メディアグランプリ

通り過ぎていたら、聴けなかった息子と母の物語


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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記事:しんがき佐世(さよ)(ライティング・ゼミ特講)
 
 
2018年12月21日(金) 午後10時、歩行者信号が青に変わった。
 
「あの、すみません」
 
「はい」
 
イヤホンを片方はずし左を向くと、男の人が同じ横断歩道のはじに立っていた。
 
「近くで、一人で飲めるお店知りませんか?」
 
「えっと。あ、あそこのお店。たまにテレビ収録に使われててよさげですよ。行ったことないけど」
 
「あれですか」
 
「はい。あの看板。あと、もう一軒、ここをまっすぐ行ったらスペインバルもあります」
 
「スペインバル。おしゃれですね」
 
「ですね。よく知らないけど」
 
「いいですね、スペインバル」
 
「私、こっち方向なので、お店の前まで行きますよ」
 
外したイヤホンを失くさないよう、コートのポケットに入れながら、私が何気なく言うと、
 
「ありがとう。僕、もう少し一人で飲みたくて、お店探してたんです」
 
と私と並んで歩きながら、彼がさらに口を開いた。
 
「テレビで使われるお店を知ってるなんて、その業界の方ですか?」
 
「その業界?」
 
私が訊きかえすと、
 
「マスコミ関係とか」
 
と、彼がさらに質問をせばめた。
 
「いえ。違います」
 
「なんの仕事してるんですか?」
 
「ライターです」
 
「じゃあ、僕と似たような業界ですね」
 
彼が歩きながら、ニコッと笑った。
 
店にはすぐに着いた。
客が数組、談笑しているのがガラス窓ごしに見える。
 
「ここです。まだ開いてるみたいですね。じゃあ」
 
「せっかくだから、一杯だけ飲みませんか。おごります」
 
「一人で飲みたかったんじゃないですか?」
 
「はい。でも、せっかくだし」
 
やっと自分がナンパ現場にいると知った私は、相手の顔をまじまじと見た。
 
眉毛の間に、明るいホクロがひとつ、ぽつんとあった。
私の尊敬している先生と、ホクロの位置がおそろいだった。
 
たまに “降りてくる” なにかの兆しに促されて
 
「30分なら」
 
と、返事していた。
 
コートを店員に預け、奥のカウンター席に並んで座る。
 
「何にしますか。僕はビール」
 
「トマトジュースで」
 
「飲みましょうよ」
 
「このあと仕事なんです」
 
「そうかあ。じゃ、トマトジュースください。僕はビールで」
 
5分前まで私の人生にいなかった人が、私の左側に座ってビールを飲んでいる。
 
店内の照明に見る彼は、茶色のジャケットに、茶色のストライブシャツ。
胸のポケットチーフとネクタイは、茶色の水玉柄。
ジャケットの襟に留められた、毛糸で編んだ花のブローチまで茶色だった。
 
この人、何の仕事してるんだろう。
 
「さっき、ライターと似たような業界って言ってましたけど、広告関係の方ですか」
 
そう、私が訊くと
 
「どうかなぁ」
 
ビールを傾けながら返事が返ってきた。
 
「広告代理店とか」
 
「うん、まあ」
 
ふっ、とまた、なにか降りてきた。
 
「〇〇(会社名)?」
 
彼のビールを飲む横顔が、小石につまづいたように一瞬とまった。
 
「え、なんで」
 
「え、なにが」
 
彼が差し出した名刺には、たった今、あてずっぽうで当てた会社名が印刷されていた。
 
「ほんとに〇〇だ」
 
笑いながら言う私に、彼が顔を向ける。
 
「いや、いやいや。なんでわかったんですか」
 
「実は店内にいる人みんな仕掛け人で、ほらあそこ、目が合ったお客さんも。今日〇〇の人から声かけられたらこの店に誘導することになってて」
 
「モニタリングか!」
 
彼があわててあたりを見回した。
客席を眺め、トリックではなさそうだと確認してから彼が息をついた。
 
「さすがライターさん。分析力?」
 
「適当です」
 
トマトジュースを持ったまま、私は言った。
彼が笑った。
 
「僕もライターしてた時期ありました。今は違うけど」
 
聞けば、10年ほど前、私たちはとある会社の同じライター講座を受けていたことがわかった。
四分の一の確率で合致する血液型と違い、街で適当に声をかけた相手とたまたま一致するほどメジャーな講座ではない。
 
「面白いなぁ」
 
「面白いですねぇ」
 
笑って、それぞれのグラスを空けた。
飲み物のお代わり。芋のお湯割りと、2杯めのトマトジュースが運ばれてくる。
私と会う前からすでに酔っていた彼は、むかしの話をしてくれた。
 
20代の頃に最初の仕事を辞めた彼が、次の仕事までの休みを利用して母親と2週間ロンドンを旅した話。
地図も英語も読めない母親が、目の前の地下鉄に乗りこみ、息子をホームに残してどこかに運ばれていったこと。
次の駅にも次の駅にも母親はおらず、一日中ロンドン市内を探し回ったこと。
 
「親父にカッコつけて『奥さん、2週間借りるよ』って母親を海外に連れ出したのにどうしようって、生きた心地しませんでした」
 
十数年たった今も、彼の母親は「一人でロンドン・ブリッジに行った」と誇らしげに周囲に語っているそうだ。
 
「普通、はぐれたら次の駅で降りて待ちません?」
 
怒った口調で楽しそうに話す。
 
彼がロンドンを旅行先に選んだ理由は2つ。
 
当時、商業デザイナーをしていて、美術館をめぐり本物のアートに触れたかったこと。
もう一つは、彼が幼いころから、日常の「美」を見せてくれた母親を、大きな美術館へ連れていくため。
 
彼の2つ上の兄と父親は、美に無関心だったという。
母親はよく、次男の彼の手を引いて近くのギャラリーや、花で満ちた花壇へ「美しいもの」を見せてくれたという。
 
「田舎なんで、美術館とか立派なものはないんですけど、母はキレイなものをよく見せてくれたんですよね」
 
次男坊の彼は、母の影響か絵を描くようになり、デザイン系の大学に進み、今も美しいものに関わる仕事をしている。
 
ふまじめなナンパから、まじめな話。
もしあのとき、ナンパかと眉をひそめ通り過ぎていたら、聴けなかった息子と母の物語。
 
ささいな兆しを見逃しても、人生はだいたい、つつがなく進む。
でも、キャッチすれば、人生が不思議な方へ転がるときがある。
 
さっきふと思い出した、茶色いスーツの彼と同じ場所に小さなホクロを持つ私の先生。
先生はよく、ふまじめな顔でこんなことを言っていた。
 
「相手の言葉じゃなくて、相手の世界を全身で感じとることが大事だよ」
 
相手を信じるに足るものは小さな「兆し」。
ホクロ一個のささやかなサインだったりする。
 
「ライターの仕事でお願いしたいことがあったら、連絡しますね」
 
「ありがとうございます。良いお年をお迎えくださいね」
 
バス停まで送ってもらい、混んだバスに乗り込む。
座ったバスの窓から手を振ると、茶のジャケットの袖口から咲いた手のひらが、花みたいに揺れるのが見えた。
 
 
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2019-02-14 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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