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ネズミにみちびかれた人生


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記事:安田毅(ライティング・ゼミ平日コース)
 
「いやもう、お母さんには昔からお世話になってたんや! いつから来てくれる?」
社長は上機嫌である。
 
アルバイトの面接で初対面のはずの社長はなぜか母を知っていた。
 
ここは京都市内にある実験材料の販売会社。私は30代なかばで大学院を中退してアルバイトを探していた。インターネットの求人サイトで「実験材料の配達員」を募集しており、時給がよかったので応募してみたのである。
 
「実験材料」といっても扱っているのは主に実験動物であり、ネズミ、イヌ、ウサギなどを、大学・病院・製薬会社などの研究施設に卸している会社である。
 
母は研究者である。大学の研究室でネズミを使って実験をしていた。小学生の頃、母の職場に行ったことがある。ネズミのケージがずらりとならんでおり、ケージに敷きつめられたおがくずのにおいがぷんと鼻をくすぐった記憶がよみがえる。母は長年この会社からネズミを買っていたようである。
 
「履歴書の住所を見てな、どっかで見たことがある思うてな。確認したらやっぱり安田先生の息子さんやてわかったんや!」
 
世間は狭いものだ、ということで、ただちに採用が決まり、私はネズミの配達員になった。
 
運転は決して得意な方ではなく土地勘もよいほうではなかった。2003年頃のことだからカーナビもついていないマニュアル車で、道路地図と首っ引きで、汗をかきかき、それこそ迷路の中を走り回るネズミのように縦横無尽に配達車を運転する日々が始まった。
 
「安田くん、やってもうたな?」
車体をコンクリートの壁で擦ってしまい破損してしまい、社長から苦笑いを向けられたりすることはあったが、高速道路を猛スピードで走ったり、京都から愛知県豊橋市まで一日かけて往復するような仕事もするようになった。
 
母は医師であるが臨床の道を進まず、祖父(母の父)の命を奪った癌の治療法を見つけるため研究者となった。母が医学生だったのは昭和30年代。同学年に女子学生は2人しかいなかったそうである。そして2学年上にいた父と学生結婚をして30歳で私を生んだのである。
 
高度経済成長時代には「モーレツ社員」という言葉があった。母はモーレツママさん研究者だった。私をはじめ3人の子育てをしながら、朝5時に起きて京都から大阪の大学の研究室まで2時間半かけて通い、ネズミに囲まれながら実験を続ける生活であった。休日も自宅で顕微鏡をのぞいていた。
 
「ノーベル賞の授賞式に着る着物はもう買うてあるんよ」と公言してはばからず、癌の治療薬を作るべく身を粉にして働いていた。
 
両親が医師であったので、当然私も医師になるよう期待されていたが、強制されたことはなかった。全くの文化系であった私は医学部には入らず、文学や哲学を勉強したくて大学院まで進んだが、論文がどうにも書けず、研究職につくこともなく大学院は中退し、ネズミの配達員となったのである。
 
ネズミの入ったプラスチックケースや段ボール箱をたずさえて、医学部や病院の研究室に毎日出入りして白衣を着た人たちから伝票にサインをもらう毎日を過ごすことになり、縁は異なものだな、と感慨にふけった。両親が出た医学部や、父が以前勤務していた病院にもたびたび配達に行くことがあったのである。
 
父は外科医だった。子供の頃、夜中にポケットベルで病院に呼び出されて行く姿を何度も目の当たりにして、大変そうだなあ、血を見るのはいやだなあ、と思っていた。別世界の話のように感じていた。ところが、ネズミとともに医師たちに日常的に接するようになるとだんだんと親近感がわいてきた。
 
「それはええ! それがいちばんええで。応援してるで。がんばってや!」
社長は満面の笑みで激励の言葉をくれた。
 
2004年夏、私はネズミの配達員をやめて受験生になった。
 
アイタタタ……
2011年2月14日、雪がふりしきるなか、年がいもなく同級生と雪合戦をしていた私は雪に足を滑らせ転倒し、胸部を地面で強く打ち、うめいていた。
 
その日は医師国家試験の最終日。試験後の打ち上げでしこたま飲んでハメを外してしまったのだ。翌日、整形外科に行くと肋骨骨折の診断だったが、なんで転んだのかは言えなかった。雪にはすべったが、国家試験には合格し、2011年4月以来、私は医師として仕事をしている。
 
母はといえば、30年以上務めた大阪の大学を定年退職したものの、癌治療の研究熱は冷めやらず、嘱託研究員として細々と、しかし熱心に研究生活を続けていた。抗癌剤オプシーボの開発に対してノーベル賞を受賞した本庶祐氏がそうであったように、研究費の調達にそれはそれは苦労していたが、スタッフや出資者にいいご縁があり、80歳となる今年、創薬ベンチャーを起業することとなった。
 
母は今、京都にある研究室で相も変わらずネズミに囲まれて日夜研究に没頭している。ネズミを卸しているあの会社は当時の社長の次男さんが後を継いでいる。あの頃のバイト仲間が管理職となり母と仕事上のやり取りをしているそうだ。
 
私も母もひょんな偶然から人生という迷路をネズミにみちびいてもらったようである。これからはどこに連れて行ってくれるのだろうか。
 
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2018-11-08 | Posted in メディアグランプリ

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