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メディアグランプリ

この命を燃やせ


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

【8月開講】人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ《日曜コース》」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜

記事:haLuna(ライティング・ゼミ平日コース)
 
 
「どうしたの? 今日は調子悪い?」
「……すみません……」
その日私は、歌のレッスンで全く声を出すことができず、それ以上先生に見てもらえなかった。すみません、と言ってしまうとなお、自分のことが情けなく思えた。
6月26日。事務所内で上位のクラスに上がれてから3度目のレッスンだったが、体のふるえが止まらなかった。
緊張ではない。直前に咳喘息発作があったために、あわてて吸入した治療薬の副作用だった。
近頃はだいぶ頻度も減ったのだが、こうしてたびたび発作がやってくる。
結局その日は大した収穫もないまま、貴重な一回のレッスンを無駄にしたような気持ちで事務所をあとにした。
 
不甲斐ない夕暮れを睨んで歩きながら、私は無意識に、2年前の今日に思いを馳せる。
それは、あるステージの光景。
今でも、思い出せば胸を掴まれる。癌の末期にあってあの声、高く振り上げられた足。誰もが息をのんで惹きつけられた、忘れられない瞬間。
その姿を思い出して、私はあらためて、今日のレッスンでのことをはっきりと悔やんだ。
きっと、このふるえが本番だったなら、声は出ていたと思う。
先生にも「調子が悪いね」と言ってもらえて、気がついてもらえて。つい、はいそうなんです、今日は調子が悪いだけなんです、という態度が出てしまった。甘えが出てしまった。そのことを自分が一番よくわかっている。
体は精神に忠実だと、つくづく思う。勿論、出来ると信じればすべてのことが出来るわけではないが、出来ない、と思うと出来ることも出来なくなる。
甘やかしてもらった時間を、誰かが肩代わりしてくれるわけじゃない。自分の体との付き合い方がわかるのも、自分しかいない。
いつも、本番のつもりで取り組まないと、その時間はただ流れていってしまうのに……。
よりによって、今日というこのタイミングで自分が歌い切れなかったことが、ことさらに悔しかった。
 
 
 
 
6月26日は、私にとって特別な日付だ。
 
 
ミュージシャンにとっての最後のLIVEは、もうひとつの命日なのかもしれない、と思う。
あの日、病に冒されて立つのも危ういほどだったはずのその友人のパフォーマンスは、すさまじいエネルギーを放っていた。
音の一つ一つ、表情、振る舞いのすべてに血が通い、熱を持って突き刺さった。
あのステージの眩しさ、地下一階から外に出た時の熱気、一番いい笑顔で撮れた写真や、今も肌に感じるその時間は、あの時より少しだけ、ヒリヒリとしたものを伴って蘇る。
どれだけ技術を磨いても、あの日のあの輝きには遠く及ばないような、そんな気がしている。だからこそ、甘んじることなく技術も磨いていかねばならない、と思う。
音楽的文脈と、技量は両輪だ。真摯であること、ごまかさないこと。ひたむきであること。そういうふうに向かうことでしか、その先の景色は見ることができない。
 
 
 
彼女が2016年8月に亡くなって、同じメンバーの中でボーカルをやってくれないか、と彼女の旦那さんに言われたのは、その年の10月のことだった。
旦那さんは彼女と同じバンドのバンマスで、ベースを弾いていた。彼らは夫婦であると同時にかけがえのない音楽的パートナーだった。
2ヶ月。気が早いかもしれない。それが、周囲にどんなふうに映ったかはわからない。
でもきっと、歩みを止めないことが彼なりの覚悟だったのだと思う。
なら、歩みを止めさせないことが私の仕事だと思った。
そのときに生まれた覚悟のようなものは、今も私の心を燃やしている。
 
 
そんな大いなる覚悟をもって臨んだはずのバンド活動も、始まってみればただただ楽しくて、ひたすらに音楽を追い求めることにすぐさま夢中になった。そうして、音の世界に潜って、浸って、幸せな時間が積み重なっていくのを感じている。
それでいいのだと思えた。だって、彼女もそうだったと思うから。
知り合ってからのほんの数年の間だったが、私と彼女が夜な夜な語り合ったことのなかで、互いにそういう感性を感じ取っていたし、だからこそ、いつも朝方まで話が尽きることがなかった。「歌」を通してかけがえのないたくさんのものを共有することができた。
愚痴や悪口なんかを言い合うよりも、ずっと面白い時間を過ごすことができた。
そういう時間が、彼女と私のつながりのひとつひとつで、そして今の仲間たちを私をつないでくれる糸になっている。
事実、彼女が好きだった人たちと過ごす場所は、すこぶる、空気が良い。
 
 
私の命にも、限りがある。
旦那さんにも、残された仲間――彼女と20年も一緒に音楽を奏でてきた人たちにも、限りがある。順当に行けば、皆、私よりも早くに旅立つだろう。
彼女が亡くなってから、それを意識しない日はない。
この一日は、長くもない私たちの、命のなかの一日だ。
ならばそれをできる限り、音楽に捧げたい。その思いは日増しに強くなってゆく。
できるだけ遠くまで、高いところからの景色を。
この仲間と一緒に、その世界が見たい。 その輪のなかに必ず、彼女はいるはずだから。
何の根拠もないそんな思いが、不思議な実感をともなって胸のうちにある。
 
 
私は彼女から、ものものしい教訓や重い足枷は何一つ受け継いでいない。
ただ“今を生きる”という実感だけが、強く強く残っている。それは、爪あとのようなものかもしれない。
悲壮感ではなく、彼らと過ごす一秒一秒を抱きしめたいような気持ち。
 
 
彼女との間に私が持っている思いは、とても2000字で書き尽くせるようなものではなくて、何度も筆が止まってしまう。予想外だったが、涙も止まらなくなる。
だけど、これは大切な涙だ。色あせないことがこんなに尊いとは知らなかった。
 
亡くなってから知ったこともたくさんある。
私と同じで、赤じゃなく緑が好きだったこと。私と同じで、ピアノが弾けたこと。私と同じで、詩を書くのが好きだったこと。
きっとこれからも、彼女と関わった人たちから面白い話がたくさん聞けるのだろう。
その度に、新しい彼女に出会うことが出来るはずだ。
その先にはいつも、あのライブの、生命を燃やしてそこに立つ姿があって、私たちの生命を鼓舞してくれるのだと思う。
 
 
――夜にまだおさまらぬ熱気の中を歩く。午後7時になるというのにまだ明るい。
あの日の彼女を頭の中で何度も再生しながら、私はバンマスにLINEを送った。
 
 
『ぴぃさんはかっこよかったっすね。まじで』
 
あの日から2年。少しでも近づいたか? 追いついているだろうか?
前のめりで追いかける。
***

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2018-07-18 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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