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メディアグランプリ

父親の記憶とカップ焼きそば


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記事:前田 政哉(ライティング・ゼミ平日コース)
 
「もうちょっと働こうかな」と渋い顔をして62歳の父が言った。20代半ばの私は、仕事を辞めて東京から大阪に戻ってきた。次にやる事などなにも決めず、呑気に実家で晩ご飯を食べていた。
 
公立中学校の社会科の教師だった父。地方公務員の定年は60歳だが、再任用制度があり65歳までは働くことができる。まだまだ元気な父は定年を過ぎても働いていた。62歳くらいまで働いて、その後はのんびりしようかなと言っていた父だが、息子が頼りないからか、もう一年仕事を続けようか言いだした。
 
仕事の長期休暇で実家に帰ったときとは、違う重々しい空気が流れていた。心配しているのか、呆れてしまっているのか、複雑な表情をしている父と母が目の前にいた。重苦しい空気から逃げる用に、すぐに実家を出て、借りておいた一人暮らしの家に逃げ帰った。しばらくの間、仕事もせず何もしない日々を過ごした。
 
東京の会社に就職が決まった私を、両親は喜んで送り出してくれた。父の車に荷物を積み込み、父と二人、東京へ向かった。道が混まないか心配だったので、まだ朝の暗い時間から高速に乗った。その日は寒く雪がちらついていた。
 
所要時間は8時間程度。富士山が見えるインターチェンジでコーヒーを飲んだ。大きなトラブルもなく東京の家に到着し、荷物を運び込んだ。
 
せっかく東京まで来たのだし、父は何泊か滞在するという。神保町の古本屋に行ってみたり、ついでに靖国神社を参拝したりした。東京タワーに登ってみたり、浅草の居酒屋では大阪にはないホッピーを飲んだりして親子水入らずで過ごした。
 
父は機嫌よく一人、大阪に帰っていった。父と二人でこんなにも長い時間を過ごすのは、はじめての経験だった。
 
父と決して仲が悪かった訳ではない。あまりおしゃべりをする人でもないし、怒ったり、叱りつけたりすることが全然ない人だった。家にいるときは本ばかり読んでいて、穏やかに過ごすことが多かった。あまり父親に対して強い感情を抱いたことがなく、尊敬とか言う感情も持ったことがなかった。
 
父と東京に向かった日からたった3年後、私は大阪に帰って来てしまった。
 
東京の新しい環境に馴染めなかった。
自分の力不足を痛感した。
情けなくて辛かった。
 
次の仕事など決めずに大阪に帰ってきた。それから早いもので、5年以上たつ。
両親に心配はかけたが、今ではちゃんと仕事をし、結婚して生活している。
 
私の家系は、学校の先生ばかり。父親も中学校の先生だし、父方のおじいさんも学校の先生、母方のじいちゃんばあちゃん、ひいお爺さんも学校の先生。私はそれが嫌で先生には絶対になるまいと思っていたが、結婚した人は小学校の先生だった。
 
妻は寝るのが早い。小学校が始まる時間が早いのもあるだろうが、夜の10時には寝たいらしい。たまに夜まで外出していると、帰る頃にはまぶたが重くなっている。
 
私は夜型の人間で、夜中の1時、2時まで仕事することがよくある。夜中まで起きていると、やはりお腹が空く。買い置きしているカップ焼きそばを作っていると、父が若い頃、夜食にカップ焼きそばを食べていたのを思い出す。
 
実家のキッチンカウンターの下は棚になっていて、ホットプレートとか、いつのものだかわからない、お中元の食器やらが入っているところに、カップ焼きそばが突っ込まれていた。夜中に私がトイレに起き出すと、カップ焼きそばのお湯を沸かしている父に出くわすことがよくあった。
 
私は無意識の間に父と同じ事をしていた。最近自分が歳を取って来たせいか、段々と父に近づいて来ている気がする。ウイスキーを飲むようになって来た。吸い始めたタバコは、親父と同じ銘柄のマイルドセブンだ。髪の毛も少し薄くなってきた。
 
父が33歳の時に私が生まれた。父がカップ焼きそばを食べている姿を見たのが、私が5歳くらいだとすると、父は当時38歳。まだ30代。
 
私は今31歳。カップ焼きそばを作っていた父親の年齢に、着実に近づいている。ふと「自分は父のようになれるのだろうか」と考えてしまう。
 
父の地元は岡山県で、大学を卒業し、大阪で中学校の教員として就職。そのまま勤め続け、2年前に教職から引退した。仕事を最後まで続け、子供2人を育て上げ、一軒家と車も持っている。全部持ってる。
 
それに比べて、私は一体なんなんだろうか。子供はおらず、家は賃貸アパート、車は持っていない。今働いている会社で3社目。一応働いているが、将来どうなっていくのか先が見えず、いまだに自分探し続けているような感覚でいる。自分は父親に追いつけないかもしれない。自分の父は、実はとてもすごい人なんじゃないかと、この歳になって思うようになった。
 
寝室では、妻が寝ている。口が半開きで、両手を万歳して寝ていることがよくある。
 
私は父のようにできるのだろうか。時代も違い、豊かさの基準は変わっている。父と同じようにはできないかもしれない。どんな生活をしていくことになるかもわからないけれど、妻の寝顔を見ると、この人を幸せにしてあげなくちゃと思う。
 
今、私は父を尊敬している。
 
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2018-11-17 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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