メディアグランプリ

うつは幸せな人生への扉


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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記事:岩本義信(ライティング・ゼミ平日コース)

 
 
「今日休みますって、会社に電話して……」
ピクリとも動かない体を布団に横たえたまま、妻に職場への電話連絡を頼んだ。
思考ができる。会社に行かなくては、とも思っている。しかし、身体がまるで大きな一本の鉛の棒になったかのように、起き上がることどころか、指一本すら動かせなかった。
「なんだ、これは?」初めての経験に戸惑いつつも、振り返ってみると予兆はあった。
 
「8月からは、日本に帰国して環境プラント建設事業部で勤務してもらう」
1年前の6月末。骨の髄まで冷えそうなほどエアコンの効いたシンガポールのオフィスで、部長に呼ばれ異動の内示を受けた。シンガポールのオフィスは暑がりな現地女性スタッフのせいで何時もギンギンに冷えていた。
 
シンガポールには、新たに建設する当時最新鋭の半導体工場の人事総務担当として2年間赴任していた。得意の英語を活かし仕事がしたいと、入社前から希望していた海外勤務。同期の中では最も早く海外勤務の切符を手に入れ、順調なサラリーマン人生だった。あの日の朝までは。
 
「これを見ろ」
上司が苦々しい顔をして、私に見せた日経新聞の1面には、
<ⅩⅩⅩ会社 半導体事業から撤退> の大見出しが。
 
「ここ最近ライバルメーカーの増産で価格が暴落していてヤバイとは思っていたが、まさか事業撤退とはな。だいたい会社からの説明の前に、新聞で知らされるって一体どういうことなんだ」上司は怒りともあきらめともつかぬ声でつぶやいた。
 
それから、6か月の間に、当時現地にいた50人の日本人社員は次々と日本に帰国していき、自分は人事総務担当として全員を送り出してから、最後に帰国した。
 
帰国後の職場は、自治体のごみ焼却処理プラントを設計から建設工事まで請け負う部門だった。前職の半導体部門とは全くの畑違いでたとえて言うなら、サッカー部と茶道部みたいなもので共通点を探してみてもかすりもしない。同じ会社でも、事業内容が違うとここまで違うかというほど、専門用語はもちろん、仕事の進め方、社員の気質にわたって、違っていた。
「それ、なんかおかしいんじゃないですか」
当時頑なだった自分は、前の職場での仕事の仕方や物の考え方を絶対的な正しいとし、あれもおかしい、これもおかしいと同僚や仕事の仕方を批判するばかりだった。その一方で、入社10年目になろうかという段階でスタート時点に逆戻りし、建設工事のプロジェクトに放り込まれ仕事量は多く、それに初めての仕事で分からないことだらけ。忙しく仕事している2,3年目の若手社員に「ちょっといいかな」と気を使いながら聞いて回る毎日。イライラとストレスと疲労といつも一緒だった。
 
そんな毎日を過ごしているうちに、だんだんと脳がものを考えることを拒否し始めた。やらなきゃいけないと思っても脳が動かず、まったくものを考えるということができなくなった。仕事はわからない、頭は回らない、でも仕事の締切は迫っているという悪循環がストレスとなって、心身の状況は悪化していった。
「こんなので弱音なんかけるか」と自分で自分に鞭を振るっていたら、ある日の朝、全身が鉛のように重たく、微動だに動けなくなってしまった。鞭が振れなくなっていた。
 
今からみれば、それはうつ症状そのものだった。
当時はうつとかメンタルヘルスという概念が浸透していなかった時代で、周りも自分自身もてっきり身体の病気だと思っていた。午後になりようやく布団から出ることができて、近くの病院に行って検査をしてもらったが、血液検査は、見事なぐらいの正常値がずらりと並んでいた。「どこも悪くないですね。お疲れが溜まってるんじゃないですか。まずはゆっくり休んで様子を見てください」と医者は言った。
 
それから、しばらく会社に行けなくなった。家族に心配させてはならないと思い、朝、頑張って家から出るものの、駅に着いたら会社とは反対方向の電車に乗って、一日中電車旅をしていたこともあった。このまま線路に飛び込んだら、楽になるだろうなと何度も思った。心療内科にも通ったが、うつ病の自分が、この先生では全体治らんと確信するくらいのダメ医者だった。運にも見話された。
 
状況は悪化し、身体がまったく動けなくなった。
横になっている自分を不安げな表情で見ている妻。その横で楽しそうにおもちゃで遊んでいる2人の子ども。その光景を見て思った。
 
「こんなことで死ぬわけにはいかない」
 
昇進レースはあきらめた。人事評価でバツがついても構わない。まずは普通に生活と仕事ができるようになるのが家族のために何よりも最優先だと決めた。
数日後、会社に行って上司に自分の心身の状況を説明し、今の仕事から外してもらうように頼んだ。それはあっさり叶えられた。自分の業務量は半分になり、3か月後には営業部門に異動になった。その頃にはつい直前まで苦しんでいたのがウソのように、元気になった。
 
ストレスの原因がなくなったから? それもある。しかし、元気になった一番の理由は執着を無くしたこと。昇進レース、人事評価、周囲同僚の目等への執着をすべて放り投げた。すると、心が軽くなり、身体も軽くなった。財布も軽くなったかもしれないが、それ以上に心の平穏を手に入れた。
 
それから、自分は10年間の営業担当を経て、今は人事の仕事をしている。最近はメンタルを患って休職する若手社員が多く、今も数名の社員を受け持っているが、自分がうつを経験したことで、相談相手の気持ちがよくわかり、同じ目線で話ができる。病気になったことの無い人は病気の痛みがわからないのと同じで、うつの辛さはうつになってみないとわからないもの。そういう意味では、うつになった経験は無駄どころか大いに役立っている。それに、一度ドン底を経験しているので、幸せのを感じるハードルが異様に低くなり、ちょっとした事にも喜びやありがたさを感じることができるようになった。
 
あのまま昇進レースに突っ走っていたら今頃どんな人間になっていたかと思うと、ぞっとする。
 
うつは幸せな人生への扉。
だけど、くれぐれも重症化しないうちに治すことはお忘れなく。

 
 
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2018-07-11 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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