メディアグランプリ

ふたりの女は100年もの時間を越えて


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記事:月山ギコ(ライティング・ゼミ日曜コース)
 
生後6ヶ月の娘を連れて、久しぶりに海の近くの祖母のマンションに来た。
 
昔は山のてっぺんにある一軒家に家族で住んでいたのだが、夫が早くに亡くなり、3人の子供達が巣立った後、駅近の中古マンションを買い、それからずっとひとり暮らしをしている。
 
1923年生まれの祖母は、10万人以上の命を奪った関東大震災が起こる前に生まれた。大変に病弱で、親は長くは生きられないと思い、すぐに出生届を出さなかったそうだ。
震災後、翌年になってから慌てて出したので、戸籍上は1924年生まれになっている。
 
当時の多くの家がそうであったように、祖母の兄弟はたくさんいた。
 
女3人男4人の7人兄弟。
本当はあとふたり男の子がいたのだが、小さい頃に亡くなってしまったそうだ。
母親は常に妊娠しているような状態だから、小さい頃から家の手伝いをしながらの生活で、親は大変厳しく、手をあげられることも珍しくはなかった。
 
祖母は背が高く、手足もすらっとして少し日本人離れした顔立ちをしていた。
 
「まるでソフィア・ローレンみたいだったのよ」
 
とは、祖母の娘である母の口癖だった。
若い頃の写真を見ると、確かに女優顔負けの風貌で、手作りのワンピースがよく似合う、綺麗な人だ。
 
女学校を卒業したのち、好きな人がいたが戦死してしまい、お見合いをして、当時英語の通訳をしていた祖父と結婚した。
 
当時の多くの家の父親同様、祖父は家事など一切やらず、祖母が風邪で寝込んでいても、
 
「おい、飯はまだか!」
 
というような昔気質の人で、ずいぶんと苦労したようだった。
 
祖父には大変申し訳ないが、母や、その兄である叔父・叔母から、祖父についてのいい話をあまり聞いたことがない。聞けば聞くほど、頑固でわがままな、THE・昭和な父親の様子が伝わるばかりだった。
その祖父は、母が高校生のときに会社で突然倒れ、帰らぬ人となった。
 
それから祖母は、残された長男、長女(母)、次女を養うために、近所の人に子供を預け、ワーキングマザーとして奮闘した。その頃から祖母と私の母はとても折り合いが悪く、しょっちゅう喧嘩をしていた。
 
祖父が急死したことで、大学へいくはずだった進路が立たれ、職業訓練校へいく羽目になった母の不満も大きかっただろうし、また女性は男性より常に一歩引いて生きるべき、家事は女性がするべき、という固定観念を絶対に曲げようとせず、頑なで強気な祖母の性格もあっただろう。
母が結婚し、私が生まれてからも、祖母の家にいくとしょっちゅう言い合いをしていたのを覚えている。
 
それから色々なことがあり、ほどなくしてふたりは絶縁状態となり、私が高校生の頃から約10年以上、私の家族は祖母の家の敷居をまたぐことを許されなかった。
 
10数年ぶりに私の母が祖母に会うことになるきっかけが、祖母の認知症だったのだ。
 
気がつくと祖母は、自分の娘と絶縁していたことすら忘れてしまっていた。頑固でなかなか他人を信じない性格が災いし、医師の往診は受け入れず、デイリーケアにも行かず、養護施設にも入れられず、外出すらしないで1日中家に引きこもっているひとり暮らしの祖母にしてやれることは、時々大量の食料を持った息子・娘たちが家を訪れ、様子を見ながら見守ることだけだった。
 
母の中では祖母との確執は未だ消えてはおらず、すべて忘れてしまった祖母ですら、許せないという恨みがましい気持ちがあるようだが、祖母はというと、とにかく記憶が消えてしまっているのだから、その不満すらぶつけることができない。
 
そんな母の気持ちをよそに、家にいくと嬉しそうに出迎え、帰ろうとすると
 
「もう帰るのかい?」
 
と名残惜しそうに引き止める祖母。96年という長い時間を生き、今赤ちゃんのように素直で無垢な人となって静かに最後の日を迎えようとしている。
 
今目の前で、その祖母が0歳のひ孫を抱いている。
 
真っ白に染まった伸び切った髪を振り乱し、山姥のような形相の祖母を不思議そうに見つめる娘。ひ孫との対面を幼女のように喜んで、何度も抱っこしたがり、あやす祖母。
 
「重いねぇ」
「かわいいねぇ」
「あたしこの子のお祝いあんたに渡したかい?」
「男の子?女の子?」
「何ヶ月?」
 
同じ質問を何度も何度も私にぶつける祖母。祖母の記憶は、10分毎にリセットされ、また思い出したように同じ話をループする。そのたびに、まるで初めて聞いたかのような顔をして、同じ答えを繰り返す私。
いつもよりずっと静かに、1日が過ぎていく。
 
翌朝、居間で祖母がテレビの前に座っていた。
 
「おばあちゃん、おはよう」
 
娘を抱く私を、不思議そうに見つめる祖母。
 
このふたりが言葉を交わせるようになるのはいつだろう。
1世紀近い年の差があるこのふたりの女は、奇跡のような時間を越えて、今同じ世界に生きている。もうじき人生を終えようとしている祖母と襷をつなぐように、人生が始まったばかりの私の娘は、祖母の強い遺伝子を引き継ぎ、また100年、それ以上と生きるのかもしれない。
 
「だあれ?かわいいねぇ」
 
今日も祖母の、そして娘の、まっさらな一日が始まった。
 
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2019-02-23 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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