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義母の認知症が教えてくれた「今」を幸せに生きること


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記事:山本ヒロミ(ライティング・ゼミ日曜コース)
 
久しぶりに義母が夢に出てきた。
義母は夢の中でも認知症で、私を困らせていた。
 
義母は数字に強い人で、70になっても中学生の孫たちに数学を教えていた。
人よりは頭がしっかりしていると周りも思っていたし、本人も自分の頭に自信があった。
しかし、今考えると認知症はかなり早くからその片鱗を表していたと思う。
 
10年くらい前のお正月、新年のあいさつに夫の実家を訪ねた。
前年まではきれいに掃除されていた夫の実家は、その年は物が雑然と散らばっていた。
仏間に入って仏壇に手を合わせてから窓際に飾られた我が家の七五三の記念写真が目に入った。数年前に3人の子ども達が丁度7歳、5歳、3歳の時に家族5人揃って撮ったものだった。
 
「なぜ私の顔だけ黒い?」
 
近づいて写真を見ると私の顔だけマジックで真っ黒に塗りつぶされていたのだ。
背筋が凍った。
 
こわばった顔で居間に行き、皆と時間を過ごしたが、心はずっとざわざわとしていた。
「誰が私の顔を黒く塗ったのだろう?」
「義父はそんなことはしない…… ならば義母?」
 
その日の義母は今まで見たこともないくらい不機嫌だった。
いつもはニコニコと孫たちと遊ぶのに、ロッキングチェアーに深々と腰かけて動くことはなかった。どんな成り行きで昔話が出てきたのか忘れてしまったが、私たち夫婦が新婚だったころ、私の母と義母も誘って四人でハワイに行った時の話になった。
 
突然義母は怒った口調で
「あの時は、どれだけ寂しい思いをしたと思ってるの? あなたたち親子は仲良くショッピングに出かけて、私と息子はドライブだったのよ!」
確かにそんなことはあった。
 
私たち母娘はショッピングがしたい。
夫はドライブがしたい。
で、義母はどうしたいかを聞いた時、自分から
「息子とドライブに行く」といったのだ。
 
そんなことを10年以上根に持っていたなんて。
 
しかし一旦悔しかった思い出に囚われてしまった義母は私に駆け寄り、座っている私の背中を叩いたのだ。
 
唖然とした。
子ども達も凍り付き、その場を逃げるように去った。
 
その後しばらくして義母は友達付き合いを一切やめてしまった。
なぜなら、何度約束しても約束の時間も場所も守れなくなって迷惑がかかるようになったからだ。
 
私は夫と義父に認知症外来に行くことを勧めたが、義母本人が
「私がボケているわけがない」
と頑として譲らなかった。
 
内科で相談して「老人性鬱」と診断が下ったが、薬嫌いの義母は処方された薬を飲んでいる様子はなかった。
 
認知症は人の性格までも変えてしまう。
大人しく温厚だった義母は暴力的でいつも口汚く義父をののしる怖い人に変貌してしまった。
 
義父母はどちらかといえば裕福な家の出身で、お見合いで結婚した。
家にはお手伝いさんもいたので義母は家庭のことは一切せず、家業の経理的なことを任されていた。数字に強い義母にとってその仕事はそれほど苦ではなかったはずだが、夫がまったく関心のない経営的なことを全部任されたことに不満を募らせていたようだ。
 
義父の父が亡くなった後、経営はどんどん悪くなった。経営手腕も無く人に騙されてばかりいる義父に苛立ちながら、義母はどんどん細っていく商売をずっと支えてきた。義父が愛人に走ってしまったり、義父の母の介護を担ったりしたことも義母の愚痴からわかった。
 
誰とも会いたくないと家に引きこもってばかりの義母は1日24時間義父と過ごしていた。
それが悪かった。
義母の中には義父に対する爆発できなかった恨み辛みと、思いやりもかけてもらえなかったという寂しさでいっぱいだったのだから。
 
義母の叫びは家の外にまで響き渡っていた。
「あんたは、何にもできず、私は夜中まで帳簿をつけて仕事していた!」
「女に狂って金ばっかり使って、私は節約ばっかりしてお金なんて使ってこなかった!」
「私は一度も幸せだと思わなかった」
 
時には物忘れから来るパニックで周りを振り回した。
「お金がない! 泥棒が入った。警察を呼んで!」
「鍵がない! 誰かが盗んだ」
 
義父母の家には何度も田園調布警察が入って泥棒の痕跡を探ったり、鍵屋は何度も玄関と金庫の鍵を作り替えた。もう二人での生活は限界を迎えていた。
 
義父は足と耳が悪く、長く歩くことはできなかった。
遠い耳は義母の半狂乱の、ののしりを遮断するのには役に立ったが、義母にとっては何を叫んでも無反応の夫にさらに怒りを募らせる結果となったのである。
義母の義父に対する暴力が口だけに留まらず、身体に及ぶ事が日常化したところで、義母を認知症専門の施設に入れた。
 
あれほど施設に行くことを拒否していた義母だったが、施設の優しい介護士に囲まれると、昔のお嬢様気質が戻ってきて、大人しい上品なおばあちゃんに変わったのだ。
当初は
「私は何でここにいるのかしら?」
と不思議がっていたが、周りのスタッフが
「安心していいですよ。私たちがいつでもいますから」
と声掛けしてくれることで自分に対する不安がすっかり消えたようだった。
暴力的になるのを止める薬も不要となって、今は穏やかな日常を過ごしている。
 
義母にとっての認知症は、人生の最後で本当に嫌なことを吐き出せた病気のように感じる。
ずっと我慢し続けていたことを、最後に思いっきり吐き出すことで自分を解放したのだろう。
そして、決して一緒にいることが楽しくなかった夫と離れることで心穏やかに暮らすことが出来たのだ。
 
認知症というのはある種「禅」の境地のようなもので、「今」だけを生きている。
過去の辛いことは忘れていないのかもしれないが、「今」の幸せを味合うことに満足できれば、すべて過去を洗い流し未来への「不安」も消し去る。
 
正月に義母を訪ねて施設に行った。
「おせち料理は食べましたか」
の問いに
「あのね、私毎日何かを食べているのよ。だってお腹がすいてないもの。でもね、何を食べたのか全然覚えてないの」
ちっと困ったような、でも満足した穏やかな義母の表情を見ていて、義母が幸せに暮らしていることがわかりホッとした。
 
義母の今の幸せを信じること、それが私の辛かった認知症の義母との記憶をきれいに消し去ってくれることを信じたい。
 
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2019-03-08 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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