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人生にはほんの少しのスパイスが必要ですか


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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記事:阿部まどか(ライティングゼミ平日コース)
 
 
「お母さん、ごめんなさい」と心の中でつぶやいた。
 
日本で2番目に高い北岳から間ノ岳に向かう稜線で雷がゴロゴロと迫ってきた。
 
山のリーダーいわく、「雷が近づいてきたと感じたら、すぐに体勢を低くしてできるだけ地面に近づいて、じっとしていましょう」
 
周りには誰もいない。落ちるとしたら山と山の間の開けた2000Mの位置を歩いている私達のパーティーにだ。
10人に緊張感が走った。
パーティーは常に一緒に行動し、声を掛け合い、情報を共有する。一人も欠けることなく下山することが最優先事項だ。
 
ふと、母がくれた昨日のメールの返事をしていないことに気づいて、ひどく後悔した。
母は山好きの私が、山へ行く時はいつも心配そうな顔で
「いってらっしゃい」と送り出してくれ、
その後「無理をしないでね、気をつけてね」
と念を押すようにメールをくれた。
 
私はいつものことだと、サラッと読んで返事を書かなかった。もし今、雷が落ちて死んだら、母はきっとメールに返事もしないズボラな娘を、嘆き悲しむだろうと想像した。
雨がザアザア降りしきる中、黙々と一歩ずつ前に進み、雷がどこかに去ってくれることをひたすらに祈った。
 
なぜこんな目に遭うのか。
 
命がけの趣味は、そんなに価値のあるものなのか。
 
自問自答しながら歩きつづけた。
もし無事に帰れたら、母と久しぶりに食事に行こう。
母のお気に入りのあの店で、ゆっくり飲みながらお互いの近況を話そう。
おしゃべり好きの母はきっと止まることなくしゃべり続けるだろう。
 
4日間の登山を終えて、電波の入るところまで来るとすぐ母にメールした。
「無事に下山したよ。いつも心配かけてごめんね。ありがとう」
と北岳から真横にみえる富士山の写真も添付した。
母からはすぐに返事がきた。
「無事で本当に良かった。すてきな写真をありがとう」
帰りのバスの中から登ってきた白根三山と呼ばれる山々を遠くにみながら考えた。
 
『なぜ人は山に登るのか?』
 
私が山にはまったのは、立山三山に登ったのが始まりだ。
バスで一気に2450Mの室堂平まで行くことができる。
山登りの装備がなくても、スカートとハイヒールでたどり着けるのは世界でも珍しい。
真夏でも気温は日中20度前後、朝晩は10度ほどに冷え込む室堂まで行くと、雷鳥や可憐な高山植物にたくさん出会える。
夜には数え切れない星たちが空一面に、軍艦巻きのイクラのように光っている。
 
多くの登山者はここを起点に様々な山にアタックする。
山の頂上には、ありえないくらいきれいな景色をみせつけられる。
 
「どうだ!」
 
と言わんばかりの雄大な様は、ひと仕事を終えた後のビールの何百倍もの効果がある。
そしてここに無事にたどり着けたこと、山小屋で眠れるスペースがあること、水を大切にすること、人の優しさにふれること、それらすべてに感謝できる。
 
あたり前なことなんて何ひとつないと素直に思えるからこそ『人は山に登る』のかも知れない。
 
その後、山の面白さにどんどんはまって行った私は、山の師匠から憧れだった沢登りの誘いをうけた。
沢登りが初心者のメンバーがほとんどのパーティーで渓流沿いの岩を登りつつ上を目指して歩いていく。
一人でも滑落することのないように、あらかじめザイルと呼ばれるロープでつなげてからスタートする。
 
難所はリーダーが的確な指示を出してくれて、ザイルを這わせてくれる。
できればその通りにしたいところが、高所の恐怖に硬直し、思うように体が動かない。
おまけに途中で雨も降ってきて、足場になる石がすべる。
だんだん日も落ち始めてくることを、口には出さないが、みんな薄々感じていた。
心も体も困ぱいし、たどり着いた最後の急斜面は、草の中に石がゴロゴロあり、どこに手をひっかけてもすべる。
前の人と少し離れて登るように指示されていたが、ザイルがつっぱらぬよう、ギリギリの距離を保ちながら必死に登っていると、
 
「あっ!」
 
と声が聞こえた瞬間、上から石が落ちて来た。その拳ぐらいの大きさの石は、左右の岩にぶつかりながら進路を変えて私をめがけて落ちてきた。
ストップモーションの様にせまってくる石はもはや岩にみえた。
まるでマリオブラザーズに出てくる敵をかわすように、逃げられたと思った瞬間、岩は私の右手をかすった後、奈落へと落ちていった。
私の右手からジワーっと血が流れてきた。後ろにいる仲間から軍手をわたされて、はめながら、これだけで済んでよかったと意外に冷静に対処できたことが、今から思えば不思議だ。
そして陽が沈むギリギリに私たちは下山することができた。
「ご先祖様、守って下さり、ありがとうございます!」と、心の底から思えた。
そして、この沢登りに誘った友人が来られなくて本当によかった。
これは、自然にお邪魔させてもらう気持ちをおろそかにした結果だと、調子に乗っていた自分への戒めに違いないと感じた。
山では、一瞬先は何がおこるかわからないから、真摯に立ち向かうことを忘れると命取りになる。この山行で強く感じたのは、
『一日、一日を後悔しないように生きなければと、人生にはほんの少しのスパイスがあれば充分』だ。
 
予定より遅く帰った私を見るなり母は、「大変だったでしょう、お風呂沸いてるから、早よ入り」と言った。
 
母はきっと全部お見通しなのだ。
 
ケガのことは絶対に話さないでおこうと私は右手を体の後ろにかくし笑顔で「ありがとう」と返事した。
 
 
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2019-04-04 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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