メディアグランプリ

“誰にでもできる仕事”が私にくれたもの。


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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記事:原三由紀(ライティング・ゼミ平日コース)
 
ある朝、目が覚めて身体を起こそうとしたら、眩暈がして立ち上がれなくなった。
世界はグルグル回っていて、もう一度起き上がろうとしたけれどだめだった。
 
「あ、ついにダメになったんだな、私」
 
そう悟って、起き上がろうとすることをやめた。
大学を卒業し、新入社員として会社に入って1年と少し過ぎたくらいだった。
 
会社に体調不良で休みますと電話をかけ、病院に行った。
なんとなく身体の様子がおかしいことは感じていた。いつも心臓がバクバクしていて寝つきもよくなくて、なんとなく“変な感じ”というのはずっと感じていた。
 
病院に行って、医師から言われたのは「自律神経失調症です」とういう言葉だった。
交感神経と副交感神経がうまく入れ替わらなくなっていて、常に緊張状態になっているそうだった。ほぼ睡眠薬だよ、と精神安定剤を処方された。
 
理由はきっと複合的で、ひとつには絞れないけれど、社会人になって、なんとなくすべてがしっくりきていなかった。
 
朝早く起きて満員電車に揺られて会社に行く単調な生活。
社会や人の役に立っていると思えない仕事。
閉鎖的な職場環境。
こうなりたいと思える先輩がいない職場。
女子社員たちと常に群れること。
母親との葛藤。
友人への嫉妬。
恋愛への自信のなさ。
 
なんだか閉塞感でいっぱいだった。
別に会社でいじめられたわけでも、特別いやな環境だったわけではなかったけれど。
今いるこの場所で、人生を消費していいのだろうか、何年後かに先輩のようになるのだろうか。そう思ったら、自分の明るい未来が思い描けなくなっていた。
 
「ここに染まる前に、脱出しなければ」
 
そう心は焦るけれど、どうしていいのか分からなかった。新入社員として充実した研修を受けさせてもらい、会社に感謝も感じていた私は、そんなにすぐ辞めるなんて申し訳ない、という気持ちもあった。
 
そして個人的にも3年も経たずに転職するなんて自分のキャリアにもよくないのではないか? とも思っていた。
とりあえず、もう一度何かに頑張る自分に戻りたい、そう思った私はなんらかの国家資格を取ろうと調べ始めた。
 
取りたい資格を決め、予備校のパンフレットを調べて、どこに通おうか、というところまで考えたけれど、残業もあるそのときの仕事は、予備校と二足のわらじをはける環境ではなかった。
 
リスタートをどう切るか、までは考えたけれど会社を辞めないとそのスタートラインに立てない。でも会社をまだ辞めるわけにはいかない。
眩暈で突然立ち上がることができなくなったのは、ちょうどそう考えていたときだった。
 
「自律神経失調症です」
そう聞いて、私はホッとしていたのだ。
ああ、これで会社を辞める理由ができた、と。
 
病院を出るときには心を決め、帰り道で同居していた母に電話をかけ、「私、会社を辞める」と告げた。
その後すぐに上司に面談の時間を取ってもらい、体調がずっと悪かったこと、自律神経失調症と診断されたこと、資格取得を目指したいと思っていることを説明し、退職を願い出て、それから1カ月程度の期間を経て会社を辞めた。
 
その後、勉強時間を確保できるよう残業のないことを最優先で仕事を探した。年齢にみあう職務経験を積む必要があると思い、大きな企業や有名企業狙いで派遣社員として働くことを選んだ。
 
最初に勤務したのは、経済産業省の出先機関の貿易保険の会社の事務だった。17時半できっちり残業なしであがれる一般事務。
エクセルでの入力、帳簿の記入、コピー、来客対応、電話応対、郵便物の発送。
自分がこの仕事をすることになったとき、正真正銘の、本当に本当の“誰にでもできる仕事”だと思った。
 
でも、だからこそ私はここでがんばろう、と心に決めた。
新入社員で入った会社では、仕事ができるできない以前に、仕事の魅力や意味を理解することもなく辞めてしまった。
ここでまた仕事の本質に触れられなかったら、楽しいと思えなかったら、私は本当にダメになってしまう、そんな危機感を心に秘めていた。
 
誰にでもできる仕事だからこそ、私でよかった、と辞めるときに絶対思ってもらいたい。
誰にでもできる仕事に付加価値をつけることができたら、きっと今後どんな仕事でも価値をつけられるはずだ。私はそう思っていた。
 
部署にかかってきた電話は最速で出る。
仕事は必ず笑顔で受け、笑顔で返す。
お願いされたことを絶対断らない。
すべて先回りして準備しておく。
どんな小さな仕事でも最速のスピードでお返しする。
相手の仕事がなめらかに進むように、その一部になる。
 
細かく、小さな、ひとつひとつを丁寧に、確かにこなすようにした。
 
このときの職場環境は本当に本当にすばらしかった。
一緒に働く方は、穏やかで優しい方ばかり。
私は職場のなかで一番若くて、職員さんにも、派遣のお姉さま方にも本当にかわいがってもらった。ニコニコしているだけでまわりのおじさま方にもとても喜ばれた。
そして、偶然にも同じ部署の隣の席に気の合う、同い年の派遣の女の子もいてそれもとても楽しかった。
 
体調がまだ安定していなくて、たまに通勤電車で貧血を起こすこともあったのだけれど、遅刻しますと会社に電話をすると、「体調悪いなら無理してくることないから、もう帰って休め」とみんなが電話口で言ってくれた。
 
資格取得を目指し勉強をしていることも、みんな応援してくれていた。
ストレスが全くない環境で、仕事を頑張るとともに、資格勉強にも集中することができた。ここの職場ではいやな思い出が本当にひとつたりともない。
 
この職場を辞めるときには、私は大号泣した。
送別会でのあいさつでは、嗚咽して感謝の言葉も、お礼の言葉もうまく発せないくらいだった。目からはこわれた水道管みたいに、涙がぶしゅぶしゅと溢れ出てきて止まらなかった。
頭がボーっとするくらいにこの日は泣きまくった。
 
私が担当していたのは、女性の職員の方だったのだけれど、その方が、その日、その送別会で最後にこう言葉をかけてくれた。
 
「原ちゃんが私の担当で本当によかった。原ちゃんでよかったよ」
 
その言葉を聞いて、また私の涙は止まらなくなった。
そう、私がこの職場に初めてきた日に心に誓ったこと、聞きたかった言葉をまさに聞くことができたのだ。
 
相手のことをひたすら思ってとってきた行動はこの一言ですべて報われた。
私のやり方は間違ってなかった。
 
仕事が好きだ。そう思えた。
仕事って楽しい。そうも思えた。
 
私の働く原点は、今もこのときの経験にある。
 
誰にもできないような仕事をする。それももちろんすばらしい。
でも、誰にでもできるような仕事を、「あなたにして欲しい」と思わせることだって、もっとすごいことではないだろうか。
 
ああ、そうか。
眩暈を起こして起き上がれなくなったあの日。
私は、誰からも、どの場所からも「あなたにして欲しい」と言われていると感じられなかったんじゃないだろうか。
 
「原ちゃんでよかった」
私は今日も誰かにこう言ってもらいたくて。
 
「あなたでよかった」
そう誰かに言いたくて、生きているような気がする。
 
***

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2018-09-27 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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