亡き祖母が書き上げた本から学んだこと
*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。
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記事:江原あんず(ライティング・ゼミ日曜コース)
「おばあちゃん、会いたいよ」
携帯画面の中で笑う祖母の顔を、指でそっとなでる。画面は冷たくて、もちろん祖母は黙ったままだ。
祖母が亡くなってから、数年。時が流れても、祖母の肉体が焼かれて小さな骨になってしまったあの日から、ぽっかりと心に空いた穴は、ふさがることがなかった。そして、その穴にぴゅうっと風が吹くたびに、私は祖母に抱きしめられたときの温もりと洗剤の優しい香りを、記憶から引っ張り出しては、そこに顔をうずめて泣いていた。
みんな、どうやって、大切な人の死を乗り越えているんだろう?
祖母のことを想うとき、私の心には、愛おしさよりも、悲しみが多く広がった。その悲しみの正体は、会いたいのに会えない恋しさでもなく、思い出に浸ることでしか祖母と繋がれない切なさでもなく、
「祖母の人生は、はたして幸せだったのだろうか?」
という、疑問だった。
慢性的な病気と戦い続け、戦い疲れ、やせ細って、最後には消えるようにして亡くなった祖母。私には、祖母が自分の人生をどう思っていたか、見当がつかなかった。
痛みに体をむしばまれていた祖母には、自分が駆け抜けた人生を祝う時間と心の余裕がなかったし、最後には、認知症も出ていたので、家族と一緒に作った幸せな思い出も、彼女の指をすり抜け、どこかに消えてしまったようだった。
そして、奇跡を起こす源になるような、「少しでも長く生きたい!」という、強い生きる希望に、私たち家族がなれなかったことを、私はどこか後ろめたく感じていた。体の痛みのせいか、祖母には1日でも長く生きたいという欲はなく、どちらかというと、最期を静かに受け入れていたのだった。
「おばあちゃんは、幸せだったの?」
今更だけれど、祖母の心に手を伸ばしたくて、私は彼女をモチーフにした小説をコツコツと書き始めた。それは、誰に見せるわけでもない、自分のための、祖母とつながる静かな時間。遺品の中から、写真や日記をそっと手に取って、ひとり、祖母の人生を歩き直した。
私にとって「おばあちゃん」であった、その人の人生をひも解くと、そこには、常に挑戦を続け、強く生きる女性の姿があった。
私が生まれるずっと前、まだ10代だった祖母が、地方から上京し、バスガイドとして、東京での生活に奮闘していたこと、私と同じ年くらいのとき、初めての子ども、つまりは私の母を生み、必死で子育てをしていたこと、夢だった美容師の資格を取って念願の小さなサロンを開いたこと、病気になる前は海外旅行にたくさん行っていたこと……。祖母の人生は、壮大なドラマに溢れていた。
「祖母の人生はこんなに充実していたのだ……」
小説を書きながら、私は安堵しはじめていた。確かに、最後の数年は苦しく、暗い章が続いたかもしれない。でも、写真の中で笑う祖母、日記の中で葛藤する祖母、そして私の知るおしゃれでユーモアに富んだ祖母、そのすべてを丁寧につなぎ合わせると、祖母の物語は、カラフルなハードカバーの似合う、とても読み応えのある本になった。
人生は、本に似ているのかもしれない。私たちは、まっさらな一冊を握りしめて、この世に生まれ、一生懸命にペンを走らせて、それぞれが他の誰にも書けない物語を綴ろうとしている。理不尽なことが多い世の中では、ある人は絵本のように薄い本を与えられ、ある人は辞書のように分厚い本を与えられる。でも、書き手は、自分が与えられた本の厚さなんて知るよしもない。
「人生は、生きた年数ではなく、どう生きたかが大切」というのであれば、本のページを増やすことに命を燃やすのではなく、与えられたページの中で、濃い物語を書くことが使命なのだろう。
でも、本と人生の違うところは、終わり方を選べないところだ。祖母の人生には、辛いことと同じくらい、いや、きっとそれ以上に、幸せがあり、ハッピーエンドな物語にしたいのなら、そこで終わりにすることができた瞬間は、たくさん用意されていた。でも、祖母はそうしなかった。最後の1ページまで、たとえ痛みでペンが握れなくなり、子どものような文字しか書けなくなっても、自分に与えられたページを、書ききったのだった。
「祖母の願いは、ページを追加して、長生きをすることではなく、与えられたページを最後まで書ききることだったのだろう。そして、彼女は、その願いを無事に叶えて、安心して天国に行ったのだ……。」
祖母をテーマにした小説を完成させたとき、私はそう納得することができた。その事実は、私の胸を熱いものでいっぱいにし、心にあいていた穴にセメントみたいに流れ込んで、きれいに蓋をしてくれた。
私は今、アラサーで、私の書いている本は、まだ書き途中で、未完成だ。そして、あと何ページ残っているのか、正直わからない。もう書けない! とスランプに陥る日も、ページをビリビリに破きたい衝動にかられる日もあるけれど、そんなときは、手首の血管を触って、祖母の血が私にも確実に流れていることを確かめ、形を変えて私の中に生きる、祖母の命を感じる。
そして、天国に届くように祖母に誓うのだった。たとえ明日、本が終わることになっても、自信を持ってこの世に残せるような本になるように、今日も私なりにめいっぱい綴るからね! と。祖母が命を懸けて書き上げた本から学んだ教訓を握りしめ、遠い空を仰ぎながら。
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