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そのときがくるまでに


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

【10月開講】人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ《平日コース》」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜

記事:崎山潤一郎(ライティング・ゼミ平日コース)
 
 
「塩ちゃんね、中で死んでた」
ふだんは冷静な四条君の、ややうわずった声を電話口から聞いた。
警察官と一緒に塩ちゃんの住むビルのエレベーターに乗り、エレベーターを降りると塩ちゃん宅専用の玄関口になるのだが、ドアが開いてすぐ、その様相と臭気で警察官は言ったそうだ。
「これはだめだ」。
 
 
塩ちゃんと四条君、そして私は小中学校の同窓生。
53歳で亡くなった塩ちゃんは、山手線の駅前にビルを所有するちょっとした資産家だったが、奥さんと離婚し、子がなく、離れて暮らす弟がいるものの、一人暮らしだった。
 
私も四条君も、塩ちゃんとは中学卒業以来、会うことはなかったが、彼が亡くなる1年前に、同窓会で37年ぶりに再会したばかりだった。
 
「塩さんが最近お店にきてくれない」と噂したのは、夜の仕事をする女性たちだった。その噂を聞いた別な同級生が facebook でそのことを話題にし、私も塩ちゃんに何度か電話してみたが、通じることはなかった。 また別の同級生らが塩ちゃんの住む階まで訪ねてみたが郵便物がポストに入ったままで、応答はなかった。
 
 
その日の夜、警察官をやっていた知人にたまたまその話しをしたところ、
「それはかなりまずいぞ。すぐ警察に知らせたほうがいい」
そう強く指摘された。
 
翌日が横浜の外せない仕事だったため、深夜ではあったが、四条君に電話をし、明日の午前中に警察を呼んでみてくれないかと無理な頼みをした。 四条君も悪い予感があったのか、躊躇なく引き受けてくれた。
 
翌日の昼前から四条君の電話が入った。
「だめだった、間に合わなかった」
死後3週間ほどだろうということだった。
 
 
どうしていたら良かっただろうか?
塩ちゃんの死を避ける方法はなかったのか?
数々の後悔をしなければならないはずだが、後悔のしようはなかった。
避ける方法が見つからない。離れて暮らす弟さんから、塩ちゃんが小中学校の同窓生と交流があったことを知らず、同窓生によって発見されたことを四条君に感謝してくれたことだけが唯一の救いだった。
 
 
当然のことではあるが、私たちにもそのときは、くる。
親も、妻も、子だって孫だって、例外はない。
そして、事故あるいは心中でない限り、独(ひと)りだ。
だから、ご両親は早く亡くなったけれど、地元で生まれ育ち、商店街の活動をし、東京オリンピックパラリンピックの誘致運動に協力し、近所には昔からの知り合いがいて、53年を生きた塩ちゃんも、死ぬときは独りだった。3週間、誰にも気づかれなかった。それは塩ちゃんに限ったことではなく、特に一人暮らしの人に必ずついてくる宿命といえるだろう。
 
 
病院で死亡すれば、医師が「死亡」を証明する。
ドラマでは、死の瞬間というものがあるような錯覚をしてしまうが、実際はそんなことはないそうだ。生と死の境目はスペクトラムで、なにをもってヒトの死とするかは世界ではさまざまな議論がある。
 
わが国では、呼吸と心拍が停止し、瞳孔が開けばたいていは「死亡」と診断されるだろう。ヒトの60兆の細胞のうちの、一部がまだ生きていて、爪も髪も伸び続けていても、である。
 
必ず死ぬことはわかっているのだから、どんな死を迎えるか、私はどうしても考えておきたい衝動に駆られてしまう。
 
いつ死ぬか、死因は何か、それは自分で決められないが、乗り物は滅多に利用しない私に事故死の可能性は1%以下と見積もれるから病気で死ぬ可能性が99%だろう。
 
また、私は痛いことは大の苦手なので、痛くなったらすぐモルヒネを打ってもらいたいと願う。それでもまだ痛かったら、自殺も選択肢から排除するものではないのだが、残念なことに痛くなく自殺できる方法がまだ見つかっていない。ラクに死ねる方法ができればどれだけ嬉しいかと言ったら不謹慎だろうか。
 
 
 そんなことを人に話すと、死ぬことなんか考えたこともない、という人が中高年でもわりと多いことに気づかされる。そんなことは考えないほうがよい、と思っているフシもある。だが考えないことが原因で、遺族が不幸になるケースがあるとも聞く。
 
病院以外の場所で死ぬと、自宅であっても警察が介入し、検死となる。残された方々に、さまざまな点でご迷惑をおかけすることを考えると、迷惑は最小限に抑えたいものだ、という思いになる。
 
 
 神も仏も死後の世界も実際には存在しない、とそんな前提で考えてみる。
死んだら、土に還りたいところではあるものの、埋葬はなかなか難しい問題があるので、焼かないといけないだろう。焼骨の処理に関する法律は明確になっていないため、公序良俗に反しなければ個性的な散骨は許されるそうだ。
 
宗教的な感覚がなければ、トイレに流しても構わない。私の焼骨などはそれで充分であるようにも思う。葬儀の必要性など少しも感じないような、宗教心のカケラもない私の感覚は異常だろうか。
 
 
自分の一生は自分で決めたいという気持ちが強く、その思いは大切にしたいと思う。死ぬことを恐れぬわけではないが、宗教的な考え方を一旦、はずして考えてみると、死の正体が腑に落ちて、生きる希望が生まれてくることは意外なことであった。 死は誰も経験できないから、つい恐れてしまうのだが、無駄に恐れることから解放されるように感じる。
 
ヒトは必ず死ぬ事実を再確認し、自分の死と遺族のことも少しだけ、思いを馳せてみれば、残りの人生で自分がやるべきことが、見えてくることもある。
 
死について考え、あるいは話し合いをすることは不吉で縁起が悪いという古来の宗教観と対立しなければならないが、話し合わなければ遺族を不幸にすることがある。尊厳死や安楽死の議論も全く進んでいない。大切な人がいるなら、そのとき、どうしたいか、空想話のように語ってみれば信頼関係は深まるだろう。
 
 
 塩ちゃんは生前に、食事制限をし、お酒を断ち、病気を治そうと努力していた。塩ちゃんが長生きしたいと思っていたのは明らかである。せめて、塩ちゃんの死から何かを生かしたいと思う。
 
 
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2018-10-03 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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