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ウージの下で千代にさよなら~学童疎開を知っていますか~


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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記事:河野 裕美子(ライティング・ゼミ平日コース)
 
 
あなたが旅行から帰って、あるはずの家族のお迎えがなかったら?
もしくは、帰って来るはずの家族が戻って来なかったら?
そんなことが普通に起きていた、戦時中の沖縄の学童疎開のお話。
 
「生き別れはいいんですよ。いつか会えるから。でも死に別れはいけません。もう二度と会えませんから」
疎開経験者のおばあちゃんのお話は、私の胸に静かに染み込んでいく。
私は仕事のため、ここ沖縄県を訪問した。
沖縄県は、日本で唯一地上戦が行われた土地である。
 
もう一人、学童疎開の経験者のおじいちゃんは言う。
「私が疎開したのは、小学3年の時でした。
戦争には子どもは邪魔なんですよね。食糧難だから、口減らしの目的もありました。
でも、私は子どもだから、そんなことは知らなくて、ただ友達と大きな船に乗れるのが嬉しかった。
見たこともない大きな船でした。ワクワクしました。
船の周りには、疎開船を守る護衛艦も何隻かついていたから、安心してました。
まさか、その1週間前に、疎開船が撃沈されていたなんて、全然知らされていなかった」
私の住む宮崎県に、おじいちゃんたち沖縄の子どもたちが、戦争から逃れるためやって来ていた。私の仕事は、学童疎開で縁のある沖縄県に、平和学習のために中学生を連れて行くことだ。
「救命胴衣をつけたまま、甲板で、すし詰めで寝てました。でもその救命胴衣は、おがくずでできているから、2時間しかもたないんです」
 
そのおじいちゃんの船の1週間前に出発し、撃沈された船の名前は「対馬丸」。ご存知の人は少ないだろう。私も、この仕事をするまで知らなかった。
国民学校の児童ほか1,600名以上を乗せた疎開船。戦艦でも何でもない。戦地に物資を運ぶ輸送船でもない。
その対馬丸は、8月22日22時12分、一発の魚雷により、沈められた。
おがくずの救命胴衣では、助からない。イカダも十分にはない。生き残った児童は、わずか59名だったという。マンモス小学校が、ひとつ丸ごと沈んだようなものである。
お母さんが対馬丸に乗っていた、という方と知り合った。
お母さんは、当時小学4年生。イカダにしがみついて、1週間漂流し、命からがら無人島にたどり着いて、どうにか助かったそうだ。
台風の荒波に揉まれ、一緒に漂流していた人たちは次々と力尽きていなくなり、潜ってとった魚を生のまま食べる。
「タイタニック」もここまでではなかったろうと思えるような、壮絶な体験。
それが真実の話だなんて。
 
お母さんは、そのまま沖縄に戻ったそうだが、先ほどのおじいちゃんの船は、無事に鹿児島県に到着。それから目的地の宮崎県までやって来た。
「夏物しか持って行ってなかったんです。だって3カ月で戻って来れるって聞いていたから。
だんだん寒くなっていって、服をどうしたんだったか、全然覚えてません。誰かが袖をつなぎ合わせてくれたのか、もらったのか。
しもやけで手足が腫れるのがつらかったですね。かゆくて。
疎開先では、よくしてもらいました。だんだん厳しくなって、みんなひもじくなりましたけど。
結局2年いました。
やっと帰れることになって、引き留めてもらいましたけど、家族のところに帰りたかった」
私が地元で聞いた、受け入れ側の話とはちょっと違う。
地元では、ただでさえ食料がないのに、疎開してきた子どもを、よく思わなかったそうだ。
空爆されたのも、沖縄の子どもがいるからだと思ったり、仲良くできずにいじめたりしてしまったと、とても悔やんでいた。
それなのに、沖縄の子どもは(今はおじいちゃんだけど)一言も疎開先のことを悪く言わずに、お陰で生き延びられたと言うのだ。
 
やっと沖縄に帰ったおじいちゃん。迎えの家族が来るのを、楽しみに待っていた。
一人、また一人と家族が迎えに来て帰るなか、おじいちゃんには、とうとう迎えは来なかった。
祖父母、両親、兄が亡くなり、姉と弟だけになっていたそうだ。
姉が養ってくれたが、2年後には体を壊して亡くなった。
おじいちゃんは、中学1年で大黒柱となった。
 
冒頭のお話のおばあちゃん。
おばあちゃんもやはり、帰ったら大好きな兄が亡くなっていた。
「つらいことは、耐えることができます。でも、あきらめることは一生できません。戦争は、二度とするもんじゃないですよ……」
戦争を経験した人の誰に聞いても「あの戦争は仕方なかった」とは言わない。
安全なところに、と子どもを疎開させたのに、子どもが帰って来なかった。
やっと会えると帰った先に、家族はいなかった。
悔やんでも、死に別れたら、もう会えない。
「戦争は過去のことで、自分には関係ないと思ってる人がきっといるけど、そういう人たちにもこの声を届けることが、私たちの役目だと思う」と、派遣された中学生は話してくれた。
今のこの平和な社会は、たくさんの涙の上に立っている。
悲しいさよならの上に立っている。
私たちは、このつらい過去のことを、決して忘れてはいけない。
二度とこんな目に会わせたくないと、声を振り絞る人たちのためにも。
 
おじいちゃんもおばあちゃんも、こちらの中学生にお土産を持たせ、笑顔で見送ってくれた。
私たちはつないでいくんだ。
この笑顔と、たくさんの夢を抱いたまま散ってしまった命を。

***

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2018-09-05 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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