本当は完成していたパッチワーク
*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。
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記事:江原あんず(ライティングゼミ・日曜コース)
「これで、もう本当に終わりだ……」
浮かれる人で溢れる金曜日の恵比寿、私はがっくりと肩を落とし、ふらふらと歩いていた。なかなか手放せなかった恋が、今、目の前で、完全に終わりを告げたのだ。
その夜、私は1年前に別れた元カレと会っていた。当時、結婚したい20代後半と、転職をしたい30代前半のカップルだった私たちは、お互いの方向性がそろわないことが引き金となり、別れを選んだ。
最後は別れてしまったけれど、3年もの時間を共にしたその人と、ふたりで丁寧に作り上げた絆は、まるでパッチワークみたいだった。彼の持ってきた生地と、私が持っていたものを、コツコツと縫い合わせ、一つの作品を作っていく作業。
もちろん、上手くいくことばかりではなく、針で指を刺してしまい血が出たり、意見が食い違って、縫うことをあきらめたりした夜もあった。それでも、時間をかけてつなぎ合わせた色とりどりの布切れは、ある程度の大きさとなり、鮮やかなパターンが美しかった。
だから、彼が去ったあと、未完のまま残さされたそのパッチワークを、私はなかなか捨てることができなかった。
けれど、いつまでも未練を抱えて生きていくことはできない。失恋の傷に突き動かされるように、私は住居を変え、仕事を変え、出会いの場にたくさん出かけ、行きついた世界で出会った人たちに揉まれ、人間として大きくなった。
そして、少し大人になれてこそ、あのとき彼は何を考えていたのだろう? と、国語の読解問題を解くように、別れの伏線や彼の発した言葉に注意を払いながら、去っていった恋人の心をなぞっていく努力をした。本当の答えは、彼にしかわからない。でも、その作業を通して、彼の気も知らず、自分のタイミングだけで結婚をせがんでいた未熟な自分が浮き彫りになった。離れてしまった今、好きな人と想い合えることは、それだけで奇跡だ。その奇跡の重さにも気づかず、わがままばかりを言っていた自分を、深く反省した。
別れから1年。私の心に残っていたのは、やっぱり彼が好き、というシンプルな想いだった。 だから私は、その気持ちを握りしめ、彼に会いに行くことを決めた。
きっと彼も前に進もうとしていたのだろう。連絡をすると、彼は念願の転職をしていて、私たちはそれを祝おうと、一緒にうなぎを食べに行くことになった。昔にタイムスリップしたような、他愛のない会話が運ばれる2人の時間。高いうなぎの味なんてほとんどわからなくて、代わりに私は懐かしさと愛おしさを口いっぱいに噛みしめていた。
食事を終えた帰り道、駅に続く人気の少ない暗い道で、私は言葉を選びながら、彼に想いのたけを伝えた。未熟な自分を反省したこと、私にとっての幸せは、結婚しようとしまいと、彼といることだったと気が付いたこと
そして、
「今も、大好きです」
彼は立ち止まり、少し考えてから、申し訳なさそうな顔をした。
「気持ちは、ありがたい。でも、俺は別れたときでけじめをつけたんだ。だからもう一度、っていうことは思えない。その気持ちには応えられない」
私が何かしても、何もしなくても、いつもこの目は私を丸ごと受け入れてくれたなぁ、でも、もう違うんだ……。そんなことを考えながら、数分後には、きっともう2度と見ることがなくなるであろう、その愛おしい顔を、私は必死で記憶に刻もうとしていた。
そして、気持ちとは裏腹に「わかったよ。率直な気持ちを教えてくれて、ありがとう!」と、明るい言葉を放った。もちろん、泣いたり、取り乱したりしなかった。
この1年、もし私が少しでも成長をしたというのなら、彼の気持ちを読解したというなら、いくら彼を愛していても、彼の決断を尊重し、幸せを祈ること、それが、私が彼に見せられる、最後の最大の敬意だろう。
恵比寿の駅前、私たちは握手をして別れた。
「新しい仕事がんばってね」
「そっちも、頑張ってね」
そして、それぞれ、別の方向へ歩いた。
寒空の下、私はいやでも直視しなければいけない現実に向き合い始めていた。彼には、再び一緒に縫い進めていく気持ちなんて、さらさらなかったのだ。
そして、私が未完だと思って、まわりのみんなに、もう捨てなさいと、言われても、「うーん、いつか続きをすることになるかもしれないから、とりあえずそこに置いておこうかな」などと思い、取っておいたパッチワークは、実は未完でもなんでもなく、もう完成しているものだった。私たちが別れたその日の、そのカタチ、それこそが、私たちが作っていたパッチワークの完成形だったのだ。未完だと思いこんだのは、私が一人、勝手に作り上げた、別れた彼との完璧な未来図を、いつまでも握りしめていたからだった。
彼の拒絶、それは目をそらしたい真実で、私の心は割れそうだった。
だけれど、全てが終わった今でも、ふたりで作ったパッチワークのような手の込んだ絆が、確かにそこにあったことまで、否定することはないだろう。私たちは確かに、互いの違う生地と生地をつなぎ合わせ、何かを作ろうとしていた。その過程は想像よりはるかに大変で、それでも力を合わせて、ちまちまと積み上げていくことを3年もしていたのだ。
「それでも、一緒にいた3年間はとても幸せだったよ。ありがとう」
そういえば、彼は別れ際、そう言っていた。
今度こそ、この手元に残ったパッチワークを、完成品なのだと認め、きちんとフレームに入れてあげよう。しばらくは、フレームに入れたそれを、壁にかけて直視することはできないだろう。きっと彼との素晴らしい思い出がよみがえり、心が張り裂けそうになるから。
でも、時間が経ったとき、そのフレームに入ったパッチワークを、きれいだなぁと愛でることができる日が来るだろう。それは、ずっと先だけど、必ず来る瞬間だろう。
そう思えたとき、ジュクジュクした生傷のような想いが、安心して夜の空に成仏していった気がした。
「さようなら、私のかわいい、彼を想う気持ち。彼とこんなにいいものを作れて、幸せだったね。彼と作業しながら覚えた、上手にパッチワークを作るコツ、たくさん知っているのだから、きっと次はもっと素敵な作品が作れるよ!」
やっと立てそうになった新しいスタートに涙は似合わない。涙がこぼれないように、遠くの空を仰ぐと、そこには小さな星が光っていた。
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