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行って帰れることが、当たり前じゃない旅


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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記事:いづやん(ライティング・ゼミ日曜コース)

 
 
「なんか、今いるところのすぐ南に台風できたみたいだけど、大丈夫?」
 
Twitterのリプライで友人から連絡をもらった僕は、すぐさまスマートフォンの天気予報アプリを立ち上げて、天気図を見た。確かに思ったよりも近くにヤツがいた。
 
その日、僕は日本最西端の地、与那国島にいて、たまたま開催日だった豊年祭の催しを近くの神社で楽しんでいた。空は晴れ上がり、八重山の島の祭りを引き立てるような明るさと暑さが取り巻いていた。友人から連絡をもらわなければ、台風が近づいてくることなんてまったく頭には浮かばない空模様だった。
 
「また来たか。まあいつものことだし慣れっこだけど」と少しうんざりした面持ちで宿の部屋に戻った夕方。持ってきていたノートPCを立ち上げて、台湾の南にできた台風の進路をチェックした。
 
僕が日本の島々を旅するようになってもう20年以上経つ。足跡を残した有人離島は80を超えた。
 
この時の与那国島のように、旅先で台風に遭遇することも実は珍しくない。そんな時は、ほんの少しだけ、映画の主人公になったような気分になる。
 
「この危機的状況で、いかに島から脱出するか!」
 
島を旅して渡り歩く僕にとって、ある意味見せ場のような瞬間でもあった。
 
ノートPCからささっと飛行機の便を変更して、宿も取り直した。与那国島の後に一泊する予定だった竹富島は、また今度にしよう。
 
そんな僕が生まれて初めて島旅をしたのが、20年ほど前の小笠原諸島、父島、母島。野生のイルカと泳ぎたい一心で、一人旅ももちろん島旅もしたことがなかったのに、当時28時間の船旅を経て、世界でも稀有な自然が残された島で島旅人生を始めることになったのだ。
 
見たことない自然の素晴らしさに毎日へとへとになるまで歩き回り、泳ぎ、写真を撮った。
 
そんな幸福な数日ののちにやってきたのが、島旅の大敵「台風」だった。普通小笠原では台風が来るとなると、船の出港が少し早まるか、台風をやり過ごしてから少し遅れての出港になる。
 
だが、この時は運が悪かった。立て続けに二つの台風が小笠原を直撃したのだ。
 
「1968年に小笠原がアメリカから返還されてから、丸々1便欠航するのは初めてだよ」と宿の人に言われたのは今でも覚えている。大変な時に来てしまった、と思った。小笠原で1便が欠航するということは、1週間船が来ないことと同義だ。2週間の旅程が強制的に3週間になった。
 
大学の夏休みはもう終わりかけていてじきに授業が始まるだろうし、財布の中身も心もとない。海もどんどん荒れてくるから泳ぐこともままならない。スクーターを借りるお金もなくなってきたので、自転車に変更したが、アップダウンの多い島では行ける場所は結構限られる。当時はインターネットもなければ携帯も通じていない。BS放送がようやく映ったのはこの翌年の話だ。ましてや初めての一人旅。よく心細さにやさぐれなかったものだと今さら思う。
 
心ばかりが焦るが、島の人は「当たり前のこと」と涼しい顔をしている。二日もすると、「まあじたばたしてもどうしようもないか」と妙な落ち着きが出てくる。騒いでも喚いても、ここは本土から南に1000kmも離れた島なのだ。
 
この時の心持ちが、今の僕の島旅の心得となっていると言っても過言ではない。一番最初に荒療治的なこの1週間欠航の憂き目にあったからこそ、「自然ってのはどうしようもない時があるし、だったら慌てずその時を楽しもう」という気持ちの余裕も生まれるのだから。
 
その後、無事小笠原から戻った僕は帰れなかった時の焦りなどすっかり忘れ、島旅の楽しさにハマっていた。以来、あちこちの日本の島へ出かけることになるのだが、結構な確率で台風がやってきたり、天候が急激に悪くなるなど、ろくでもない目に遭っている。
 
いい天気で出航し、翌朝たどり着いた神津島では「あー、お客さん、なんか日付変更線を越えてくる珍しい台風が来てるから、明日の朝の船が出たらしばらく欠航だよ」と船のタラップを降りる時に言われて焦った。
 
青ヶ島でも船でたどり着いた日の翌日から、海は荒れて一週間船は欠航。辛くもヘリコプターで島を脱出した。
 
御蔵島でも台風のうねりが桟橋を洗うような状況で、大型の定期船は接岸できないので、チャーターした漁船に観光客みんなで乗って、お隣の三宅島に移動、そこから定期船の乗った。
 
「次の船は出ないでしょうねえ。島に一週間いる、というのなら行くのは止めませんが」といい笑顔で僕に言ったのは、鹿児島県のトカラ列島の役場の方だった。長年夢見た島に行くチャンスがきてもこの調子だった。
 
こんな僕の島旅の空模様を見て、友人は口々に「嵐を呼ぶ男」だの「風の能力者」だの、あだなのいづやんをもじって「時化やん」だのと呼ぶが、それでも僕は島に行く。
 
十数時間もあれば世界の裏側に飛行機で行ける時代に、船に何時間も揺られ、下手したら帰れなくなるリスクの島旅が、僕はたまらなく好きだった。行き帰りの行程も「旅」として味わえるそんな島旅は、繰り返しの日常に麻痺した感覚を強引にリセットする出来事に満ち溢れている。
 
「行って帰れること、が当たり前じゃない旅が、好きなんだよね」いつだか友人に話したことがあったが、その通りだった。
 
欠航や旅の滞在延期も悪いことばかりではない。それどころか、出会うはずのなかった景色や人との縁を作ってくれる。
 
欠航して雨が続き、やることのなかった青ヶ島では、島の色んな人と話ができた。行けなかったトカラ列島の島の代わりに行った天草下島では、思わぬ縁に驚いた。
 
今週末、また僕は島へ行く。今度は北九州の島だ。沖縄に近づいている台風がどう影響するのか、今はまだわからない。でもきっと、空模様が新しい縁を作ってくれるに違いない。そう思うと楽しみだった。
 
そういえば僕が一番通っている八丈島には、二日続けて船と飛行機が全便欠航すると、島の有志の方が「欠航流人の宴」なる慰労の会を催してくれるそうだ。そんな催しがあるなら、やはり欠航で島に足止めされるのも、そう悪いことでない。

 
 
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2018-09-26 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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