たない。
ライティング・ゼミの課題も同じ。締め切りが過ぎたら、結果が出る前にもう次に取り掛かる。
動きながら、いろんな情報を怖がらずに取り入れる。ひとの作品は読む、聴く。そして考える。
 
以前の私は、落ち込むのが嫌で「終わったことはいいや」と放置することが多々あった。だめな結果と向き合うことをしなかった。そうして、何がだめだったのか見ようとしないまま、同じところをぐるぐると回っていた。
コンペで落とされるたび、選ばれないのは運が悪かったのだと考えたり、先方のセンスと合わなかっただけだと考えたりもした。そう、元々マイナーな音楽ばっかり好きだしね、と自分に言い聞かせて。
 
だけど、マイナーでニッチだと思っているその人たちの音楽も、ちゃんと私の耳に届いてくれているから今の私があるのだ。それが何を意味するのか。
彼らもまた、心の中にどうしても伝えたいことがあって、「伝える」ことを磨いて磨いて、あらゆる人たちを納得させたから、世に出ることができたのだ。今、こうして私を励ましてくれているものは、苦しみ抜いた時間の結晶なのだ。
憧れの人たちが、まちがいなく通ってきた道……。
そのことに気がついた時、「べつに、売れ線目指してるわけじゃないし」は甘えだということを、はっきりと自覚した。
 
私は、伝える力がほしい。この心の内に燃えるあらゆることを、誰かと分かち合いたい。
歌も、作詞も、文章を書くことも、ひとしく「伝える」ことだ。
その先には「ひと」が居る。だから磨きたい。ちゃんと届けることができるように。
 
だったら前に進むしかない。進むには、強くなるしかない。
そしてそのためには、出し惜しみしないで、今の全部を出していくしかないんだ。かっこよく見せようと思わずに。
 
不思議なことに、本気になればそれだけで、アンテナが生き返ってくる。それまで見えなかった法則や、法則を越境して訴えかけてくるものが感じ取れるようになりはじめる。自分で鈍らせてきた感受性に気づく。
その人にあって私にないもの。
焦点をずらして見れば飛び出してくる3Dイラストのように、なにもないと思っていたところから浮き上がって見えてくる。あぁ、負けるってエキサイティングで清々しい!
自分の中に眠っていた熱量に気づくときほど、わくわくすることはない。
自分がいきいきと動けるようになりはじめると、たとえ結果が出ていなくても、周りのことは気にならなくなる。落ち込む暇など、自分に与えてやらないんだ。
 
私は、いろいろなものが手放せないほうだ。
でも、手放した先にこそ求めているものが待っていたりする。不思議なものだ。
一旦手放したものが別の軌道を描いて、地球の裏側で出会ったりするから面白い。頭の中から想いを取り出して、言葉に落とし込んで綴られるままにまかせるという行為は、ときにまったく予想外の動きをして頭より先に真実にたどりつく。それが面白い。面白いから止められない。
だから私はやっぱり、作詞も、歌うことも、文章を書くことも続けていこうと思う。
 
そしていつか必ず、かっこいい人になってやる。

 
 
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2018-06-28 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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