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メディアグランプリ

僕たちの庭には、壁が無い


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

【4月開講】人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ《日曜コース》」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜

記事:佐藤城人(ライティング・ゼミ日曜コース)
 
「とうとう、ベルリンの壁がなくなるのか…」
1989年、ちょうど昭和から平成へと変わった年のことだ。
ドイツを東西2つに分断していた、ベルリンの壁が壊されていくのを、僕はテレビで観ていた。そして、ベルリンを旅した日々を思い出していた。
 
「これが社会主義のやり方なのか?」
旅の途中なのに、寂しく窓の外を見上げていた。
東ドイツの警察の、殺風景な取調室の窓から。
旅の目的は、社会主義の国をこの目で見てみたいという、単純な動機だった。
あの当時、鉄のカーテンと呼ばれるほど東西の分断は厚く、東側諸国の情報が入ってくることは少なかった。ベルリンの壁は、まさにその象徴的な存在だった。
 
(本当のところはどうなんだろう?)
1985年。僕は大学3年生、ロシア語を専攻していた。
 
モスクワからポーランドのワルシャワ、そして東ベルリンへと、夏休みを利用したひとり旅だ。
 
社会主義の街並みは、清々しく美しい。宣伝の看板やケバケバしいネオンが無いからだ。
てっぺんが玉ねぎの形をしたロシア正教の建物は、見ているだけで楽しい。
東ベルリンでは演奏会やオペラなども鑑賞できた。ただ、必要以上のぜいたく品は無い。
街のスーパーに行くと、日本と比べ圧倒的に品数が少ないことに気づく。
そして、東京の喧騒に慣れた者からすると、整然としすぎていると感じていた。
 
「カメラに軍用車が、間違って入っただけじゃないか! 不可抗力だ」
社会主義の国々では、軍関係など、国家の機密に関わるものを写真に撮ることは、ご法度だった。嫌というほどわかっていたのだが、最後の訪問地ということで気が緩んだのだろう。
 
たまたま路線バスの車窓から見えた、中世の荘厳な教会にカメラを向けた際、そこに軍用車が停まっていたのだ。「パシャ」とシャッターを切った瞬間、乗客に呼び止められた。
 
そのまま僕は、地元の警察に連行された。
僕は生の社会主義を体感した。
 
何を言っても聞く耳を持たない。ダメなものはダメの一点張り。
 
幸い、フィルムに例の車両は写っていなかったため、翌日釈放となった。
「誰もが平等な社会というけれど、全然違う。お互いがお互いを監視する社会だ。こんなの平等でもなんでもない」
自分の足で歩き、自分の目で見ることで、社会主義の良さを体感したかっただけなのに…。
 
あの旅から4年後。
ベルリンの壁はあっけなく、崩れた。
あのとき、すぐそばで見ていた壁が、今、ブラウン管の中で、壊されていく。
ハンマー片手に壁によじ登り、男たちが喜々として砕いていく。どの顔も「やっと終わった」という安堵感に満ちていた。
 
「社会主義は、どうして失敗したんだろう?」
答えは、あの旅の中にあった。
 
みな同じと言いながら、人間同士の「心の壁」を、かえって強固にしたからだ。
平等であるためのルール。これが一人歩きしてしまったのだろう。
ルールばかりで、自由が無い「閉塞感」
街を歩いて感じた、喧騒の無さ。あれは活気の無さだったのだ。
 
結果の平等を重視する社会主義は、労働者の意欲を削ぐ恐れが高い。頑張っても、それが正当な評価とはならないからだ。その反面、自由主義における過度な競争も、かえって貧富の差を固定してしまい、働く意欲を削いでしまう。
どちらも美しい理念を掲げるが、どちらにも、ひずみは生じる。
 
社会人になった僕は、平等や自由について考える暇もなく、激忙の日々を過ごした。
日本はバブルの好景気の真っただ中。よく働き、よく遊んだ。
そして、僕は結婚することになった。同じロシア語学科の後輩だ。
 
ベルリンの壁の崩壊の日。あれはちょうど、新居の設計の打ち合わせの日だったので、よく覚えている。
 
「庭に壁やフェンスを作りたくないんだよね」
僕は彼女に告げた。
「なんで?」と未来の妻が言う。
 
「『心の壁』っていうのかな? 『こっちに入っちゃだめ』って、言ってるみたいでさ。その気持ちが、なんだか苦手なんだよね」
「アハハ。そういう発想、大好き!」妻もOKだった。
 
「わが家の庭に、壁はありません。皆さんもぜひ、自由にお越しください。壁の無いぶん、陽射しの明るい家庭を目指します」披露宴で、僕は宣言した。
 
時は流れ、あれから30年。
相変わらず、庭に壁は無い。
 
鳥たちや猫、子どもや年寄りが行き来する庭を、今日も僕たち夫婦は楽しんでいる。
今年もスイカを植えようか、散歩の保育園児たちが大喜びするだろうな。
 
「いやぁ、精が出ますな。庭いじりも大変でしょ」
「毎年、お宅の庭の花には、癒されているんですよ」
庭にいると、見ず知らずの人が、声を掛けてくれる。名前も知らない「知り合い」が増えた。
 
「庭の雑草、伸びてたから刈っといたよ」
時には、こんなおじさんも!!
(あれは、今年植えたばかりだったのになぁ。まっいいか)
 
壁を作らなかったこと、正解と思っている。もちろん「危ないのでは?」と、指摘してくれる知人もいる。その気持ちもありがたい。でも、どれが正解なんて、人それぞれの価値観なのだろう。
 
ただ、僕は思い出すんだ。
ベルリンの壁を壊す人たちの喜びの顔を。
社会主義というルールに縛られた人々の顔を。
本当は、皆が平等で自由を謳歌する、崇高な理念で立ち上げたはずだったのに…。
 
ソビエトは崩壊しロシアになった。東ドイツはドイツに統一された。東ヨーロッパの国々は、次々と自由主義を掲げるようになった。
 
では、世界は平和になったのだろうか?
いいや、誰もYesとは言わないだろう。
今でも、紛争は世界各地で起こっている。
 
社会主義であっても、自由主義であっても、その理念の先にあるのは何だろう?
そこに暮らす一人ひとりの、幸せではないだろうか。
 
マザーテレサが次の言葉を残している。
「私は反戦、反核運動であれば参加しない。でも、平和活動であれば喜んで参加する」
 
反対のための運動は、どこまで行っても終わることは無い。なぜならば、振り上げた拳を降ろす先が必要だからだ。モグラ叩きと同じで、闘う相手が常に必要だからだ。
また、「あそこが怪しい」とデッチあげ、叩くことすら起きかねない。
これでは、真の意味の平和は望めないだろう。
 
マザーテレサは続ける。
「世界平和のためにできることですか?
家に帰って、家族を愛してあげてください」
 
家族から始める平和、そして幸福。
この願いを込めて、今年はデイジーを植えよう。
花言葉は「平和」
人を隔てない、争わない、お互いに助け合う時間と空間。
 
僕たち夫婦の庭に、壁は無い。
 
 
 
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2019-04-03 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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