メディアグランプリ

真夏の夜の青い心


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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記事:イシカワヤスコ(ライティング・ゼミ平日コース)
 
 
「トイレットペーパー買ってきてくれない?」
14歳の夏、だった。
 
早めの夕飯の後、母にお使いを頼まれた。
夏休みで暇を持て余していたわたしはもらった千円札1枚をそのままポケットに入れて、夜の町に自転車をこぎだした。
買い物のためだけに夜にひとりで出かけるのはまだあまり経験がなく、ちょっとテンションが上がる。
せっかくだから、隣の駅前のドラッグストアへ行くことにした。
家の前の大通りを、ゆっくりと走っていく。
気温も下がり、夜風は気持ちがいい。
昼間はたくさんの車が絶え間なく走っている道も、夜は途切れがちだ。
静かで広い道路は何だかワクワクする。
歩道は、街灯のある所とない所と、自転車のライトで照らされる光の濃淡が楽しい。
無人の電話ボックスはスポットライトみたいにひときわ明るく発光し、そこに誰もいないことを浮かび上がらせる。
住宅街だけれど充分都会な空に、星は見えない。
星がなくても、夜の中にはきれいなものがたくさんある。
5分もすると、隣の駅まで続く長い長い商店街の入口だ。
バンドマンが多く住んでいることでも有名なこの町は、夜でも煌々と灯りがともり、人通りも多い。
シャッターが閉まっていたり店じまいをしている途中のお店を、「ここは何屋さんだっけ」と記憶の地図と照らし合わせるゲームをしながら進む。
信号をひとつ渡り、いちどゆるやかに坂を下って、また登ったら駅に着く。
登りきる直前のドラッグストアで、無事に任務を完了した。
  
さて、帰るか。
本当はもうちょっと寄り道したいな。
まだ開いている本屋でウロウロしたいけど、完全に手ぶらで来てしまった。
遅くなりすぎるとさすがに親も心配するだろうから、またの機会に。
こちら側の坂は、自転車を降りないといけない。
前かごに入りきらない大きなトイレットペーパーを乗せて、ブレーキをかけながらゆっくりと歩き始めた。
坂道を下り始めてすぐのところに、有名なライブハウスがある。
ライブハウスって、どんなところだろう。
大きなホールのコンサートには行ったことがあるけれど、ライブハウスはまだ未体験だ。
少し手前にバンドマンらしい格好をした男の人達が、10人ほどたむろしていた。
この町では、ありふれたいつもの風景。
何となく目を向けたわたしは、その中のひとりの顔に息を飲んだ。
彼がいる。
  
とても人気のあるバンドのボーカリストだ。
細い手足を震わせ、眼を剥き舌を出しながら飛び跳ね、ストレートな心に響く歌を歌う。
わたしも夢中で毎日聞いているし、ファンクラブにだって入っている。
その彼が目の前に、いる。
心臓がバクバクしてきた。
え……? 本物??
どうしてここにいるの?
あ、サイン! 握手してほしい!
いつも聞いてます、大好きって伝えたい!!
でも。
いまわたしが持っているのは、レシートと小銭、家の鍵と……12ロールのトイレットペーパー。
ていうか、誰にも会わないと思ってどうでもいいTシャツに短パンにビーサンだし。
周りにいっぱい人がいるのに、声をかけるだけでも恥ずかしい……。
プライベートっぽいし、邪魔に思われるかも。
無理だ。
まだ14歳のわたしには、油断しまくった格好にトイレットペーパーを積んだ自転車で憧れの人に突撃する勇気はなかった。
彼の顔を見つめたまま、高速で心臓を鳴らしながら距離が縮まっていく。
彼は、とても静かな感じだ。
歌っている時のみなぎった感じでも、雑誌に載っている時の満面の笑顔でも、ふくれっ面でもなく、ただ普通の顔をして、誰と話すともなく、そこにいた。
ちょうど彼の前まで来た時に、目をそらした。
少しずつ少しずつ、遠ざかっていく。
あぁ、せっかく会えたのに。
何とも言えない敗北感。
わたしは何に負けたのだろう。
ぼんやりとした頭でノロノロと自転車をこいで、家に帰った。
  
あれから数十年。
彼は人気を保ち続け、いまだにちょっと特別な存在感で日本のロックシーンに名前を残している。
わたしは大人になった頃に別の音楽に出会い、彼が新しいバンドを組むたびに少しずつ少しずつ遠ざかってしまった。
もし、あの時、彼に声をかけられていたならば。
真正面から向かい合い、握手してもらえていたら。
そんな至福の時間を持てていたら、死ぬほど退屈で窮屈な中学時代の心の支えになる、ひと筋の光になっていたかもしれない。
大人になり、別のミュージシャンの追っかけをしたり、好きな画家さんに会える機会があると、ほんの少し、あの時のことを思い出す。
もし声をかけられていたら。
握手できても、無視されたとしても。
きっと彼はトイレットペーパーも服装もどうでもよくて、視界にすら入らなかっただろうと思う。
過剰な自意識で千載一遇のチャンスを逃した。
もう後悔したくないから、大好きなアーティストさんを目の前にした時には、きちんと「好きです」と言うことにしている。
あなたの作品が、わたしの日々に光を与えてくれています。
ありがとう。ありがとう。
伝えたいことは、ただそれだけ。

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2018-08-29 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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