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英語は気合いだ、人生も気合いだ


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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記事:臼井裕之(ライティング・ゼミ土曜コース)

「よろしくお願いします!」
洋画を上映している映画館の入り口。
こう大きな声を出して、頭を下げて入る人がいる。
あなたはどう思うだろうか。

そう、ちょっといかれている。

日系二世だと称して、日本のデパートで
英語でものを訊いて回る。
でも本当は日本生まれ、日本育ちの日本人。

あげくのはてにヤクザにからまれ
引く引けなくなる。
ヤクザとのけんかも、ずっと英語で通す。
途中から「実は日本人です」なんていったら
ボコボコにされるのは確実だ。
こういう人をあなたはどう思うだろうか。

そう、ちょっとどうかしている。

私は中学生のころ、
この人に入れ込んでいた。

1980年代前半だから
松田聖子などアイドル歌手の全盛時代。
アイドルに夢中にならないで
こんなおじさんに夢中になるのだから
私もどうかしている。

この人は1970年代後半から
英語学習に関する本を次々と出し
みなベストセラーになっていた。

『GIVEとGET』
『TIMEを読む』
『斬れる英語』
『速読の英語』
『FENを聴く』
……

この人物の名前は松本道弘という。

1940年、大阪生まれ。
関西学院大学に在学中
英語が好きなのにESSに入らず
柔道部に在籍した。
激しい練習の合間に英語を磨く。
ともかく気合いである。
「ESSなんかに負けるものか」

大学卒業後は
日商岩井に入社。
商社マンだから英語は必須だったろう。

そのうち今度は何と
アメリカ大使館に転職。
同時通訳の神様といわれた
西山千のもとで修行。
伸るか反るかの外交交渉の場で
同時通訳として頭角を現す。

こういう経歴を経て
1970年代から次々と
著書を出すようになった。
NHK上級英語の講師になって
名前が知られるようになる。

さきほど「気合い」と書いた。
松本さんが「気合い」という用語を
使っていたかどうかは覚えていない。
でも「英語道」を提唱しているから
言い換えれば、「英語は気合い」だろう。

日本語の発想をそのまま訳すのでは
水平訳になってしまう。
それでは英語ネイティブの
ハートに伝わらない。
分かってもらうためには
垂直訳が必要だ。
垂直訳をしてはじめて
「斬れる」英語になる!
こういうことも書いていた。

英語で「ハラ芸」について
解説した本も出している。
日本人のコミュニケーションは
「ハラ芸」というのである。

アメリカの雑誌TIMEが大好き。
当時の新幹線で東京大阪間に載っている間に
TIMEを一冊読み切れるか?
なんてそんなこともやっていた。
ずいぶん酔狂な人である。

速読の必要も言っていたし
日本におけるディベートの草分けの一人でもある。

私はかなり入れあげていたのだから
本の後ろにある連絡先に電話でもして
(同時はまだインターネットはなかった)
会いにいってもよさそうなものだ。

そうしなかったのは中学生だった私が
別な道を選びつつあったからかもしれない。

私は松本さんにいかれつつも
同時にエスペラントという言語を
独習していた。
19世紀末にザメンホフという人が
考案したものだ。
どこかの国家や民族の言語が
共通語になると
その国家ないし民族に
他の国家や民族は喰われてしまいかねない。
だから新しく
いわば「無国籍」の言語を立ち上げよう
という発想である。

これはこれで、また別のいかれた考え方だ。

「エスペラントは人工語で文化がないからだめだ」
松本さんは著書のどこかで書いていた。

もちろん英語の文化に比べれば、相当蓄積は少ない。
でも百数十年に渡って実際に使われてきた
エスペラントにも文化の萌芽は確実にある。
どんな言語も文化も、本質的に人が創り出すものだからだ。
言語も文化も、人の外部に存在する訳ではない。

私は結局、松本さんに入門することはなかった。

でも長い間、悩んだものである。
自分は「斬れる」エスペラントの使い手になりたい!
でもエスペラントで
はたして垂直訳はできるのだろうか?

今から思えば
わたしが松本さんから受け取ったメッセージは
「漠然とした憧れで英語に取り組むな。
やるならやるで、英語を喰ってやる気でやれ!」
というものだったような気がする。

そして私はその精神を
エスペラントに適用したのだ。
「漠然とした憧れで語学に取り組むな。
やるならやるで、その言語を喰ってやる気でやれ!」

高校生のとき、1年くらいだったか
エスペラントができる人とは
日本人でもエスペラントで話すようにしていた。
松本さんと同じまでいかなくとも
その一歩手前に近い奇行だ。
先輩に注意されたものだ。
「臼井君、そんなことしていると変な人だと思われるよ」

おかげでエスペラントができるようになった。
自分にはエスペラントがあると思うと
英語に喰われてしまうこともなくなった。

学生時代に英字新聞で4年間バイトをしていた。
でもほとんど英語を話すことはなかった。
別に話してみたいとも思わなかったのである。
ひたすらそこの新聞に目を通し、記事の整理をするだけ。
英語を実際に話すようになるのは20代後半だった。

松本さんのような英語の達人なら、英語で生計も立てられよう。
エスペラントの達人では、エスペラントで食べていくわけにもいくまい。
そう思って大学卒業後の私は地方公務員になって、21年間在籍した。
ライフワークのエスペラントは、余業という位置づけだった。

ところがひょんなことから2012年に公務員を途中でやめ、
エスペラントの専門家として中国に渡った。
編集者としての仕事のほかに、エスペラントも教えた。
昨年3月、日本に帰ったが、今はまた海外にいる。
40日程度の予定でベトナムの大学生にエスペラントを教えている。
エスペラントの専門家になるなんて、長いこと思ってもみなかった。

本当のことをいえば、私は武道をやったこともないし
「気合いを入れろ」とはそういう考え方はあまり好きではない。
そんな軟弱な私が、ついにエスペラントの専門家になれたのは
松本さんに著書を通じて「気合い」を入れてもらっていたおかげかもしれない。
「漠然と人生を生きるな。
人生を喰ってやる気でやれ!」

この文章を書くまで、そのことにまったく気が付いていなかった。
松本道弘さん、ありがとう。

日本に帰ったら、久しぶりに松本さんの著書を手に取ってみたい。
彼の本が確実に、私の人生のツールの一つなのだから。
 
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2019-04-04 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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