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メディアグランプリ

祇園の街で鳴り響く鐘の音


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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記事:高木英明(ライティング・ゼミ特講)
 
 
「今度の人事異動の件で、会って伝えたいことがあります」
頭の中で川野和子に言われた言葉を思い出していた。人事担当でもない私に何を伝えたいのだろうか? 彼女は長年勤めた職場から別の支店へ異動することになったのだという。電話をもらうまで存在すら忘れていた相手だった。
祇園四条駅で降りた私は、待ち合わせた場所へと急いだ。夕暮れ時で、遠くの方から鐘を撞く音が聞こえてくる。行き交う人々が話す言葉は外国語ばかりで、平家物語の朗読でも聞かされているような心境だった。多くの人々がこの地を目指し、そして去っていった。そんな京都の中心地に降り立った私は、すっかり変わってしまった街の光景に戸惑っていた。この街には私の勤務する飲食チェーンの祇園四条店があった。そこで私は川野たちと数年前まで一緒に働いていた。
喫茶スペースのある本屋で私と川野は待ち合わせをしていた。中に入ると「人生が変わる書店」という看板が掲げられている。受付に居た美しい店員に案内され、二階にある喫茶スペースに辿り着いた。
川野と再会の挨拶を交わし、互いの近況について報告し合った。当時のメンバーはみな退職しているか、別の支店などに異動していた。川野は現場で一番の古株になっていて、年下の女性支店長とうまくいってないのだと語った。私はひたすら相槌を打ちながら、彼女の話に耳を傾け続けた。
「高城さんがあのままずっと店長やってくれていたら良かったのに」
川野はそういって、窓の外に目を向ける。私もつられて眼下の通りに目を向けた。昔ながらの料亭などが並ぶ細い路地だったが、雰囲気にそぐわない派手な服の観光客たちがはしゃぎながら往来していた。
十年前に祇園四条店に配属された私は、数年で支店長に抜擢された。離職率が高い職場で、わずか数年で管理職になる者が多かった。
「実は高城さんに見てほしいものがあるんです」と川野は言った。「これから一緒に職場に行ってもらえませんか?」
 
祇園四条店を訪れるのは五年ぶりだった。内装などは変わってないように見えたが、料理を運ぶスタッフ達は見知らぬ顔ばかりで、未知の職場に足を踏み入れたような印象も受けた。
川野はキッチンの奥へ私を案内する。
「これ覚えてますか?」川野は奥のスペースを指さす。つやつやに光る鉄板が何枚も積み上げられていた。
私は川野のほうに顔を向ける。「これはもしかして……」
川野は私をみつめながら頷く。
「高城さんの指示を忘れず、今でも毎日磨いているんです」
「そうなんだ。驚いた」私は積み上げられた鉄板を一枚手にとってまじまじと見つめた。汚れはなく、新品のようにキレイだった。店長になったばかりの頃、川野の提案を取り入れて購入した鉄板だった。希望があれば、鉄板を客席に持ち込んで自分で焼くこともできるサービスを始めたのだ。現場は加速度的に忙しくなった。不満を言い出すスタッフが出てもおかしくない状況の中、川野は率先してサービス普及に協力してくれた。お客さんから評判は良好で、それを励みに頑張るスタッフも増えた。売上も伸びて、離職率も向上した。私は会社から高い評価をうけることとなった。
「あの頃は川野さんにいつも助けられていたね」
スタッフに言わなければならない苦言の大半を、川野は代弁してくれた。いわゆる嫌われ役だった。私は祇園四条店での実績が認められて昇進し、本社勤務になった。
「あれからすぐ鉄板サービスは中止になりました」
川野は私が去った後の話しを始めた。客席でお客さんが火傷をするという出来事があった。大きなトラブルにはならなかったものの、サービスは中止となり、店の方向性もだいぶ変わった。客とスタッフが和気あいあいと過ごす祇園四条店特有の雰囲気は消え、川野は店で浮いた存在になっていった。
「使ったものはその日のうちに元に戻す」
当時私がこだわっていた言葉だ。どうせ明日も使うのだからと言って置きっぱなしにしない。その日使ったものはキチンと手入れして、元の場所に戻す。川野はそれを代弁者のように他のスタッフに伝え、自らも実践し続けてくれた。いつ来ても気持ちの良いサービスが受けられるように、毎日コツコツと必要な作業を続けることが大事だと言い続けていた。
「店長が変わって、効率的に短時間で仕事を終わらせるほうが大事みたいな雰囲気になりました。余計な作業は省く方向に変わっていったんです」
それでも川野は、私の指示した作業を出勤のたびに続けていたのだという。
「使わなくなった鉄板も、毎日磨いていましたよ。店長に見つかったら怒られますけどね。余計なことに時間を使うなって」
スタッフの顔ぶれも変化し、川野は職場のお局さん的な存在になっていった。
「異動になるのはいいんです。みんな居なくなってしまったし。正直、ここで働き続けるのも疲れてきたところでした。ただ……」
「ただ?」
「ただ、ひとつだけ、お願いがあって高城さんとお話したかったんです」
川野はじっと私の目を覗き込む。お皿が擦れ合う音やナイフやフォークがぶつかる金属音がラップミュージックのように店内に鳴り響いていた。
「私に引導を渡してもらえませんか?」と川野は言った。「高城さんから、この店のことはもういいよって言われたら、それで区切りをつけられます。みんなに追い出されるのではなくて、高城さんから言ってもらえたら、それだけで私は諦めがつきます」
なんと返事していいのか、そんなふうに言われるとは思ってもみなかった。まだ店長に成りたてだった数年前の私の指示を、彼女はずっと守り通していたのだ。私の方は、彼女のことを思い出すことはほとんどなく、うしろめたい心境になった。
彼女は泣きそうな目で私を見つめていた。「ごめんなさい。わざわざ来てもらってこんなこと頼むなんて、迷惑なだけですよね」
私は首を振った。
「そんなことない」と私は言った。「迷惑じゃない。今まで指示を守ってくれたことを感謝しています。川野さんがいてくれたおかげで、自分は頑張ることが出来ました。いままでこの店を守ってくれて本当にありがとうございました」
深々とお辞儀をして、感謝の気持ちを伝えた。正直な気持ちだった。店長になった時に、彼女はいつも私に歩調を合わせ、指示を守り、私に代わって悪役を演じてくれた。私がこの店から居なくなった後もずっと変わらずに。
「あなたが居てくれてとても助かりました。本当にお疲れ様でした」私は重ねて言った。
川野は両手で顔の下半分を覆った。鼻をすすりあげる彼女の両目にはみるみる涙がいっぱいにたまっていった。私が言い終わると、彼女の両目からは涙がこぼれ、彼女は嗚咽を漏らした。
 
祇園四条店の入り口で川野と別れた私は、駅に向かって歩き始めた。外国人たちが外国語で言葉を交わしながら、楽しそうにはしゃぎまわっている。意味を理解できる言葉は一言も耳に入ってこない。次にここに来る時は知っている顔さえ一人もいなくなっているかもしれない。遠くから鐘を撞く音が聞こえてくる。多くの人が移りゆくこの場所で、短い期間ではあったけれども、川野たちに支えてもらいながら過ごすことが出来たことに私は感謝した。
 
 
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2019-03-09 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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