あや子が他人の噂話を吹聴しつづけた理由
*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。
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記事:高木英明(ライティングゼミ 平日コース)
「彩子さんをなんとかしないとこの施設は潰れてしまいます!」
私が事務長を務めている介護老人施設では、彩子という名の職員に対する不平不満が渦巻いていた。
彩子はとても好奇心の強い職員だった。職場で起こるあらゆることに関して人一倍の興味を持ち、噂話のネタにした。
「情報通、もしくは社内マスコミ」
彼女のことをそう呼ぶ人たちもいた。同期入社の大半はよその会社に転職していたが、社内で生き残った者たちはみな昇進して管理職になっていた。それに対して彼女の場合、昇進はおろか人事異動さえ一度もなかった。
「どのフロアのリーダーも彼女を受け入れるのを嫌がったのよ」
職員たちの間ではそう噂されていた。
業務上の落ち度があるわけではない。彼女の出勤日はいつも施設内がきれいだった。ベッドの布団はキチンとたたまれ、入居者は丁寧な介護を受けることができた。施設は四つのフロアに分かれている。チームによって、雰囲気もサービスの質も天と地ほどの違いがある。彩子のいる現場では職員同士の陰口が横行し、お互いに不信感をいだいていた。いつ揚げ足を取られるかわからない職場環境の中で、彩子はいつもその中心にいた。夜勤明けの職員が帰宅した後、やり忘れている仕事が発見されると、日勤の職員たちの間で、その不始末がワイドショーのネタのように話題となった。
「あの人の夜勤明けはいつもグチャグチャだよね!」
どこで仕入れたのかわからない情報を入手してきては、職員の間に流布させることもあった。みな自分の仕事ぶりが陰口のネタにされないよう怯えながら仕事をするようになっていた。退職者も続出し、現場は人手不足におちいった。彼女をなんとかしてほしいという訴えが現場リーダーを通して頻繁に私たち管理職のもとに届くようになった。私は彼女を事務所に呼び出して面談をすることにした。
「なぜ職員の噂話を広めたり、波風を立てようとするのか」
問い詰めると彩子は、「入居者がかわいそうだから」と答えた。「ちゃんとやらないと入居者がこまるんです。それでもいいんですか?」
正論だった。だが、施設サービスに必要なのは作業の質だけではない。チームワークも重要で、彼女は和を乱す存在だった。私は職員たちの気持ちを彼女に伝え、少しでも反省してくれたらと願った。
だが、彼女は真っ赤な顔で反論する。
「私はみんなよりちゃんとやってます。なんでちゃんとやらない人ばかり優遇されるんですか? この施設はそういう人ばかり昇進する」と言った。彼女の怒りの矛先は、昇進して現場から離れた管理職にも向けられていた。
「あなたも特技を身につけたらどうか?」
私はそう提案してみた。突出した特技を身につけて周りから尊敬されるようになれば、良い方向に変わるのではないかと思ったのだ。
「抜擢された人はみんな、人には負けない何かを持ってますよ」と私は言った。「パソコンができたり、リーダーシップがあったり。入居者獲得の営業が得意だったり。みんな頑張ってるんです」
彩子はうつむいて私の話を聞いていた。
それから数日後、台風の到来で、市内中が冠水し、多くの道が通行止めとなった。出勤できない職員ばかりで、施設内はパニックに陥っていた。入居者に対する介助や掃除など、仕事は山ほどあった。施設内にいるのは、夜勤明けの職員四名だけで、日勤職員は一人もいない。
うろたえるばかりの夜勤明け職員の中で、ただ一人、彩子だけは違った。一人で四つのフロアを駆けずり回りながら、日勤がすべき作業を淡々とこなしていく。他の職員達も彼女にうながされて作業を開始する。結局、夕方になって雨が落ち着き、次の夜勤者がくるまで、彩子を中心とした四人と私、総勢五名で一〇〇人近い入居者の生活支援をおこなった。疲労困憊だったが、なんとか危機を乗り切れたことに安堵し、彩子にはお礼を言った。
「あなたが居なかったらここの入居者はどうなっていたか。本当にありがとう」
彩子は首を振って、笑った。
「特技がない私には、こういうことしかできないんです」
布団たたんだり、換気したり、トイレの後、おしりをきれいに拭き取ったり、入居者が気持ちよく生活するために、彩子がいつもしていたことは、やって当然だと思われていることばかりだった。やって当たり前だけに、ほめられることもなかった。
「でも、ちゃんとやらない人が多いんです。だから他の職員のことも悪く言いたくなってしまって」
私はあらためて彩子にお礼を言った。「彩子さんがやってくれていたのは施設にとって大切な仕事ばかりでした」
「ううん」と言って彼女は首を振る。「特別なことはなにも……」
それから彩子は言葉に詰まり沈黙した。
なにかをこらえているような表情を見せた後、彩子は言った。
「この施設に入って一〇年目で、初めてほめてもらえました」
目には涙がたまっていて、いまにもこぼれ落ちそうになっていた。
目立つ特技があって派手に活躍する職員のほうが脚光を浴びやすく、昇進も早い。
だが、やって当然の業務を丁寧に行う職員を私たちはちゃんと評価していただろうか? 彩子問題は彩子自身の問題ではなく、評価する私たちが生み出した問題だったのではないかとこの日、初めて気付かされた。
施設の窮地を救ってくれた彩子に感謝しながら、ちゃんと評価される職場風土を作ることが先決だと心に決めた一日になった。
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