私がついた、麻酔みたいな嘘
*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。
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記事:江原あんず(ライティング・ゼミ 日曜コース)
「ひどい事故を目撃してしまって、授業に遅れるかもしれない」
有給で、いつもより少し遅くまで寝ていたその日、会社携帯が鳴る音で起こされた。相手は、ニュージーランド人の先生、サイモンだった。
当時、私は英会話学校で、ネイティブの英語講師のマネージャーのような仕事をしていた。サイモンはがっちりした体格の、頼れる30代の講師だったのだが、その日はいつになく動揺していて、電話口の声は、小刻みに震えていた。
サイモンの話はこうだった。
同僚のジュリーと2人で、仕事場へむかって歩いているところ、自転車に乗った中学生の男の子が、車にはねられる場面に遭遇した。横断歩道を自転車で渡るその子に、信号無視をした乗用車が突っ込み、衝撃を受けた自転車は、円を描くように宙を舞った。そして、次の瞬間、自転車ごと地面にたたきつけられた男の子は、冷たいアスファルトの上で、ぐったりとした。
まわりの日本人たちが、救急車を呼んだり、車を寄せたりしている中、サイモンが男の子のもとへ駆け寄ると、その子は苦しそうに呼吸していたので、自分の膝に頭を乗せて少し高さを作ってあげ、呼吸を楽にさせた。そして、じきに到着した救急隊員が、その子を引き取り、日本語の話せないサイモンとジュリーは、目撃情報を聞かれることもなく解放されたのだけれど、スーツに血がついてしまったので、一度着替えてから仕事に向かいたい、という。
私は、有給をキャンセルし、電車に飛び乗って、サイモンたちが働く教室へ向かった。私の仕事は、講師たちがベストな状態で、質の高い提供できるようにサポートすること。それにはもちろん、時に心のケアも含まれてくる。
どんな言葉がけをするのが、正しいのだろうか。
窓のむこうの灰色の空を見上げながら、ちょうど授業に入ってしまったサイモンとジュリーを休憩室で待った。吹いたシャボン玉を片っ端から割っていくみたいに、浮かんでくる言葉を却下しては、新しい言葉を探した。
「ぐったりしている子を見て、私はただ泣くことしかできなかった。駆け寄って、あの子に触れたサイモンは、とても勇敢だわ」
サイモンと一緒に事故を目撃したジュリーは、アメリカ映画のチアリーダーを思わせる、明るい20代の講師だった。しかし、この日ばかりは、声のトーンが暗く、涙でにじんだアイラインの跡があった。
いつもどっしりと構え、たいていのことはit’s gonna be okay(きっと大丈夫だよ)が口癖のサイモンも、さすがに弱っていた。
「あの子が助かるとは思えないよ。触れたときは、確かに温かかった。でも、命の炎がもう少しで消えそうな感じが否めなかったんだ」
想像することしかできない、2人が目撃した事故の光景を頭の中で再生しながら
「大変な日だったね。そんな日でも、先生をまっとうしてくれて、ありがとう」
そう言って、2人にハグをした。それしかできなかった。
2人は日本語が話せず、警察に状況を伝えられなかったことが心残りだと言っていたので、私は代理で電話をかけた。
「貴重な情報をありがとうございます」
感情的な私の話は、きっとこんな事故の話は、日常の一部である電話口の担当者の方に、冷静に吸収された。
「あ、あの……」
電話を切る前に、恐る恐る聞いた。
「男の子って、助かったんですよね……?」
「いや、それはまだわからないんです。病院に運ばれたとき、かなり危ない状態だったとは聞いてはいますが」
「命が助かったら、連絡をいただけたりしませんか。目撃した外国人の同僚が、とても心配していて」
「それは、個人情報なので、お伝えすることは難しいです」
嘘でもいいから、ご安心ください、きっと助かります、と言ってくれたら、どんなによかっただろう。
私は、ツーツーと流れる乾いた音をいつまでも聞いていた。
その晩、冷たい布団の中で何度も寝返りをうって考えた。明日、2人にどんな言葉をかけよう? 事故を目撃して、傷を負った2人の心に、私はマネージャーとして、どんな風に寄り添うことが、正解なのだろう?
そのうち、白い光がカーテンから入り、朝がもうそこまで迫ってきた。私は覚悟を決め、目覚ましが鳴るまでの数時間を眠った。
翌日、良く寝られなかったのか、教室に現れた2人は、腫れぼったい顔をしていた。
「昨日、警察に連絡したよ。そしたら、あの子、助かったって」
その日の朝、鏡の前で何度も練習したそのセリフを、私は練習通りに言った。
「本当? あー、それは、本当に、本当によかったわ!」
ジュリーはgoshと言って胸をなでおろし、浮かんだ涙を指のはらで拭っていた。
一方、サイモンは、険しい顔で、butと言いかけ、私の目の中に嘘を探していた。実際に子どもに触れていた彼には、きっと、何か感じるものがあったのだろう。
それは全くの想定内で、それでも私は嘘を突き通すことを決めていた。
「本当だよ。助かって、本当によかったね」
私は、サイモンの深くて青い瞳から放たれる視線に、まっすぐ向き合った。
数秒の沈黙があって
「それなら、よかった。教えてくれて、ありがとう」
口角をあげて、サイモンは小さく笑った。
私の嘘を信じたのだろうか。それとも、たとえ嘘だと気づいていても、その子の生を信じることにしたのだろうか。
私は会社にかけあって、念のため、2人が希望すればカウンセリングを受けられる体制を引いた。それから、会社の近くの神社に行って、その子が助かるように祈った。
マネージャーとして、そして1人の人として、あの嘘が正しかったのか、わからない。あの嘘は、まるで麻酔みたいだった。
事故にあった子の命がどうなったのか、私たちには知る術がなく、生きているにしろ、亡くなっているにしろ、今、私たちができることは、もはや何もない。
人生には十分に、体にメスが入るような衝撃や、目覚めたときに動けなくなるほどの痛みが用意されている。だとしたら、救いようがない、どうすることもできない痛みにも、私たちはちゃんと向き合って、痛い! と泣き叫ぶべきなのだろうか。そんなときには、嘘を投与して、感覚を鈍らせることができるなら、それでもいいじゃないか、と思うのは、真実に無礼で、傲慢なことなのだろうか。
「今日こそ、ゆっくり寝てね」
その日の授業が終わり、教室を出るとき、私はサイモンとジュリーにハグをした。手をまわした背中が、くっついた頬が、温かい。血が流れている。
そうだ、今、生きている私たちにできることは、悲しみの種に水をやることではない。嘘でも、幻想でもいいから、それを信じて、前を向くことだ。生きることができた今日に感謝しながら、明日を迎え入れることだ。
帰り道、小さな結論に納得して顔を上げると、まるで、あの子の命が今も燃えていることを誰かが教えてくれるみたいに、真っ赤で鮮やかな夕焼けが街を包んでいた。
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