言葉になれないものを、言葉で伝えようとするなんて
*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。
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記事:しんがき佐世(さよ)(ライティング・ゼミ日曜コース)
「言葉とか」
自分の声に聞こえなかった。
「こんな、使えないモノつくって」
言葉の神さまの胸ぐらをつかんでいた。
手だけでなく、声もふるえていた。
神さまの着ている白いシャツは、私の右手に握りしぼられて、深いシワが寄った。
抵抗せず力を抜いた “言葉の神さま” は、目を赤くした私を見ている。
それは、東京で参加したある心理学講座の、ワークの時間だった。
講座も終盤にさしかかった夕方、穏やかな時間がながれていた。
なごやかな空気のなか、私の半端に隠したしこりに気づいた講師が、私に質問をした。
「なにかありそうだね」
おおありだった。
ちょうど心理学講座を受ける直前、親しい友人と行き違いがおこっていた。
ささいな価値観の行き違いだった。
誤解を解きあおうとして、言葉を重ねているうちに、さらによじれた。
たいしたことなかったはずが、言葉を重ね、ていねいに伝えようとするほど、うわすべりしていく。
さっきまで確かにあった、相手との間に流れる暖かなものが、冷えていくのがお互いにわかった。
言葉を重ねるほど、しらじらしくなっていく。
伝えたいことから、私がどんどん遠ざかっていく。
そのまま迎えた講座だったのだ。
私のつっかえた説明を聞きおえた講師が、
「その人に、今、言いたいことある?」
と訊いた。
天井をみあげて眉間にシワをよせる私に、受講生たちの視線が集まる。
なにに対して、私は怒りをためているんだろう?
自分のいたらなさ? 相手への過剰な期待? いや違う。
「いや、その人に言いたいんじゃないみたい」
「じゃあ誰?」
「言葉」
場に、ほんの少しの間が流れた。
「ことば」
と、彼はくりかえした。
通常ならこのワークは、自分の内にかかえた思いを「誰か」に向けて、吐き出すもの。
抑圧された感情を、当事者を想定した人物を目の前に立たせて、解き放つ。
かつて言いたくて言えなかった思いを言う。
その人に見立てた人物の前で思いのたけを吐き出す。
怒りや悲しみの奥にある愛を見いだし、心を癒すワークだったのだと思う。
私の信頼する心理学の講師は、心のプロだ。
「人でないもの」をあつかう展開に、動じたふうには見えなかった。
「じゃ、やってみよう。 “言葉の神さま” に、言いたいこと言ってみて」
講座のサポーターに「言葉の神さま」役になってもらい、私の真正面に、白いシャツとジーンズ姿の神さまが立つ。
深呼吸して、目を開け、言葉の神さまと向かい合った。
言葉でやりきれない思いをするとき、思い出すことがある。
10代の終わり頃、ひとりの同級生を傷つけた。
友人に心ない言葉をかけて、それを聞いた別の友人が私に怒った。
いっぺんに2人の友人をうしなった過去だ。
昔から、話すのがへただった。
というより人とのつきあい方がへただった。
クラスメイトが楽しそうに話す内容も、笑う理由もわからず、話についていけない。
小学、中学、高校でも、おいてけぼりにされることを一番おそれていた。
おそれていることは起こるもので、クラスメイトは私にわからない何かを共有して笑い、笑われる理由がわからない私はその輪のなかで口元だけで笑った。
しだいに輪から外された。
外されたのではなくて、居づらくなって自分からおりたのだった。
県外の大学に進学が決まり、心機一転のチャンスだと思った。
引っ込み思案で、話すときに相手の目を見なさすぎるか見つめすぎるかの自分を変えるチャンスだと思った。
快活にふるまってニコニコして「何かおもしろいこと」を話そう。
立ち位置を変えるんだ。
笑われる側じゃなくて、笑わせる側にいこうとした。
その頃、芸能界で芸人さんがブームだった。
ダウンタウンのまっちゃんがボケて、はまちゃんが突っ込む。みんなが笑う。
ツッコミ役がボケ役を「いじる」と、はげしく強いツッコミの言葉が、場をわかせた。
当時、大学ではじめて入ったサークルで、コミュニティにはいれた自分がうれしくて、役に立とうと必死だった。
芸人さんのツッコミに観客が笑う様子をみて、これを真似すればみんな笑ってくれると信じた。
「うまいこと」を言えば笑ってくれる。好意的な笑顔がもらえる。
テレビを観るのは娯楽というより、コミュニケーションを学ぶためだった。
笑ってくれたら、私の居場所をあけてもらえる気がしたのだ。
私は何も知らなかった。
激しいツッコミをするとき、芸人さんがどれだけ「細心の注意をはらって」相手を馬鹿にしているかを。
あくまで「仕事」として相手をけなしているのであり、テレビに映っていないときは相手に対してしっかり敬意をはらっているかを。
なにも知らないまま、うわべだけコピーして、実践して、友人を傷つけた。
「俺のともだちのこと、なんでそこまで言われんといけんのよ」
そのとおりだった。
笑ってくれると信じて、ほとんど人格否定のようなことを言ったのだ。
気づいたときには、その子のとなりにいた子が怒っていた。
笑ってほしかった相手は、悲しい顔で笑っていた。
こんな表情をしてほしくて言ったんじゃなかった。
言葉ではなく、心のあつかいかたを間違った。
ゆうべ何を食べたか思い出せなくても、その子を傷つけたことは今も忘れられない。
ワークの最中に、そんなことを考えていた。
「使えないんだよ、言葉」
言葉の神さまをはけ口にして、腹の奥底からでてきた声が絶望していた。
「笑ってほしいだけなのに」
握りこぶしがゆるむ。
「なんで、伝わらないんだ」
今まで多くの人を傷つけた。
誤解させ、怒らせ、悲しませた。
「そんなつもりじゃなかった」とのたうつ時間は、言葉がつれてきた。
言葉の神さまをののしりながら、そのことを思い出していた。
相手のせいにすると、涙がでた。
やつあたりする私の肩に手を置き「もういいよ」と講師は言った。
そのあと何があったのか、あまり憶えていない。
宿をとった品川のホテルの部屋で水をたくさん飲み、とぎれとぎれの夢をみた。
言葉文化のない国で、言いたいことを伝えられずに夢のなかでも困っていた。
「言葉は人類最大の発明」だと、どこかできいたことがある。
言葉はダイナマイトみたいなものだ。
偉大な発明品で大きな岩山を砕くことも、人を傷つけることもできる。
私は言葉へのコンプレックスが大きすぎて、言葉に食らいついてきたんだった。
それを使って仕事するようになってなお、言葉は、私の手に負えない。
あれから何年たっても、まだ人を悲しませている。
帰りの機内で、受講生がかけてくれた言葉をいくつか思い出す。
「そんなに言葉が、好きなんだね」
ほんとだ。
言葉にふりむいてもらえずに、ずっと片思いみたいだ。
「それだけエネルギーを注げるって、相当だ」
「言葉でそれだけつまづけるから、文章が書けるんだね」
言葉にやつあたりした私ごと、すくいあげてもらった気がした。
言葉をいくら駆使しても、言葉になれない気持ちが多すぎる。
気持ちをただしく伝えられない不完全な発明品を、不完全な私が使う。
なんだか、ちょうどいい気がしてきた。
東京から夜便の飛行機で帰りつき、重たいスーツケースを玄関に引き入れる。
自宅はすっかり寝静まっている。
居間のとなりの部屋から、ふたりぶんの寝息が聴こえてくる。
居間の電気をつけると、テーブルの上にA4の紙が置かれていた。
えんぴつで書かれた5才児の強い筆跡の、ひらがなと絵が照らされる。
「おかあさん だいすき がんばれ がんばれ」
そうか。「うまいこと」言わなくても、いいんだ。
文字のまわりを、笑ったかおと、お星さまの絵が、囲んでいる。
手描きの星は、手で成形したクッキー生地みたいに、やわらかそうなかたち。
そうだ。「言葉」じゃなくてもいいんだ。
コチコチに固まった心が、自宅で待っていた神さまにほどけていく。
言葉も言葉じゃないものも、リビングの照明をうけて、白い紙の上でひとしく光っていた。
言葉でこじらせて、ことばですくわれている。
言葉で悩んで、ことばの外から助けられている。
言葉でいつか、ことばを越えられますように。
言葉になれない思いを、ことばに託せますように。
そしていつか、ことばを自由に手放せますように。
コートを脱ぐのも忘れて立ったまま、手にした紙を眺めていた。
思いついて机の前にその紙を貼ったら、私だけの神棚になった。
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