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メディアグランプリ

本の雨を降らせる、怖がりの猫


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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記事:やまもととおる(ライティング・ゼミ平日コース)

極端に「怖がり」の猫だった。

その猫に初めて会ったのは、大阪でマンションの11階に住んでいた、ずいぶん昔のことだ。
ある晩、仕事で飲んで、しこたま酔っ払って午前様になった。
先に寝ている家族を起こさないよう、静かに静かに、スーツを洋服ダンスのハンガーに掛けていた。

と、一瞬、小さな仔猫が、足とタンスの狭いすき間を、猛スピードで右から左へ走ったように見えた。
左は、風呂前の廊下。洗面台と洗濯機と脱衣カゴだけがある、ほんの小さなスペースだ。
そこには、目をこすっていくら見ても、何もいない。廊下や部屋を探しても、猫の気配なんてない。
「あかん。酔ってるわ。家に、猫なんかおるはずないやん」
独り言を言って、脱衣カゴに服を突っ込んで、風呂に入って、すぐに寝た。

翌朝、家族にその話をしたら、ホントに仔猫を拾ってきたんだ、という。
その仔猫が、我が家に来た日に、11階から行方不明になっている。
でもマンションで「仔猫が落ちて大怪我した」なんて騒ぎは起こっていない。心配することはない。
廊下に出る玄関側の部屋の窓が開いていた。そこからすり抜けて、脱出したのかも知れなかった。
「またノラに戻ったんかな」と、朝ゴハンを食べながら、家族と話した。

住んでいた、100軒近くある大きなマンション。幼稚園に通う子供たちが、親たちに内緒で、生まれたばかりのノラの仔猫を飼っていた。当時息子も幼稚園児で、共犯者だった。皆で家からミルクを代わりばんこに持ち出して、ゴハンとしてあげていたらしい。
ところが最近、それが親たちにバレて、その結果「猫をどうしよう」ということになった。
猫を飼ってもいい規約のマンションなのだが、「飼ってもいい」という家は意外に少なかった。
棲み家にしていた駐車場の車の下で妻がミルクをあげたら、いそいそと懐いてきたらしい。
結局「それなら、ウチで飼う」と、親子で宣言して連れてきていた。

その仔猫は、ボクが出勤した直後に、我が家の洗濯機の下に潜んでいるところを発見された。
夜中に突然、でかいおっさんが現れて、怖くて洗濯機の下に一目散に逃げ込んだらしい。
いなくなって、ホッとして、鳴きだした。
そんなに怖いおっさんじゃないよ、といいたかった。
こうしてその「ノラ猫」は、「我が家の飼い猫のチビ」になった。
「チビ」が住み着いた我が家は、あっという間に幼稚園児のたまり場になった。

その後横浜へ引っ越してきて、社宅の1階に住むようになっても、チビの怖がりは治らなかった。
玄関のピンポンが鳴ると、必ず、脱兎の如くベランダへ逃げた。
1階のベランダから地面に降りて迷子になると、近くの草むらでブルブル震えて小さくなっていた。
「きっと、ノラでいた頃に、色々と怖い思いをしたんだね」と、家族で話すようになった。
ウサギを飼うことになり、猫の本能で狩りの対象にならないか心配したが、すぐ仲良くなった。

怖がりで慎重な猫は、人間でもそうだが、実はかしこくて俊敏なことが多い。
チビもそうだった。

毎朝、家族に早く起きてもらいたくて、6時キッカリに、器用に本が詰まった本棚を駆け上がった。
そして布団で寝ているボクの顔の上に、たくさんの本の雨を降らせた。ハードカバーを選んで。
ハードカバーの本が、寝ている頭を直撃したら、どんな目覚まし時計よりも強烈だ。
「分かった、分かった。起きるからやめて」としか、いうべき言葉は思いつかない。
もちろん、決して、妻や息子の顔の上には落とさなかった。

家で飼うようになって、すぐキャット・トイレが使えた。
しかも、凄く綺麗に使ってくれた。
もしかすると、元々は飼い猫で、子供たちが何の悪気も無く、抱いて連れてきた仔猫だったのかも知れない。とても飼い猫馴れしたノラ猫だった。

忍者のように、床から大型冷蔵庫の上へ、ひらりと飛んだ。
スーパーボールを廊下に投げると、ボールに合わせて大きく飛び跳ねた。
大阪の頃は、11階マンション玄関ドア外の、長い共有廊下の手すりを、猛スピードで駆け抜けた。
高所恐怖症のボクは、見ているだけで寒気がした。

優しさは、常に際立っていた。
飼っていたカブト虫がカゴから逃げ出しても、捕まえもしなければ、ましてや猫パンチは一度も繰り出さなかった。
ベランダで小鳥と遭遇しても、楽しそうにさえずりを真似して、会話していた。

結局、20歳過ぎまで、その猫は生きた。
人間の歳で換算すると、100歳を超えたらしい。
人間の都合で、大阪のノラ猫が、横浜で大往生することになった。
亡くなる前数年は、往年のかしこさも俊敏さも影を潜めた。
ただの頑固なおじいさん猫になって、ガスストーブの前から動かなくなった。
でも、優しさだけは生涯離さなかった。

できるだけ長生きして欲しいと願うとともに、もう一度、「本の雨を降らして欲しい」「手すりを猛スピードで駆け抜けて、怖がらせて欲しい」と心から思った。
かなわぬ思いを抱きつつ、ストーブ前で丸くなっている猫を毎日見つめていた。

平成22年10月2日。チビは、静かに横浜で旅立った。

 
 
 
 

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2019-04-11 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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