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深く呼吸ができなくなったときのこと


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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記事:甲斐 菜々子(ライティング・ゼミ平日コース)
 
 
すみません、と言おうとして、
ヒュッと呼吸が乱れた。
息がうまく吸えなくて、目の前がぐにゃりとゆがんだ。
実習先で、激しく怒鳴られた夜のことだ。
 
 
大学で実習が始まってから、私の生活は常に忙しかった。いろんな人に電話をかけ、挨拶をし、現場を駆け回る。
常にやる気を仕事量が押しつぶしていくような毎日。
体力的にも精神的にもギリギリのスケジュールを回していた。
 
そんな中実習でも、責任のある役職に就くことになった。仕事量も、人と会う機会も桁違いだった。
私は要領も悪い。理解しないと動けない。
本当に自分のポンコツさが情けなくなるけど、うまい手の抜き方もわからなかった。
だから人一倍動くしかなくて、寝られない日が続いた。
 
「もっとうまくやらな、なんでも頑張ったらダメになるよ」
 
どんどん仕事が溜まっていく私を見かねて、一緒に活動をしている友達に真剣な目で言われた。
両親からの連絡も返す余裕がなくて、未読は増える。
 
疲れた、もう限界かもしれない。
そう思いながら実習に取り組んでいたら、ついに致命的なミスを起こした。
相手に激しく怒鳴られて、謝っているうちに、肺が重くなって、うまく呼吸ができなくなった。おもわず、めまいがする。
 
弱い奴だと思われたくなくて必死にその場で踏ん張ったけれど、もう、限界だった。
本当に、本当に申し訳ございませんでしたと謝りながら逃げるように外に走った。
走りながら、息が苦しくて苦しくて、涙が流れた。
なぜ、わたしはこんなにもうまくできないんだろう、くやしい、もうやめたい。やればやるほど、怒られる機会も仕事も増えるのなら、やめてしまいたい。
 
ぐるぐると思いが巡って、気づいたら道の隅っこで動けなくなって、泣いていた。
 
脳内で、もっとうまくやりなさいという声がこだまする。
そんな言葉に、窒息しそうだった。もっとうまく、やろうとすればするほど全てから回った。
だから言葉だけでも、「もう頑張らなくていいよ」と誰かに言って欲しかっただけなのだ。
もう充分だから、と言って欲しかった。
上手くなんてできないわたしは、苦しいばかりだ。
ふと、手首を見て、
手首切っちゃえば、楽になるなと思った。
こんな程度で死にたくなるほどに私は弱かったんだな、とも思った。
 
そんな時、母からの着信が鳴った。鼻声を聞かれたくなくて、電話には出ず、ラインで母への返信を打つ。
次の週末には帰って来なさい、と母からのメッセージが暗闇の中に光る。隣の県なのに、そういえばもう1年近く帰れていない。
 
「ごめんねおかあさん、わたし今誰とも喋れそうになくて、帰らなくてもいいかなあ」
 
涙をこらえて、必死で文字を打つ。
 
すぐに既読がついて、少しの間のあと、
 
「帰っておいで。家にずっといたらいいから、2泊分、好きなご飯を考えながら、帰っておいで」
 
と母からの返信。おもわず涙が滲んだ。
 
 
次の日、やっぱり山積みになっている仕事や、書類を見ると絶望的な気持ちになった。
なんにもする気が起きないけど、これ以上自分の部屋にいたらダメだと思った。
1人で暮らすこの部屋では、どんどん肺が重くなっていくばかりだ。
 
重い荷物を引きずって、なんとか電車に乗る。実家までは2時間。
会っても、絶対泣かないでいようと決めていたのに、駅で母の姿をみたら涙が滲んだ。
 
そのまま、母に何年かぶりに抱きとめられて、声をあげて泣いてしまった。
「もう。疲れた顔して」
といった母も涙目で、メッセージも返さない私が、母にどれだけ心配をかけていたかを思い知った。
 
その時、母からふと香った懐かしい香りにハッとして、思い切り吸い込む。頭の鈍い痛さも、肺の重さも、軽くなっていく思いがした。
お母さん、この香りって?
母に聞くと、ラベンダーの精油であること、そして母がずっと身につけていたことが分かった。
 
実家に帰ってから、誰とも会わず、ラベンダーの精油だけを母と買いにいった。
手首につけると香りが全体に広がるよと母が言って、手首にまあるくつけてくれた。
ラベンダーの香りが広がって、いい匂いだね、と母と少し笑った。
 
別れ際、
「あなたができることだけを、できるだけやればいいんよ。無理する必要なんてどこにもないんだから」
と言い、ラベンダーの精油を染み込ませたティッシュを母から渡された。
疑問に思いながら、こういう使い方もあるんだね! と笑うと、どうせあなたティッシュ持ってないでしょ、と母も微笑む。
改札を通ろうとしたわたしを引き止め、父が
「体を大事にしなさい」
とだけ言い、わたしの肩を押した。
無口で、わたしのことを滅多に聞いてこないけれど、誰よりも心配性の父。
そんな父の前では泣いちゃダメだ、と歯を食いしばって両親に手をふった。
 
また、かえってくるね。
ちゃんと次は、笑顔で帰ってくるから。
待っていてね。
 
電車が走り出すと、無意識に涙が流れた。
なぜティッシュを渡されたんだろう? と謎に思っていたけど、なんだ、そういうことか。
母のくれたティッシュで、涙を拭う。
涙で濡れて、よりラベンダーの香りがより強くなる。
 
帰りたくない。
だけど、大丈夫、頑張るんだ。
 
そう言い聞かせながらわたしは手首を鼻に寄せて、深呼吸をする。
香りが胸に満ちて、気持ちが落ち着いた。
 
1人で暮らすあの部屋に帰るまで、
少し、眠ろうと思った。
ラベンダーの香りが辺りに広がる。
 
明日も私は、手首にラベンダーの精油をまあるくつけるのだ。
手首を切らなくてよかった、と思った。
 
この香りの中ならば、息苦しい生活も少しだけやっていけるような気がする。
そう思えて、少し安心した。
もうこれ以上泣かないように、肺が苦しくならないように。
私は強く深呼吸をした。
 
***

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2018-09-27 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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