メディアグランプリ

行き止まりの道の先に見つけたもの


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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記事:高木英明(ライティング・ゼミ平日コース)
 
 
雪さんの本部への異動が「栄転」ではなく「左遷」だという空気はなんとなく感じていた。
現場一筋でやってきた彼女に本部の仕事が務まるわけがないのだから。
雪さんは四〇歳代くらいの女性で、職場のフロア主任だった。
 
僕たちの勤務する会社は宅配も行っている飲食店で、県内にいくつものチェーン店を持っている。常連客が多く、地域のサロン的な存在だった。
 
入社したての頃、僕は雪さんに宅配を頼まれ、自転車で目的地へ向かった。僕が所属する店舗は山に囲まれた盆地にあり、町の中心から少し行くとすぐに山道へ入りこんでしまう地域だった。
 
町の外れまで来たときのことだった。
 
「工事中」という看板が立ち、ずっと先まで続いていると思っていた道が通れなくなっていた。
 
しかたなく迂回して山道に入ったのだが、土地勘のない僕はすぐに迷子になった。夕方の宅配だったこともあり、空はまたたく間に真っ暗になった。携帯電話もなく、星一つ見えない夜空の下、ハシゴを外された人のような心境で、自転車を押しながら何時間も山道をさまよった。
 
どれくらいたっただろうか。体力を消耗し、気づいたら座り込んでいた。
朝を待つしかないと観念し始めたころ、遠くから僕の名前を呼ぶ声が聞こえてきた。
 
雪さんだった。
 
なかなか戻ってこない僕を心配してずっと探してくれていたのだ。見つけてもらった時には夜の十二時を過ぎていた。
 
「こういう星一つない夜に迷子になったら、月の方向を頼りに進みなさい」
雪さんからはそうアドバイスを受けた。
 
真面目で熱心。お客さん思いで、仕事に厳しいところがあったが、この一件以来、僕は彼女のことを慕うようになった。しかし他のスタッフたちの間で彼女は人気がなかった。厳しすぎる指導に次々と退職者が出て、現場は人手不足に陥っていたのだ。
 
それを問題視した経営幹部はスタッフたちと個人面談を行った。すると、上から目線、厳しい叱責、あれこれ指図するなど、皆の口からは雪さんへの不満が次々と語られた。中には、彼女が誰よりも早く出勤して、夜遅くまで帰らないという声も含まれていたという。
「あれじゃあ、私たち帰りにくいです」
 
しばらくして、彼女は本部への異動が決まった。
 
雪さんの現場での最終日、すべてのお客さんが帰り、閉店の時間を迎えていた。フロアには遅番の僕と雪さんだけが残っていた。後任の主任も決まり、引き継ぎも完了したはずなのだが、雪さんはいつまでもフロアで書き物を続けていた。
 
「店じまいは僕がやっておきます。いままで本当にお世話になりました」
 
なかなか帰ろうとしない雪さんに僕は声をかけた。照明を落としたフロアで、窓から入る月の光を頼りに、彼女はノートに向かって何かを書き込んでいる。
 
「雪さん?」
 
彼女の手が止まり、唐突に立ち上がると、窓ぎわの少し広めのスペースのところに駆け寄った。その場所に立って両腕を大きく広げた彼女は、「ねえ高木くん、ここにイスとテーブルがあったほうがいいと思わない?」と言った。
「そしたらお客さんは外の景色を見ながらのんびりとコーヒーを飲めるでしょう?」
 
それから雪さんは、ああでもない、こうでもないとつぶやきながらテーブルやイスを移動し始めた。誰もいないフロアで、細い腕でテーブルを引きずり、次々とレイアウトを変えていく。
 
さっきまで雪さんが一心不乱に書いていたノートがテーブルの上で開かれている。
明日の業務に関するスタッフへの指示や、仕事の心得みたいなものがビッシリと書き込まれていた。
みんなこの書き込みを無視するか激怒するだろうと思った。新しい主任の元で再出発する現場に、彼女の指示を忠実に守るスタッフは、もはや存在しないのだ。
 
「ほら手伝って」雪さんは満面の笑顔で僕を手招きする。「そっちの端っこを持って」
結局僕は雪さんに付き合い、レイアウト変更作業を手伝った。
 
三十分くらい続けただろうか。僕も雪さんも汗だくになっていた。フロアのテーブルやイスの位置は今までとは違う位置に置かれている。
 
「みんなに怒られませんかね?」
僕の脳裏には、出勤してきたスタッフが大騒ぎする光景が浮かんでいた。
「この状態をみたら、みんなびっくりするんじゃないでしょうか?」
 
しかし返事はない。横をみると、雪さんは変わり果てたフロアをじっと眺めていた。窓から入ってくる月の光が雪さんの頬をほんのりと照らしている。その頬を涙が伝っていた。
「ごめんね」と雪さんは言った。「こんなん見たらみんな戸惑うよね。ちゃんと元に戻しておくから心配しないで、あなたはもう帰りなさい」
「雪さん……」
「ずっとここで生きていくのだと思ってた」雪さんは鼻をすすりあげ、手の甲で涙をぬぐった。「でも突然、行き止まりになっちゃった」
 
その時、僕はふとあることを思い出した。
「これからちょっとだけ僕に付き合ってもらえませんか?」
 
僕は雪さんを外に連れ出して、一緒に車に乗った。以前この町で迷子になった時と違い、今の僕には運転免許とマイカーがあった。
「見てほしい場所があるんです」
 
時計はまもなく夜の十二時を指そうとしている。星一つ見えない真っ暗な空で月の光だけが夜の町を照らしていた。しばらくして、僕たちは町の外れにたどり着いた。
 
「見てください、あれを」
僕は車を止めて、前方を指さした。迷子になって雪さんに助けてもらったとき、工事で通行止めになっていた場所だった。
「あ……」雪さんは口に手をあててつぶやいた。「道ができてる……」
「昨日、僕も気づきました。工事、いつの間にか終わってたんですね」
 
長い期間続いた工事が終わり、通れないと思っていた場所には新しい道が出来上がっていた。かつて僕が迷い込んだ山道も舗装され、新しい道とつながっているそうだ。
 
行き止まりにぶつかった彼女はこれから、道なき道へと迷い込んでいくのかもしれない。でも最後の最後まで、お客さんを見失わなかった雪さんであれば、きっと新しい場所で新たな道を切り開くに違いないと僕は信じている。
 
 

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2019-01-18 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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